見出し画像

涙しかなかったクリスマス

もう20年近く前、まだ私がずっと若かった頃、
とっても大切だった人をなくしました。
今でも思い出すと涙が溢れます。

天皇誕生日23日、クリスマスイブイブなんて言われていた日の夜、妹からの1本の電話。

「弟が亡くなった」
「自宅も携帯にも何度も電話していたのに、やっとつながった」
「とにかく帰ってきて!」
とまくしたてるように言われました。

私の頭の中は真っ白・・・
「電話なんてなかった…電話なんてかかってこなかった」
意味不明に繰り返すだけ。
私はずっと家にいたし、そもそも携帯に着信履歴も残ってません。
妹も電話番号は間違えてないと言います。
心がきっと内容を受け入れたくなかったのでしょう。意味のない会話を続けてました。

実家へ帰る終電には間に合わないタイミングの電話だったおかげで、私は眠れない長い夜にいろいろ考えて過ごし、心の準備が少し出来たような気がします。
もしかしたら私がそうした時間を持つために弟がわざと妹からの連絡を遅らせたのかもしれません。

弟は自殺でした。
仕事のこと、彼女のこと、借金のこと、
いろんなことで悩んでいたようです。
最期の引き金が何だったのか、知る由もなかった。
何で?何で?何があった?答えの出ないクエスチョン。

私は弟がそこまで悩んでたことに気付いてあげられなかった。私は気付けなかった。
その事だけが頭の中を埋め尽くしていました。

弟はその数年前にすごく悩んでいた私の大きな支えになってくれていました。
仕事で東京に来る度に時間を作って私に会いに来てくれていたのに、私は弟の悩みに気付けなくって助けてあげられなかった。

自分を責めても何にも変わらないけど、悲しさと悔しさとで押しつぶされそうでした。

葬儀の前後の記憶が曖昧です。
私たち家族が思っていた以上のたくさんの人達が焼香に来てくれました。
彼らと話す中で初めて知る弟の一面がまた切なくて涙が止まりませんでした。

普通に弟の話を家族で出来るようになるまで何年も何年もかかりました。
心の痛手が消えたわけではないけれど、今では気持ちの整理が出来て、人生の最も悲しかった出来事の1つになっています。

最近は妹と飲みながら、弟の話をよくします。
きっとさ~あいつのことだから死んじゃってから「やっちまった~」って後悔しているんじゃない⁉とか・・・ようやく笑いながら話せるようになりました。

家族旅行の時に5回も温泉に行って、手がシワシワになっていたこと 
高校生の時にソリこみの為に抜いたところから、毛が生えなくなったって真剣に悩んでいたこと 
車が大好きで運転が大好きで、実家に帰るとよくドライブに連れて行ってくれたこと 
たわいもない事で大笑いしてたこと 
どれもこれも楽しかった思い出 

12月の自殺者は1年で1番多いそうです。
最近また悲しいニュースをたくさん耳にします。

いろんな悩みがあって、
抱えきれなくって、
どうにも出来なくって、
死を選んでしまうのかもしれません。
生きていれば良いことあるよ!
なんて、簡単ではないことも分かってます。

それでも最後の瞬間に、家族や友人のこと思い出してください。
残された者は助けられなかったことを一生後悔して、苦しんでしまうことをちょっとだけ思い出して、そして生きることを選んで欲しいと心から思います。
きっと家族や友人が支えになってくれると思うから。

何だかすごく重たい話をしてしまって、ごめんなさい。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます♡

#クリスマスの過ごし方

最後まで読んでいただき、ありがとうございます スキしていただけると喜びます♡ フォローしていただけたらバンザイします♪ サポートしていただけたら踊り出します (*´▽`*)