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ヤングケアラーと夢

「卒業後 専門学校に行き、美容師免許を取り美容師として一人前になってから ヘアメイクのアシスタントへと進む」
こちらが当時ヘアメイクになるための一般的なルート。
しかし 私は就職が決まっていた美容室を辞め
知人から声がかかった フランチャイズチェーンの飲食店の立ち上げにジョインしました。

と、いうのも 高校3年の秋頃、 母が吐血し救急搬送したのです。物心ついた時から 年に一度は入院していた母。中学生の時は 家事と家計を預かったこともありました。
兄妹も家計を気にして様々な事を諦めている姿を見て育ったので やりたい事よりも現実を優先させるのが日常だったのです。
美容師では 通信の学校に通いながらの下積み…まともな給料が貰えない と考えた私は、家を出て家計への負担を減らしたほうが良いと就職先を飲食店へ変更しました。
そう、社会問題にもなっている ヤングケアラー特有の自己犠牲の精神が染みついていました。

本社研修

まずは一か月 アパートに泊まり込み 日中は本社で研修を受けました。
二人ひと部屋で 私は50代くらいの女性と過ごしました。
当時の私には刺激的な話しを沢山聞かせてくださっていたのも最初のうちだけ。。。
後半は二人とも疲れて爆睡してました。
研修生は私が最年少、最年長はおそらく60歳くらいの男性でした。
この60歳くらいの男性、いつも温厚でユーモアのある方でした。
研修も半ばに差し掛かってきたある日、この男性が担当研修者の方に大きな声を上げました。日頃から私たちに対する態度が高圧的で嫌いな研修担当者。しかしトレーニングセンターでは絶対的な存在なのです。権力という名の元に、やりたい放題…
温厚なおじ様も我慢がならなかったのでしょう。大きな声を上げたことに驚き、周囲が動揺しました。
詳細は記憶にないのですが 教育の在り方についてフラットであるべきなのに 態度が悪いというような抗議をしたのです。
もちろん 担当研修も黙ってはいません。
かなりの口論になりました。

このおじ様、他の某フランチャイズグループからヘッドハンティングされて研修を受けていた上層部の方と判明。
後にこちらの会社のトップになった方でした。

研修後 みんなを自宅に集めて ワイワイと楽しい時間を作ってっくださったり、店舗視察にいらした際は とても優しく励ましていただきました。

今思えば 企業のトップと初めてご一緒出来た貴重な体験でもあり、
私の価値観の一部になった出来事でもありました。

 

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#障がい者ママ #夢 #価値観の作られ方 #教育

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