mocci(もっち)

そばにある愛や優しさについて書いたり、泣いたり、笑ったりしてます。教育とART界隈に生…

mocci(もっち)

そばにある愛や優しさについて書いたり、泣いたり、笑ったりしてます。教育とART界隈に生息のちんちくりんです。

最近の記事

映画「はちどり」の中に、1994年を生きたわたしがいた

韓国映画の勢いが止まらない。多くの人がその社会性を真正面から描く韓国映画に憧れさえ描いているのではないだろうか?わたしは、その憧れを描く一人だ。 昨年、韓国映画業界では「パラサイト」が大きなムーブメントとなったが、同時期に公開した「はちどり」も多くの支持を得た。 主人公のウニを通してみる1994年の韓国...の一家庭の小さな世界。それは、わたしが過ごした14歳と同じだ。 ウニの痛みや孤独さが苦しいほど伝わる。 ウ二と自分を重ねて考える。わたしたちを取り巻く環境は変わっ

    • 消えたいなんて思ってない

      その選択。わたしのとても大切な人も。友だちの大切な人も。バンドをやってたあの子も。自ら命を断つ、その選択をして、わたしの目の前から消えてしまった。 それは突然で、でもきっと突然なんかじゃない。 その事実は、そっと触れてはいけないことのように綺麗に箱の中に入れられてしまう。思い出そうとしてもその部分だけ、ぽっかり抜けてしまっている。だから最後の会話も思い出せない、だって最後がよくわからないから。 生きるのが辛かったり、生きていると誰かの迷惑だと思い込んだり、その選択をする

      • 必ずみててくれる人が一人は現れる、だからわたし生きてこれた

        わたしは短大卒です。 四年生の大学には行っていません。 このことを言うのがすごく恥ずかしかったんです。 でも、今日はこのことを言いたいと思います。 10年前も、今日だって、大学を出ていると思われて投げかけられる質問に、いつも申し訳なさそうに「わたしは短大卒なんです」と答えてきました。 田舎からでてきて、栄養のことしか学んでこなかったわたしは、違うことをやりたいと思っても、入り口にも立てない思いをたくさん経験しました。 それでも、コツコツ自分の場所で生きて、チャレンジして

        • 自然を愛する王子と、わたしの旅の話

          「mocciが好きなものは何?何に興味があるんだい?」 初めてバリ島に訪れたのは、4年前だ。 初海外偏でも書いているが、 わたしはビビり。過剰に旅前はビビりになる。なので、旅たつ前にその国をよく調べる。探偵のように行ったことある方々に聞いてまわる。 野犬が怖いとか、お釣りを騙されるとか、クラブが楽しいとか、ナイトプールが楽しいとかリゾート側面の情報が多く、またまた怯えてしまっていた。パリピばっかりだったら嫌だなぁ。。。と偏った心配を抱いて向かった。 さて、バリ島につ

        映画「はちどり」の中に、1994年を生きたわたしがいた

          沖縄からレターが届きました...!

          初回から少し日がたってしまいましたが昨日の夜中にラジオの2回目を放送してみましたデス。 学生のときに文化放送の深夜放送聞いてた自分を思い出してます。 今回はちょっと問題があり、なんと途中から録音をつぎはぎで、ちょっと失敗もしちゃいました...(小声)。 レターや一緒におしゃべりしてくださる方も募集(いや、凄く欲しがりやしてます...!) 夜お時間あるときに聞いてみていただけたら嬉しいデス。

          沖縄からレターが届きました...!

          あんたにあの人たちの生活想像できんの?て言われた夜の話

          頑固一徹。そんなあだ名がついても仕方ないくらい、昔から無駄に正義感が強かった(あだ名つくのは絶対に嫌やけど)。 そんな一徹が、自分の正義感の薄っぺらさに気づかされた出会いが、20歳そこそこの時にあった。 先輩と呑みにいくと、お店に赤ちゃんをつれてきた若い女性が2人入ってきた。そこは、なんか...音楽もうるさいし、タバコ臭いし、お酒嫌いだし...早く帰りましょうと真顔で何回も先輩にいうくらいの場所だった。そんな場所に赤ちゃんが2人目に飛び込んできた。20歳そこそこのわたしは

          あんたにあの人たちの生活想像できんの?て言われた夜の話

          ラジオはじめてみましたデス

          ずっと勇気が出なくて、チャンネルだけ開設して放置していたのですが...一発取りでエイヤっと投稿してみました。 そしたらば、見事に支離滅裂感パない感じになりました。大事なとこでガチガチになるのに思い切るめんどくさい奴ですデス(すみません)。 ゆったりした時間に聞いていただけたら嬉しいですデス。 こんなこと話てなどの反応もいただけたら嬉しいですデス。 もっと学びに関して発信していける環境を作れるように頑張りますデス。

          ラジオはじめてみましたデス

          ティファニーと赤いトレーナーで迎えた19歳の誕生日の話

          18歳のころ、自分のできないことをぜーんぶ両親のせいにして、ツンツンしていた。 この両親じゃなかったら「もっとキラキラした人生」だったんじゃないか?と八つ当たりの気持ちでいっぱいだった。村で育てやがって、不細工に生みやがって、...とにかく生みやがって(言葉つかいまで大嵐)。 そう、理不尽を絵に描いたらこんなんやなという18歳をやらしてもろてた。 その年は、初めて一人暮らしを始めた年。 バイトを掛け持ちして働いて、栄養学を学びに学校へ通いながら途中からは声優学校にも通

          ティファニーと赤いトレーナーで迎えた19歳の誕生日の話

          14歳のとき10人10色という作文を書いたら、みんなを少し苦しめてしまった話

          わたしはいじられやすい。 いまもむかしも変わらず、いじられるタイプだ。 初対面から「おいしいと思ってるやろ〜?」と聞いてくる相手には要注意だ。笑顔で「はい!」と応えて、気づかれないようにでも関わらないように絶妙な距離感をとっていく(気づいてるかも知らんけど、知らん)。これだけ、いじられ歴が長いといじり対応は慣れたもんだ。 そして、愛のあるいじりはすぐにわかるようになった(ここ大事)。 でも、14歳の頃はそんな技もなく、全力で受け止めては落ち込んでいた。 溜まりに溜ま

          14歳のとき10人10色という作文を書いたら、みんなを少し苦しめてしまった話

          どうしてすぐに泣くんだと首根っこ掴まれたわたしと、怒られた母の話

          「ごめんなさい」「ごめんね」 ちいさな頃にからだに染み付いていた、わたしの口癖だ。 中学生になるとき、つーくん(同級生)に「お前、悪くないときは絶対あやまるなよ。約束な」て言われたのがいまも心に残る。 わたしには謝っても謝りきれなかった、自分が不甲斐なかった想い出がある。 小学1年生の時、わたしはとても気弱な女の子だった。そして、涙腺がナイアガラの滝かっていうくらいにゆるゆるだった(ふざけてなくて本気)。 辛いことがあると我慢しても我慢しても最後には涙がでる。わかっ

          どうしてすぐに泣くんだと首根っこ掴まれたわたしと、怒られた母の話

          自己肯定感低空飛行から這い上がり中のしろくて、もちもちして、まぁるい奴の自己紹介

          はじめまして、mocci(もっち)と申します。 数日前からnoteをひとっこひとりに言わず秘密のアッコちゃんのコンパクト的な感じで始めました(♯伝われ)。 単純にしろくて、もちもちして、まぁるいものに似ているということで、mocci(もっち)というペンネームにしました。 この、ぼたもちほっぺのおかげで、食べてる姿を見るとお腹が空くわー!と人さまに言わせることを特技としています。 普段はカタカナの業種たちに関わっていますが、いなかっぺぇがおしゃれぶるんじゃないよ!て感じ

          自己肯定感低空飛行から這い上がり中のしろくて、もちもちして、まぁるい奴の自己紹介

          優しさをGIVEし続けた父から、音が奪われた日の話

          「優しさには見返りを求めたらだめだよ」 父は色々愚痴るとわたしによくそう言い聞かせた。 わたしによく似たまん丸の顔によく笑う目と口、同じくちんちくりんだ。 父はわたしたち家族にもお客さんにも道端で困っている人にも、同じくらい全力で愛をむける人だ。 人助けをして何針も縫って帰ってきたこともあったし、交通事故から人を救ったこともある。運動神経は良くないのに、体が咄嗟に動いてしまうのだ。 中学生にもなると優しすぎる父が損してる気がして、よく理不尽に怒ったものだ。 人を笑

          優しさをGIVEし続けた父から、音が奪われた日の話

          スリにばっかり怯えて訪れた初海外は、やさしいが溢れてたんだよって話

          初海外は2011年。東日本大震災がおこってしまった年だった。 2011年3月11日の記憶は自然の大きな怒りのようなシーンで。ひたすら毎日ニュースを追うのに必死になっていた。 当時デパートには、東京からのお客さまが増えて忙しかった。自粛ムードの中、売り上げはいつもより上がってて。残業しながら、なんで東京の人がたくさん逃げてくるんだろう、福島の人たちはなんとかここに来れないのかって感情的になってしまってた。そんくらい、自分もまわりも言葉になるけど出せない言葉にぎすぎすしてた。

          スリにばっかり怯えて訪れた初海外は、やさしいが溢れてたんだよって話

          いなかっぺぇが、京都のいけずに鈍感なまま、高級デパートの中で店長してた話

          「え?村?てなに?」 日本人は、村という存在を忘れてしまっているのだろうか。市でも町でもなく、わたしは村育ちだ。 正真正銘いなかっぺぇである。 村出身というだけでちょっと色眼鏡的な、いや村眼鏡的な(そんなんないけど)ものを通して見られるのは慣れたもん。 釜で米炊いてないから(お風呂は薪だけど)、井戸水飲んでないから(洗濯は今も井戸水)、木で火おこしてないから(余談:おじいちゃん木こり)、コンビニとか....未だにないけど、でも同じ日本だよって感じで。 そんな、わたし

          いなかっぺぇが、京都のいけずに鈍感なまま、高級デパートの中で店長してた話