30代の熱量と葛藤と折り合い

ルックバックを映画館で見た。泣いた。

漫画で初めて読んだときも泣いた。単行本を買って読んだときも泣いた。

ルックバックを見ると、自分の空っぽさを突きつけられてるような苦しさや何者にもなれなかった敗北感、そして真っ直ぐに突き進める眩しさや憧れなど、様々な感情がない混ぜになって脳が揺れる。

私は気持ちが揺れやすく安定感がないタイプだ。なにかキッカケがあると、振り子のように大きく感情が揺れ動いて止まらなくなる。それのせいで人の信用を失ってしまうことが多々ある。

しかし、ここ最近は「自分をダメ人間だ」と認めることで、だいたいのことがどうでもいいと思えるようになってきた。感情の揺れ幅が以前よりは小さくなってきた。

しかし、ルックバックのように実直に戦って悩みながら進む姿を見せつけられると、私の思考は自分自身を納得させるための言い訳なのではないかという葛藤がでてくる。気持ちを安定させるために、人間としての熱量や感情を捨てているような気持ちになる。

一応言っておくと、「よっしゃ今から漫画家になるか!」「有名になるぞ!!」みたいな荒唐無稽な話をしているのではない。

「自分をダメ人間だと認めて、ある程度は適当に生きる」という指針は、私に合っていて間違いではない。しかし、私の中にある本音に蓋をしている行為でもある。

本当は熱量持って仕事がしたいし、悔しくて涙するようなことにも打ち込んでみたい。ただ、心の安定を保つために、それらに近づかないようにしている節が最近は特に強い気がしている。

さっきも言ったが、今からなにかのプロを目指すとか、ルックバックがキッカケで新しいことを始めるということではない。ただ、「自分を納得させ続けるのが正解なのか?」という葛藤する気持ちは持っていたいと思った。葛藤がなくなったら終わりのような気がしている。

この先、加齢や体力の低下は避けられない現実である。周りの人間もいろんな意味でどんどんと変わっていく。「今の年齢でこんなに青臭いことやってていいのか?」と迷うときがきっとくる。そのときに折り合いをつけるのか、葛藤して戦うのが正しいのか今の自分にはわからない。

今、自分が気持ちを安定させる方法や思考を身につけるのは正しい。しかし、ときどき立ち止まって自分自身の思考の波に飲まれていないか確認するべきなのかもしれない。

ルックバックのような作品を見て自分を振り返ってみると、いかに自分の精神年齢が低く、幼稚なことがよくわかる。

しかし、焦ってはいけない。今の自分はこのレベルなのである。いきなり変わることはできないし、何者かに急になることはできない。

数年したらまたルックバックを見ようと思う。そのときの自分がどんな感情になっているのかまったく想像がつかない。

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