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復職3ヶ月目、トンネルの出口を見つけた?

先日、復職から2ヶ月を振り返った中で

自分でぐるぐる試行錯誤した結果、「電話取材からさせてもらえたら助走になる気がする!」とひらめいたことを書いた。

そして昨日、アポを取っていた現在の部署の上司が最寄りまで来てくれてカフェで2時間、話を聞いてくれた。
上記の記事で書いた”会ったこともないけど同じ本社で数年前に復職に1年かかった”先輩、zoomで親身になってくれたあの先輩が○○デスクがいいと思う、と助言してくれた上司だ。私も、通じるとしたら一番はこの人だなと思っていた。(この人が動かなければ終わる、とも感じていた)。

1つめに、私に仕事を振ってほしい。そしてその仕事の塩梅について説明し、お願いした。快諾してくれた。
問題は2つめだ。カウンセラーに「あなたの会社は過度に優しい。パワハラで休んだ人向けだ。でもあなたは違う、ネグレクト。休んだ経緯を現在の配属先の上司は把握しているのか。していないなら説明を丹念にすべき」と以前より指摘されていた。医者や、例の先輩も指摘していた。私には、あまりにも経緯や傷ついたエピソードが細かくて、でもいくつかを伝えないと全体像が見えない複雑な病み方だったので長くなるのに気が引け、説明をためらっていた。

しかし、ここまで周りの大人が言うなら、きっと、言うのと言わないのでは雲泥の差があるのだろう。「ここから前任地の休職の経緯の話になります。長くなりますけど、○○、○○などとにかく周囲が絶対に伝えるべきと言うので、聞いてください」と前置きして、医者に駆け込み休職になるまでの社内の雰囲気、症状の経緯、自分のメンタルの経緯を話した。

さすが私と先輩が、「この上司がいい」と思っただけあって、本当に熱心に耳を傾けてくれた。気になる点は確認してきたり、話が脱線しても(どこまでが伝えた方がいい要素なのか曖昧だったので多めに話した)、とにかく真っすぐ受け止めていた。そして「様子見のつもりだったけど、君を自由に放置することは前任地でされたことと結局同じだよね。ごめんね」と言ってくれた。伝わった、と思った。
上司は「実は姉も何年も治らなくて、そういう人多いけど、君の仕事や目標への向上心、休むまでに耐えた期間、休んでからの試行錯誤したどの行動から見ても、君は絶対直ると思う。また書くようになる」と言ってくれた。

これから、その上司が仕事をリモートで振ってくれることになった。
恋愛に続き、仕事も一歩前進した気がした。「トンネルの出口が近づいていて外の光が見えている」のがやっと感覚として有る。

母は安堵しつつも「そもそも病んだ社員がこんなに自分で試行錯誤し提案しないといけない点には疑問を感じる。あんたの性格だからここまで自分で上がってきたものの、やめてしまった後輩の子なんて、やりようがあっただろう」とまあごもっともな指摘していた。

しかし、完璧な会社はない。弊社の同業他社との大きな違いは「自由、放任、裁量権の大きさ、ルールより風通し」なのだ。良い点と悪い点はいつも表裏一体。他社ならもっと復活に向けて決められたレールが敷かれていて、回復に向けたステップをむしろ定められた通りに歩まないとダメ、なんてところもあるかもしれない。
しかし他社は日頃のルールの多さや上司からの監視、社員同士の不仲、など私には給料が低いことよりも避けたい特徴が各社にある。だから、復職がこうなってしまったことは自由奔放な社を選んだことに帰する。もう会社の愚痴も言い飽きたし、自分の人生のグリッドを強めるしかない。たとえ転職しても、複雑な現代にHSEな性格で挑んでいる時点でまたいつ脆さが出るかわからない。

何がどれだけ変わっていくかはこれからで、要約してしまえば「とにかく上司とやっと意思疎通ができた」という地点に過ぎないのだが、8、9月を思うとかなり出口に近づいた。

私のプライドの高さ、負けず嫌い、暇が嫌いな向上心が、10月の私を連れてきたと思える。


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