優しさをGIVEし続けた父から、音が奪われた日の話
「優しさには見返りを求めたらだめだよ」
父は色々愚痴るとわたしによくそう言い聞かせた。
わたしによく似たまん丸の顔によく笑う目と口、同じくちんちくりんだ。
父はわたしたち家族にもお客さんにも道端で困っている人にも、同じくらい全力で愛をむける人だ。
人助けをして何針も縫って帰ってきたこともあったし、交通事故から人を救ったこともある。運動神経は良くないのに、体が咄嗟に動いてしまうのだ。
中学生にもなると優しすぎる父が損してる気がして、よく理不尽に怒ったものだ。
人を笑顔にすることが大好きな父は、お酒を飲めない自分にできることを探して、歌やマジックで職場では宴会王にもなっていた。
そんな父にわたしは一番反抗した。
それは、父だけは絶対にわたしを見放さないし、最後まで付き合ってくれるからとわかっていたからだと思う。すごく甘えていたのだ。
家の中ではうるさい!て言いながらもいくつになっても理想の人を聞かれると、芸能人ではなく「お父さんみたいな人」と答えていた。
物知りで優しくて背が低い人が好きなのは全部父からきている。
左耳は30代で突発性難聴。ほぼ聞こえなくなったときに父から聞いた。
なんで?治療してなかったん?だめやん!偉そうにたくさん父を叱った。父は、仕事おやすみできなくて〜父は大黒柱やから〜と明るくいう姿にさらに怒った。
わたしが大人になると、家庭では想像できなかったほどの困難なことがあった。かみさまなんていないって心から思っていたし、根性なしのわたしは全くの役立たずになっていた。
絶対に乗り越えられないと思われたことも、全て父の愛の力で乗り越えてきた。父の愛はかみさまよりもすごいんだと本気で今も思っている。
そして、それは3年前のある日突然にきた。
弟から「お父さんが運ばれた」という知らせがきた。
慌てて病院にいくと、父はベットにいてニコニコ笑ってくれていた。なんだ、いつもの父だとホッとした。
わたしが父に話しかけようとすると、母が「お父さん右もあかんくなったみたい」と。
お父さんて声をかけると笑顔で聞こえへんねんみたいなジェスチャーをする。嘘やろ?て。
あれから、右は補聴器で微かに聞き取れるようになり、人が集まる時はつけている。でも、かなり苦労している。だって、父はたくさんボケてたくさん突っ込んで今までみんなを笑顔にしてきたんやから。
憧れはさんまさん。いつも、さんまには勝たれへんっていってはわたしに当たり前や!てつっこまれてた(さんまさんが好きすぎて吉本にわたしのプロフィール送られてた)。
父は、わたしみたいに理不尽に誰かを怒ったこともないし、常に優しい人だった。
同級生の親が共働きで遊んでもらえなくて、父が遊んだ次の日にいつも嫌なこと言ってくるのに、ほんとにありがとうって照れながらお礼を言いにきてくれた。
大人になって、サプライズのために友達が実家にいった時もみんなが大ファンになってくれた。あんなに優しいおもろい人おらんなっていってくれた。
そんな父から、音が奪われるって、本当に辛いと思う。
髪の毛も真っ白で、もともと小さい体もさらに小そうなって。上手く会話できない父をみていると、なんで良い人ほど苦労するんやって思ってしまう。
でもな、絶対笑顔やねん。
父は音が奪われても、人を笑顔にすることに貪欲なのは変わらなかった。
世界で一番強いのは優しさなんや。音のある世界も、音のない世界も優しい人が一番強いんやって父を見て心底わかった。
優しさだけでは食べれないと言われるくらい、優しく生き続けるというのは努力も忍耐もすごく必要だ。
難聴は外から分かりづらいから嫌な顔をしてくる人もいる。わたしは悔しいから文句言いそうになるけど、ぺこって頭下げてもう一度尋ねる父をみて、引っ込んで心の中でこう叫んだ。
「芸能人でも大金持ちでもない、イケメンでもない。でもな、お前の父より、わたしの父の方がめちゃくちゃかっけぇんやからな!」
わたしはまだまだ全員には優しくできなさそうだ。
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