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情報化社会で生き抜く新しい術

※この記事は、自分軸が持てず、迷走し続けている方へ書いてみた。本質を捉えて問題解決を図ることで、暗いトンネルから抜け出せることを願っている。

最近、タイパやコスパという言葉が流行している。テクノロジーが発展しているからこそ、その考えが生まれてくるのだろうが、これには致命的な弱点があるように思える。ネガティブ・ケイパビリティという聞き慣れない言葉と共に、今日はそれについて論じてみようと思う。

そもそもの意味は?

簡潔に言えば、答えにすぐに飛びつくのではなく、じっくり考えて、解決を図ろうというものだ。学生時代は答えのある世界に溢れていた。だから社会でもそうやっていけると思い込んでいたのだが、なかなかそうもいかないことに気づく。人間社会は解決できない問題の方が圧倒的多数を占めるからだ。先が見えない中で、どうアクションを取るべきなのか、どうしようもない不安や葛藤を打ち消す手立てはあるのか。

解決できない大きな要因として挙げられるのは、やはり人間の多様性であろう。少し話は逸れるが、僕は人間の第二言語習得過程がどういうものなのかについて関心を持っている。(詳しくはこのテーマを別記事で書いてみようと思う。)言語学、脳科学、心理学、認知科学など、多様な視点を要するテーマだと学習を始めて1年で感じる。中でも認知科学は、人間独自のものの見方や感じ方の多様性を論じているものが多い。数ある文献の中で、核心を突いていると感じる本のひとつがこれだ。

この本の中で、ある認知科学者がニューヨーク市の同じ街区を11人と歩いたという実験がある。そこで起こったことは、11人それぞれその環境において注意を向けた先が異なっていたという。昔鳥を飼育していた経験のある人は、鳥の存在に過度に注意を向けるかもしれない。ボール遊びをしている親子を見れば、自分の子供の頃を思い出すかもしれない。メルセデスベンツが止まっていたら、自分が憧れるサッカー選手に思いを馳せるかもしれない、、、

このように数えきれないほど人間の価値観や考え方、見方は多種多様に及ぶ。それをこの方法で全て解決!といったものに飛びついても、解決できる可能性は低い。そういったノウハウやマニュアルは表面的で、本質を捉えられていないものが多い。浅い理解で終わらせることで、多くのことを見落としてしまうことが往々にしてあるからだ。実際にあなたもこういった経験があるのではないだろうか?

昨今では、このようなノウハウ本やネット情報が横行しすぎて、本質をじっくり捉える時間が取りにくくなっている。”大学受験で成功する方法”とか、”マネーリテラシーを学ぶ”とか、一部の人間だけが恩恵を受けれるコンテンツがあなたの思考や選択肢を狭めているように感じる。

上述したような、言語獲得の過程は、単語や文法、フレーズを暗記すれば学習が完了できるように論じているものも多い。しかし日本人の言語習得能力が、他国と大きく差をつけられている現実がある中で、その方法論に再現性がないのは、受験が終わった頃から徐々に感じ始めていた。そこで不器用ながらも模索していく過程は自分にとってはすごい価値のあるものになったと思っている。

タイパやコスパに関してもそうだ。早送りや短尺動画、切り抜き動画などは、本来のコンテンツとは異なる切り口になってしまう。そこで偏った見方を培ってしまうことで、取り返しのつかない事態になってしまうことだってあり得る。実はこういった概念こそ、コスパが悪いのだ。

その中で、多角的、長期的な視野で物事を考えられるようにすることで、理解の深度が上がる。情報社会に下手に騙されることなく、自分の軸が形成される。あいまいな状況が続く世界線は耐え難いものに思えて、実は多様な視点を培える時間でもあるのだ。

自分の軸の形成の仕方は至ってシンプルだ。それは、自分の関心のあるテーマをいろいろな角度から考察してみること。それまで単一的な見方しかしていなかったものを、違う角度から見ることで、新たな価値観を得ることができる。

例えば僕の好きなサッカー。一見エンタメとしての要素が強いが、実は世界有数の巨大ビジネスという側面や組織論的側面、勝率を上げるデータ分析やアスリートセラピーなど、多岐にわたる。これらのさまざまな要素が複合的に絡んで成立している世界なのだ。そしてこれらの要素は別分野にもつながっていく。

ビジネスという観点ならマーケティングの観点、組織学ならあなたの仕事におけるマネジメント力向上に役立てられる可能性がある。統計学を用いたデータ分析であれば、同じく数学的に目標を達成していく術が得られるかもしれない。

自分の関心から派生させたものは、自分ごととして捉えられるため、よりリアリティを持って習得ができる。抽象具体の考えだってより簡単に身につく。体系的な理論を勉強するより、まず事例から知ることで、より応用可能な知識を得られるのだ。

自分の軸を持つことは、あらゆる選択を迫られた時に必要な観点だ。それがなければひたすら他人の意見に左右され、精神的にも安定しない。そういった中で、自分の言葉で説明ができること、自身で整合性を取ることがとても重要なのだ。

日本の教育は皆を均一化するよう作られているため、あまりこういった観点を学ぶ機会は少ない。没個性、主張が弱いといった諸外国からの意見も悔しいながら頷ける。

だからこその"自分軸"なのだ。個々の能力を最大化し、各々が輝ける場所で輝く。そういった社会が実現していくことで、より生きやすい世の中になっていくのではないか。僕はこう考えています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。





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