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どん底にいても友達でいられるか、成功しても友達でいられるか


誰かがどん底の時に連絡してきてくれたら、自分が救世主に任命されたってことだ。その人のことを大切にしよう。

自分にも一度ならず落ちた経験があれば、形は違えど気持ちはわかる。
もしあなたが、今は飲んで潰れたいというなら、私も一緒に潰れよう。

それから、悔しさや無念はエネルギーに変えて、燃えたぎる。
闘争心はむき出しなくらいでいい。
カッコ悪くても、がむしゃらさと地道さを持ち合わせて、落ちぶれたもの同士で、登ればいい。
それぞれ道は違っても気持ちを同じくして。
そうして、ゼロから這い上がった人間は強い。

でも、大事なのはここからで。
もし、足並みをそろえていたつもりなのに、どちらかだけが成功したとしたら、妬むことなく友達でいられるか。

こと、近くにいた人が離れていきやすいのは、どん底にいる時ではなく、成功しているときだ。
私たちは、本来対等だったはずの人に、高いところから声をかけるのは簡単だけれど、高いところから声をかけられるのは得てして苦手だ。

もしあなただけが上手くいき、私が上手くいってないように見えても、その時はどうか、私を可哀想な人として扱わないで欲しい。まあもし、私をおいていきたいと思ったら、おいていって貰っても構わないのだけれど・・・
(ちょっと、いやかなり悲しいけど。)
たぶんどん底にいた痛みを知ってるあなたは、きっと変わらずあなたのままでいてくれるだろうから。それだけで十分。(と思いたいw

そして、もし私だけが上手くいっているように見えても、私は何も変わらないから、やっぱりそのままでいてほしい。
あなたの気を引こうとして、上手くいってないふりをしたり、可哀想な人のふりをしたり、そんなことはさせないで欲しい。もとより、そんなことをしてもたぶん見抜かれてしまうだろうけれど。

私たちは、いつだって対等だ。
大事なのは、成功しているかどうかではなく、どういう人間でありたいか。どういう人間であったか。
ただ相手の内々だけをみて、伴走できるようでありたい。


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