「頑張ってる人が好き」という怖さ

マッチングアプリなどで異性に求める条件として、「頑張ってる人が好き」「仕事が好きな人が良い」などが書かれているのを見ると怖くなってしまう。金曜日にジェイソンと出会うよりもよっぽど恐怖感が強い。

この人は私が働けない状態になったときに愛想を尽かしてしまうんだろうか……などと考えてしまう。

もちろん女性側はそんなことを意識せずに書いているはずなので、「くそやろう!こんなこと書く傲慢なやつとは付き合えるか!!!」などと主張したいわけではない。あくまで例えでの話しであって私の主張では決してない。決して。というか、そもそも写真と文章だけで人の本質を知ろうとする仕組み自体が悪である。そんなもんで人間を知った気になるな。つまりマッチングアプリはクソである。

このままだマッチングアプリへの恨みつらみが爆発しそうなので話を本筋に戻そう。頑張ってる状態が好きというのは、人によっては極度のプレッシャーになってしまう。冗談ではなく、私は押しつぶされてゲロを吐いてしまうだろう。

昔、記事執筆の依頼メールに、「これでPVが上がらないと私の給料に響くんです」と書かれていたことがあった。相手側は冗談で書いた可能性もあるが、私はプレッシャーに押し殺されるような気持ちになってしまい、返信することができなかった。当時は精神的に余裕がなかったので、その依頼を受けることを考えたただけで胃がキリキリする思いだった。(その人が嫌いとかではなく、そのときは過度な重圧に感じてしまった)

また、現在、放送中の宮藤官九郎脚本のドラマ『不適切にも、ほどがある!』の中でも、「期待してるよ!」などの言葉がパワハラになるという内容が取り上げられていた。

自分が何気なく口にしてることが誰かのプレッシャーになることは多々あるのだろう。

さて、話しはマッチングアプリに戻るが、冒頭の「頑張ってる人が好きです!」というプレッシャーをかけないようにするために、逆張りして「だらしなくて仕事しない人が好きです!」なんてことを書けば良いというわけではない。むしろ、そんな人とはなおさらマッチしたくなくなる。え?俺、首輪つけられて飼い殺しにでもされるの?とか別ベクトルの恐怖を感じてしまう。それこそインターネットという名の仮面を被ったジェイソンなのでは?と疑ってしまう。

ただ、こういった自己主張を書くことは大切なことでもある。なぜなら私のような頑張りたくない弱弱男性をフィルタリングして弾くことは期待できるからだ。なので、異性を慎重に選びたい人は極論をプロフィールにバンバンと書くべきである。「私はジェイソンです。金曜日が好きです!でもチェーンソーの方がもっと好きです!」などと書いたほうが、理想のジェイソンに出会える可能性は高い。もちろん99%の男をチェーンソーでぶった斬ることにはなるが。

ちなみに私はマッチングすること自体に必死な弱弱男性なので、「楽しく過ごせたらいいな」などという毒にも薬にもならないチンカスみたいなプロフィール文を羅列している。私にはこの道しかないのである。極論などという刀は私には重すぎて扱うことができない。

門戸を広くして多くの人に出会うか、狭くして狙いの異性とだけ付き合うことを目指すかは難しい問題である。やはり、マッチングアプリのような仕組みで相手の本質を判断するのは到底無理な話しなのである。つまりマッチングアプリはクソ。

ということで、これから私は酒を呑みながらプロフィール文章を読んで、「くそやろう!こんなこと書く傲慢なやつとは付き合えるか!!!」と人間の本質を見ずに暴言を吐く作業に戻ろうと思う。チンカスみたいなプロフィール文を並べて自分を偽ったインターネットという名の仮面を被って、悲しき怪物は今日もマッチングを目指すのである。


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