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2-07「美しさ」

7人の読書好きによる、連想ゲームふう作文企画「杣道(そまみち)」。 週替わりのリレー形式で文章を執筆します。前回は親指Pの「カントの背後にまわって、美を穿つ」でした。今回は蒜山目賀田「美しさ」です。それではお楽しみください!

【杣道に関して】
https://note.com/somamichi_center/n/nade6c4e8b18e

【前回までの杣道】
2-06「カントの背後にまわって、美を穿つ」/親指P
https://note.com/kantkantkant/n/n1042c57828f5

2-05「二人劇」/葉思堯
https://note.com/celes/n/ned45d87e934a
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 海面の照り返しが眩しくて、目を開けていられないほどなのに目を逸らせずにいる。車両のなかは年末らしい幸せな解放感で賑やかだった。乗客のコートや床や、座席のシートに冬のきびしい光が休まず滑り続けていく。彼はボックス席の窓側に座っている。向かいの席で腕を組み、目をつむっている男性をじろじろ観察する。キャラメル色のロングコートはしわひとつなく、腕にかけたマフラーは幅が太いから、首に巻けばたくさん皺がよるだろう。そうなると、コートとうまく引き立てあうのか、それとも全体のバランスを崩すのか。足元に視線を落とせば、ローファーから覗く靴下に見覚えがある。同じものを持っているのだ。無印良品で買ったものだ。
 電車が駅に着くと、向かいに座っていたその男性客はすっと顔をあげ、無駄のない身のこなしで降車した。立ちあがったその人は案外背が高い。背が高い人は好きだ。
 ロングコートの男性のいなくなった向かいの二席には今度、思春期な少年ふたりがやってきた。方言の響きが懐かしい。片方ずつにしてイヤホンを共有し、それぞれの画面に夢中で、思いついたことがあれば、相手の顔を見ずに口にする。その様子を前にして彼は、まっとうな青春というイメージに丸め込まれてしまいそうで苦しい。
 思わず目を伏せ、携帯を取り出した。見ると、友人から画像つきのメッセージがきている。旅行先の写真だった。つい先日、久しぶりに会った日から、なんとなくやりとりが続いている。
 一枚目は人でごった返す市場の様子。二枚目は、建物の外壁に描かれた天使の翼の絵の前でポーズをとって記念撮影する人たちを、離れた場所から撮影した写真。それに対してか、「はしゃいでるね」といじわるなメッセージ。「ここ壁画?おおくてさ」そのあと、別の壁画の写真。「こういうの好きそう」毒々しい色彩をふんだんに使い、いやに写実的なタッチ、しかし歪んだプロポーションで描かれた少女が、月の下、キノコの生い茂る草原でロバと一緒にハムを食べている壁画だった。
 その友人も含めた女友達三人と年末に飲んだとき、普段の食事の話題になって、撮りためていた朝食の写真を見せたら「イメージ通りだ」と笑われた。豆腐、ヨーグルト、そば、コーンフレーク。彼の服や持ち物はほとんどすべてが無地で、部屋にも物は少ない。小さい頃から、片づけることが大好きだった。「でもグロいやつとか極彩色っていうか、好きだよね。ゴスロリとか好きでしょ」
「や、ものによる、ものによるんだけど、けどサイケなのは大好物だね、見るぶんには」
「グループワークでものすごいポスター作ってきたことあったよね。お前は蜷川実花かよ、みたいな」
 三人にはそれぞれ、彼にだけ打ち明けた話がある。四人全員には共有されていないことも、彼だけは知っている場合がおおい。親戚の前科、不倫をしていること、通院歴。そのせいで逆に、四人のなかでは彼についての個人的な話だけ、濃く共有されている。
 いろんな正しさがばらばらに乱立している。いろんな正しさがあっていいという、思考放棄の態度すらも市民権を得ている。そのなかで、まさに自分がなにを大切に思えばいいのかがわからない。整頓する手がかりを見失っている。そんな四人だった。
 彼の目の前で少年が、「あっ」と小さく叫んだ。隣に座るもう一人が、「どうかしたのお?」と声をかける。それが妙に甘ったるい口調で、意識せず甘い声が出たことに自分で照れたのか、少年は同じセリフを「どうかしたっ?」「どーかした?」「どしたーん?」と、少しずつ変えて言い直す。一発目のトーンを中和しようと、調整しながら繰り返した。立て続く質問に対し相手はそっけなく、「や、別にい」と笑う。


 彼は電車を降りた。駅のそばの中華屋にはいる。汚れた店構えにそそられた。あんかけ炒飯を食べたあと家電屋をぶらついて、商品に対し、胸のなかで文句をつける。付属オプションのヴァリエーションで勝負しやがって。なにが足されてるとかじゃなくて、なんでもない、ただのプレーンなやつを作れよ。買うつもりはなく、悪口を思って遊んでいるだけ。
「無印良品さえあれば暮らせるでしょ」飲み会ではそんなことも言われた。シーザーサラダを箸の先でいじくる友達が、真剣な目つきで問いかける。「誰かと暮らすのはまあ無理としても、生き物飼うってあり得るの?」彼も真面目に考える。「動物に生活が支配されちゃいそうだからねえ」
「無印が出したら買うでしょ。無印良品の犬・猫、チャコールグレー、ベージュ、ネイビー」


 一年ぶりの実家に花柄のスリッパ、手作りの布カバーに包まれたドアノブ。手作りの布カバーに覆われたティッシュ箱、意味もないかわいくもない置物、模様だらけの掛け時計。なにより、こってりと甘ったるい芳香剤。しつこい装飾性に神経が過敏になる。げんなりする。わずかな音さえ気に障る。ここにはいたくないが、行きたい場所も会いたい人もやることもない。消去法的にぼんやりと、すけべ心が浮かんできて、ここ二ヶ月近く触っていなかったアプリを開いてみる。
 いつまでも追い越せない月のような給水塔に見下ろされながら片手で自転車を漕ぐ。交互に運転を交代する手が、ポケットのなかでカイロを握りしめる。湖を取り囲む保護緑地のなか、目印にした噴水の前で落ち合った。暗黙の了解のもと、黙って暗がりに移動する。朽ちた材木、投げ捨てられた炊飯器や三輪車。虫のわかない季節だけれど、雑草はしっかり茂っている。湖からは洗う水槽のぬめりを思い出させる、養分の多そうな悪臭が流れてくる。
 錆びたドラム缶が汚かった。彼はひざまずく。顔の位置のおかげで、水の生臭さが濃くなった。膝から足先まで、かなり冷たい夜露がしっかり浸透してくる。雑草の茎はかたく、直接触れるむきだしの足首が痛い。焦らされるのに耐えきれなくなった相手は、自分から下着を引きおろし、彼の頭をつかんで寄せる。彼はしばらくぶりに人のもので口をいっぱいにして、幸せだなあと思う。こんな自分の欲望をゆるす他人の体温があたたかい。汚されたいと思う。指で背中に書かれた文字を判読する遊びみたいに、舌でなぞる立体の輪郭を頭の中で組み立てることに没頭し、その体勢のまま首だけを動かして、視線を上にむけたとき、目に飛び込んできた冬の星空が、こわいくらいにきれいだった。


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輪番制作文あそび、二周目が完走されました!

次週からは3周目がはじまります。
2/7(日)更新記事の担当者は藤本一郎さんです。お楽しみに!


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