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形がないもの

気持ちが盛り上がったり落ち込んだりを繰り返している。ずっと楽しいこと明るいことだけを考えていられたらいいんですけれどねと思うけれどふとした瞬間にすっぽり鬱の穴にはまってしまうとなかなか出られない。

「ふとした瞬間に」とはいうものの、あ、あそこに穴があるな、なんか深そうだなということは遠めに見てうすうすわかっていて、よしあそこには近づかないようにしよう、と思って歩いているんだけれどあれ、なんか穴の範囲広くなってません?と気づいたときにはもう穴の中にすっぽりはまっている。

困ったもんですねと思ってnoteを開いたら、購読している小林賢太郎さんのnoteマガジンの記事が更新されていて、それがタイムリーに「気持ちの浮き沈みと付き合う」ことをテーマとして書かれていてとても沁み入った。ありがたいことだ。沁みる。

思考の整理、とか、感情をコントロールする、というものは砂場遊びのようなもので、あれ、確かにさっきわたしは大きい山をつくったはずなんだけど?と思ってもざーっと大波が来たり雨が降ったりすると跡形もなくなっているような感じに似ている。形のあるものがないのだ。一向に前に進んでいる感じがしない。明日に続いていくものがない。

形のないものをむりやり形にするために、文章を書くのかもしれない。

形があればいいのだろうか?形に残せたら満足なのかしら? と自問してみてもよくわからない。わからないが、たしかにわたしはこういうことを考えたんですよ本当なんですよ嘘じゃないんです、あれは夢なんかじゃなかったんですよ、と後から振り返ることができるように記録を取って形にのこしたいのかもしれない。ヘンゼルとグレーテルが、帰り道がわからなくならないように目印の小石を落としながら森の奥に進むようなイメージ。

むかし自分が書いたnoteなどを読んでみても、はて、このときのわたしはいったい何を言っているんだろうねえ、と思うことが多い。数年前の自分が考えていたことを、わたしはいま思い出せない。でもたしかにこのとき、この瞬間にはわたしにとってそれは意味のあることだったんだろうなあ、という形跡を遠くから見つめる感じ。

きっといま見ているものも、時間が経てば忘れてしまうんだろう。なにもかも忘れてしまうのはさみしいので、小石を落としながら進むのだ。

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