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9-02「鈴木におまかせ(仮)(4)」

連想ゲームふう作文企画「杣道(そまみち)」。 週替わりのリレー形式で文章を執筆します。

9周目の執筆ルールは以下のものです。

[1] 前の人の原稿からうけたインスピレーションで、[2]Loneliness,Solitude,Alone,Isolatedなどをキーワード・ヒントワードとして書く

また、レギュラーメンバーではない方にも、ゲストとして積極的にご参加いただくようになりました!(その場合のルールは「前の人からのインスピレーション」のみとなります)

【杣道に関して】https://note.com/somamichi_center

【前回までの杣道】

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今回の原稿は、蒜山の6週目の原稿「6-07「鈴木におまかせ(仮)(1)」」および「7-03「鈴木におまかせ(仮)(2)」」、8-03「鈴木におまかせ(仮)(3)」の続編としても書かれています。

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 玄関を内側から塞ぐ板は簡単には割れなかったが、唯一、膝くらいの高さのあたりにだけ穴があいた。人のはいれるくらいの大きさになるまで、というか桐谷の娘だという改造人間の頭部は精密機械なわけだが、それが傷つかずにすむのに充分なサイズになるまで、穴をひろげる。少年と私と借金取りとで交替して作業し、汗だくである。ひろげた穴へ、腰も頭も低くして、体をこごめて通過して、頭をあげると家のなか、というより店である。小さな軽飲食店。涼しかった。学食みたいな簡単なイスとテーブルが八組分並んでいる。もちろん人はいないし、BGMも、食べ物のにおいもない。不気味さとノスタルジーが混じった、居心地のよいさみしさが漂う。どうしてか、昔行った研修旅行のことを思い出した。出発は夜だったが、当日に急に葬式がはいった。斎場を出て、その足で研修にむかったのだった。故人は友人だったが、患っているとは知らなかった。
 借金取りは「借金取り」のイメージとは違っていて、アニエス・ベーのシャツを着ていたし、後ろ髪は品よく刈り上げている。一人称が「俺」なのが意外なほど。
 少年は振り返らずに勝手に進む。この空間が軽飲食店のそれだとして、バックヤードにあたる暗がりへと消えていくから、こちらも黙ってついていくしかない。
「桐谷さんもうじき死ぬんですよ」不意に不穏なセリフを借金取り。
「さっきも聞いたんですけど、それ、どういうことなんですか」尋ねると、
「どういうことっていわれても、人は死ぬからねえ」
「そうじゃなくて、病気してるとか、事情があるんですか」
「どういうことっていわれてもねえ」要領を得ない。
 狭い通路を抜けきると、おそらく相当に広い座敷に出た。というのも、真っ暗で、広さが見えないのだ。照明はただひとつ。昭和っぽい吊り照明がひとつだけ、ぽつんとともって、すぐ下の畳だけ照らしている。そこだけぽっかり白いのが、罠のような安心感だ。囲む闇は深く、壁やふすまは見えない。遠くでなにかが鳴っているが、よく聞こえない。少年は畳に座り、カメラ人間も座る。夜の森のテントにいるようだった。私と借金取りは、座るかどうか決めかねている。カメラ人間にストロボを焚いてもらえれば暗闇でも進めるかもしれないと思いかけたが、そうか、シャッターは桐谷に握られているのだからそれは無理か。私は戸惑って、
「間取りどうなってるんだろう。急にファンタジーですねえ」呟くと、少年と借金取りに同時に反論される。「姉の改造からしてそうでしょうよ」「人の頭カメラにする人の家ですよ」
 私は笑って黙る。姉=カメラ人間は、家にはいってから一言も発さない。
ユダヤ人を真っ暗なトラックに詰め込むと、全員が扉に殺到して車の重心が狂う。しかし、荷台の中心部に電球ひとつぶらさげれば、人は自然とそこに集まる。ナチスの元軍人がそう言っていた。私は座り、隣に借金取りも座る。演劇青年のような見た目のこいつに、うさんくささを覚える。少年とは知った仲らしい。
「君がいなかったらここまで来れてないよ」借金取りが少年に、意外にも感謝の響きだ。
「こっちだって、あなたがきたからこういう流れになったわけで」少年もまた、意外にもやさしい応酬をし、しかし二人とも私についてはありがたがらない。
「思いつくことでも、やりはしないだろうなって行動をすると、自分の小ささを思い知りますね」
 借金取りのくせして、企業研修初日の振り返りの時間に感想を求められた若手社員のようなことをいう。
「涼しいところにきて体が冷えてきて、なんだか心に余裕っていうか、余白が生まれた気がします」対して弟だって、毒にも薬にもならないホーム・ドラマに登場する、善良で退屈な脇役の言葉だ。それから再びの沈黙。全貌のわからない空間のなか、人探しのためのわれわれのはずなのに、そこだけ照らされた畳にちんまり車座で黙っている。まるで遭難の夜である。そういえば食べ物もないし、登山届も出していない。桐谷の家のなかでどうにかなってしまったら、憧れの「行方不明者」として人生が終わる。
 遠くで鳴る音が途切れた。急に、自分という存在がある、ということが浮き彫りになった。突き放されたような気がしたし、我に返った、という感覚もあった。どれくらいここにこうして座っているんだろう。どうして、じっとしているのか。
 浮気へのあてつけに別の人と関係を持ったら自分だけ立場が悪くなり、しかも関係を持った人はしれっと転校していった。借金取りを相手に、少年はつらつらと打ち明け話。自分がそこそこモテることを得意に思ってるんだな。ずっと黙っている姉を見ればびくともしていない。それどころか、橙色にほの明るく灯っていたはずの電源ランプが消えている。少年の語りに横入りして指摘する。寒暖差もしくは低温のため、電源が落ちたのだという。毛布かなにかを着せて温めなくちゃ! 宣言して暗い闇に少年が消えていった。

 戻ってきた少年の手には、青い、生地のよさそうなカッパがある。それは数年前、桐谷が気まぐれに購入した古着だ。元の持ち主は朝鮮特需のころ、狛江の部品工場の末娘として生まれた。八歳ではじめて教会に足を踏み入れた。すぐ、教会のオルガンで遊ぶようになった。実家は航空業とかかわるようになってより一層拡大、多摩川住宅に引っ越しをしたが、演奏の練習に教会に通う。三島由紀夫が死んでから谷保の音楽大学に進む。音楽大学も学生運動とは無縁ではなかったが、娘は遠巻きに見ているだけだった。鍵盤を叩きながらも人並みの青年時代を過ごし、ポップスだって聴いた。七十二年初夏、原口歌教授の青山でのリサイタル。吉祥寺の伊勢丹で買ったおしゃれ着で出かけ、昼食がてら早い時間に待ち合わせた学友たちも皆一張羅だった。ただ、全員ほかにも羽織ものを持っている。それで、都心でのショッピングを楽しみたい気持ちを使い、渋谷の西武で買ったのがこの青いカッパだった。結婚後、原口先生に憧れスイスと台湾に旅行したが、旅行中に実家工場が全焼した。多摩川の水害被害もあった。東久留米の団地に暮らした。自治会と子育てに夢中で、いつしかピアノを触らなくなった。子供が二人とも小学生にあがるころ、足立区に家を買ったが、それからまた、暮らし向きは傾いた。苦労した。そのときにまとめて売り払ったもののなかにカッパもあり、これがいま桐谷の家にある。夫は早逝し、女性は綾瀬の自宅で、ピアノ教室を開き、現在まで後続の育成につとめている。


<<つづく>>


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