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ややこしい父親の話

我が家からそう遠くない場所に住んでいて容易に会うことのできる私の両親とは、距離の近さの割に、最近はなかなか会わない。私は両親のことは好きだし、両親と私の仲は良いと思うのだけど。

近いからいつでも会えるという油断からか、はたまた双方ドライな性格ゆえか。

あと、思い当たる要因が一つある。


私の父が、ややこしい。


私の姉が一人暮らししていた時、姉を心配していたらしく

「おい、金はあるんか、元気にしとるんか」

と聞いてきた。私に。

しらんがな。姉に直接連絡したらええがな、あんたの娘や。


ある時、頂き物の美味しい食材があるからご飯作るし我が家で一緒に食べようよ、と約束したところ、当日母だけがひょっこり現れて申し訳なさそうに言った。

「お父さん行かへんって言うねん…」

理由はなんだったか忘れた。


またある時、気が向き我が家に遊びに来たときにも夕食後まだ少し寛いでいたいだろう母に

「帰るぞ。」

と言いさっさと帰り支度を始める。おいおいデザートのケーキはどうなる。それは父のためのバースデーケーキだった。

かと思えば

「パチンコ今日は出ぇへん!あかんわ!今日はもうやめや。めいの顔見にきた。」

と突然現れる。なんなん。


ところで、父が突然顔を見に来ためいというのは私の1人娘で、父の初孫にあたる。

娘は珍しい病気を抱えて産まれてきた。数十億分の一という途方もない確率でしか発生しない、新生児多発性血管腫という病気だ。

数十億分の一を引き当てた我が家なのに、未だに一度も宝くじは当たらないの、なんでなん。それは買ってないからや。

話を戻そう。

娘は産まれてすぐにNICUに搬送され、そこで娘の病気は症例も少なく治療法も確立されておらず数ヶ月のうちに命を落とすことがほとんどだという説明を受けた。

父に娘の病気を伝えた時、青ざめ驚いたその顔に、なんだかんだ楽しみにしていたはずの初孫をすぐに抱かせてあげられず当分の間会わせてあげられないことに、なんともいえない罪悪感がこみ上げた。

娘の入院していたNICUは両親以外の面会は制限されていて会うことができず、祖父母にはガラス越しGCUのさらに遠くの方に見えるNICUの娘に遠まきに会いに来てもらうことしかできなかった。

父は、そんなガラス越しの面会しかできない娘の為に、自分の仕事のつてなどを使いとあるお医者さんにメールで病状を伝えなんとかならないかと問い合わせ、メールの返信をプリントアウトして私に渡してくれたり、何かにつけて金は足りているのか、などと、とにかく頻繁に連絡が来た。

会う事も触れる事も叶わない娘の為に何かできないか、何とかしてたすけたい、という父の思いがひしひしと伝わってきた。

そうこうしているうちに娘の病気の治療は進み、大きな手術を何度も受け、輸血をしたり、県外の大きな病院へ転院したり、お医者さんの手によりありとあらゆる治療を施され、不可能だと思われていた退院の話が出始めた。

在宅移行に向けて親への医療的ケアの指導を行うためNICUから一般小児科病棟への転棟が決まり、もう命の心配はしなくて良い、奇跡は起こったんだ、と誰もが思っていた時、娘の病状が急変し、心肺停止の状態に陥った。

誰も予想していなかった急変だった。蘇生はできたが心肺停止の時間は長く脳には大きなダメージを負い、娘には重い障害が残った。

それからしばらくは呼吸器に繋がれたまま意識のない状態で、辛い日々は続いた。

でも、障害を負うことになってからも娘は頑張ってくれた。お医者さんも、看護師さんも、たくさんたくさん、頑張ってくれた。

そうして戦い抜いた1歳2ヶ月の夏、初めて、やっと家に帰ってこられた。

鼻には栄養摂取の為のチューブ両鼻に一本ずつ入っていて、酸素のチューブもついていて、痰の吸引が頻繁に必要で、よく泣き、よくてんかん発作を起こし、よく嘔吐し、夜も眠らず、とにかく手がかかり、体調を崩し度々緊急入院もした。

でも、いつでも、会いたい時に会いたい人に会いに来てもらえたし、父も度々家に来てくれた。娘を抱き、優しく見つめる目尻はいつも下がりっぱなしだった。

五分刈りの父の頭と、心停止前に大きな脳外科手術をしたときに丸刈りにされたため短髪の、少し鉢のはった娘の頭の形はそっくりで、少し笑えて、少し泣いた。


それから少しずつ少しずつ娘の体調も落ち着き始め、療育園に通いだし、娘はだんだんと家の外の世界へ飛び出していった。

そして娘は今、13歳になり中学生になった。年々必要な医療的ケアは増えているし、障害の重さは相変わらずだ。たまに入院もする。(実はこうしてこれを書いている今、入院中の娘の病室だ。)

だけど、毎日学校に通い、私がいなくても大好きな先生や友達と一緒ににこにこ楽しそうに過ごしていて、娘の世界は広がっている。


父はといえば、今年定年後再雇用で続けていた仕事を完全に辞めた。

今は趣味の卓球にのめり込んでいて、とても忙しそうにしている。今度初めて試合に出るそうで、みんなで応援に行く予定だ。

父の世界も広がっている。


今でも娘に声をかけ笑いかける父の顔はとびきり優しくて、いつも目尻は最高に下がる。下がる目尻のシワは少し増えた。


また娘が退院したら、うちでご飯作るから、みんなで一緒に美味しいものでも食べようよと、父と母に声でもかけてみようか。

気まぐれで、ややこしい父が来るかどうかは、知らんけど。

いただいたサポートは娘の今に、未来に、同じように病気や障害を抱えて生きる子達の為に、大切に使わせていただきます。 そして娘の専属運転手の私の眠気覚ましのコンビニコーヒーを、稀にカフェラテにさせてください…