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逆転!吉報がキタ。

こんにちは。仕事もままならず
泥のように下降して停滞していた11月、12月初旬でしたが、待ち望んでいた件で、希望の光が差しました!

↑この記事で、私が唯一望みを託しているのは、この公募↓の結果だと記した。

報道から離れてビジネスの仕事ができること・社内公募に受かって友達のいる東京に異動することを願い続けていた。

待ちくたびれてヘロヘロになっていた先日、やっっっっと、採用の連絡を貰った!!!!!!!!!
ドーハも歓喜していましたが、私もライフプラン・キャリアに新たな道が開けて歓喜。しかも、他の同期は病休時、上司に恵まれ上司の力で異動をしていたが、私にはココでも上司に干されているので…完全に自分の力で合格を摑み取れたことに、胸がいっぱいになりました。

この公募に落ちた時のためにと職種転換の申請をする過程でも会社に気を削がれたので、転職サイトを見たり、地元に一旦戻ってリセットしようと沖縄の一人暮らしマンションの物件リサーチをしたり、あらゆる道を考えて心はぐらぐらしていました。長かった…
でも、本当にエントリーして良かった。
環境が人を変える。この異動は転職に近いレベルなのでイチからのスタートになるけれど、はよ異動してはよ働きたいなう。です。

ここに来て自分の医者と心理戦…?笑

実は今、主治医と産業医と上手く話が出来ておらず、それが喜びに水を差している。なんと皮肉…
いや、主治医には正直以前から「結論を準備しないといけないような圧迫感」(結論に導くのは医者なのにね)を感じていて、
つぶやきにも記したが「悪化状態を診察されても意味がない」と診察を延期するという行動に出てしまった。
信頼してたら、「まずこの状態診てもらわないと」ってなるはずだ…(以下察してくだs)
結局診察はしたが、アイフォンに書いてたメモを見ずに診察を終えてしまった。今後の過ごし方を相談できるかと思ったが「産業医と、3月までここでどうやってくか相談して」と言われた。主治医>産業医なんだが…

私は「(4月からの道は決まったが、)福岡で3月まで月~金に罪悪感と居場所の無さを感じる生活を継続することはきつい」という大切なSOSを話すのを忘れてしまった。


産業医は合格と異動をとても喜んでくれた。
でも、「異動する時はどう東京本社に引き継ぎが行くんですか」など気になることを投げたチャットには返事がなかった。
なんやこいつら。
母に「主治医なんだから、紙に書いて手渡してでも言いたいことは言え。医者2人が具体的な助言をくれず、責任や決定を引き受けようとしない感じがする。こっちも相手を読んで会話するべきでは」と指摘された。
結局最後は自分しか、自分を引っ張って行ける者はいないと感じた。


ある精神科医(ユーチューブ)は
「この分野(メンタル)は家族や友人ではなく、プロに頼りましょう。
一番あなたを知っているのは家族でも、ことメンタルに置いては逆に家族間の衝突や、『わかってくれない』と行ったマイナス思考が生まれやすい」
と言っていた。それはその通りだと思う。

私は母親と友達のように何でも報告・共有するので、まさに余計な衝突や要らない誤解が生まれた時もあった。医者の言うとおりだ。

でも結局体の病気と違って、全治何ヶ月なのか、どこで再発・悪化するのかが見えない、千差万別のメンタルの不調は、最後に頼れるのは自分
そして「私はプロじゃないからあんたの喜怒哀楽を聞くことと、状況に対しての感想しか言えないけど」という家族なのだ。(私はね)

プロはプロが故に、患者には言わない線引きや逆算やなんやらを脳内で描いている。でもプロだから、全てを共有はしてくれない。
こっちは全てさらけ出しているのにだ。


”ここでずっと停滞していたくない、環境を変えたい、人と関わりたい(関わりたくない、でも良いと思う)、もっと20代らしく社会の歯車としてバンバン働きたい、居場所、やりがいを感じたい、健康に戻りたい…”

そういった自分の中の「絶対復活するし、絶対どこかで活躍してやる」という、折れない芯がこの異動を引き寄せたと思う。正直、頼りすぎてはいけないのは上司や友人だけじゃない。医者を含む全てに対してフラットで俯瞰した気持ちで接することが、(メンタルの病気中でも)大切だ。

医者たちには立場があり、仕事なのだ。
でも私にとっては(症状は)私を阻む全てであり、生活とキャリアがかかっている。
人に任せてられん。我の強さをここで発揮すべきだ。笑


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