見出し画像

デザインの理屈

芸術はなんて自由なんだろう。
これをしては芸術ではないと言える基準がない。

例えば紙やオブジェに色とりどりの液体をぶっかけて
ランダムに飛び散った状態を脳内補完して
『覚醒』やら『戦争』やら『青春』やらのタイトルをつけたりする。
自分はこれが好きではない。

最後に黄色をぶっかけたのは何故?
青色だけ一番遠くまで飛び散っているのは何故?
よろめきながらかけていて成功?ただかかっていれば良い?

それらに説明が出来るのだろうか。
このバランスが芸術ですとか、どうも責任がないように思える。

そもそも芸術は説明なく鑑賞者が大きく何かを感じとれれば
立派な作品なのです。とか。
そう言われると実は何も言い返せないんだけど。


さてデザインとなるとそうはいかない。
作品の8、9割をは説明できてほしい。
『この無造作な感じがかっこいいんで』
なんて言っているデザイナーはクソかっこわるいと思ってしまう。
無造作にみえる計算をして理屈を込めよう。
芸術が自由ならデザインは設計だ。

形の設計をし、その形を選んだ理屈、
もしくは適当に描いた形が良いと感じた理屈を探す。
そこが何故尖っているのか、丸が何故5個なのか。

そうするとデザインに奥行きが出来る
もしかしたら大半の人は
正面からしかその形を見ないかもしれない。
でもあらゆる設計は具体化されると表面上しか伝わらないものだ。

いつかどこかで誰かが気づくことを楽しみに
さぁ次の設計をしよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?