韓国で過ごした夏

韓国で過ごした夏は4回ある。
その時の話をしようと思った。

一度目の夏は一度目の留学時。
時は2002年で日韓ワールドカップ。
大学のテレビとかモニターというモニター前すべてが、韓国の試合のたびにライブビューイング会場になっていた。
学生たちはみんな赤い服を着てあのリズムを刻んで韓国の勝利に歓喜していた。
それと同時に日本の試合の時にもライブビューイングが行われていた。こちらでは失点のたびに歓喜の声があがっていた。そんな学生たちを見て日韓関係の現実を目の当たりにした初夏だった。

 韓国の最終試合開始1時間前、自分はソウルから高速バスに乗って大学の寮に戻ろうとしていた。試合に備えて国民たちはテレビ前にスタンバってたらしく乗客は大型バスに自分を含めて4人しかいなかった。運転士は試合を見たいらしく、ただでさえ通常時120km/hぐらいのスピードで走る高速道路を140〜150km/hで飛ばしていた。もちろん高速を走っている車もまばら。そして客も4人しか乗っていないバスは軽いらしくリニアのように宙に浮いた感じでつっ走り続けた。通常1時間半から1時間50分ぐらいかかる道を1時間もしないで走破して寮に着いた。韓国人にとって大事な試合の日にバスに乗るまいと心に誓った日だった。

そうして学期が終わり夏休みに入った。2ヶ月ある夏休みのうち1ヶ月だけ日本へアルバイトをしに一時帰国した。
日本への一時帰国時の飛行機、離陸を開始したら突然隣に座っていた女の子が泣き出した。
何となく放っておけなかったので声をかけてみた。すると彼女はこれから日本留学開始する学生さんで空港まで送ってくれた親を思い出して泣いていたのだという。
留学への不安な思いとか、
親が2kgキムチを持たせてくれた。とか
どれくらいで日本語が話せるようになるんだろうとか、
飛行機の窓の外の雲を指差して日本語でなんて言うの?
とかとか会話した記憶がある。
自分は当時まだ韓国語学習歴3ヶ月で実はそんなに韓国語は出来なかったが、不思議と彼女の言う韓国語はよく理解出来た。
成田空港へ到着。日本人はすぐ入国出来るけど、外国人用の長蛇の列に並んだ彼女が入国審査を終えるのを待って荷物を一緒にピックアップした。キムチ専用のカバンと言っていたカバンは2kg以上の大きさがあるように見えた。
出口で彼女には語学学校のスタッフっぽい人がお迎えに来ていた。自分は親が空港まで来てくれていたので彼女とはそこで別れた。
話しかけた時はなんだか心配だなって思ってたけど別れ際の彼女は笑顔だったのでなんだか彼女は大丈夫だろうと思った。

一時帰国中は日本で通っている大学の入試課のアルバイトと元々アルバイトしていたスーパーでのアルバイトをわりと詰め込んだ。
詰め込みすぎて1ヶ月くらいで3kg痩せた。

8月の初めに山口県在住の親戚の家を経由して関釜フェリーで韓国に戻った。下関のターミナルに入った瞬間に異臭に気づいた親戚が、「これがキムチの匂いってやつかー!」とテンション上がっていたのが印象的だった。
自分は金浦空港で“飛行機降りたらキムチの匂い”という都市伝説を聞いていたけど実際には仁川しか使ったことなかったので“これがあの噂の匂いか!”とワクワクした記憶がある。その後金浦空港を使うことはあったが伝説のキムチの匂いとやらはよく分からなかった。
 関釜フェリーが自分にとっては初めての長距離の船だった。縁起は悪いがタイタニックみたいだと思った。
海は台風の影響で荒れていて、大型のフェリーは大きくゆったりと揺れていた。料金は覚えてないが学生割引が効いて安かった。大部屋で部屋はワイワイ賑やかだった。出航してすぐ寝て12時ごろに起きて少しフェリー内を散策したりしたあと二度寝して朝5時ぐらいに起きた。
5時ぐらいにはフェリーはもう止まっていたのでその時間には釜山港近くまで着いていたんだと思う。
船酔いというやつを心配したが全く感じなかった。よかった。
フェリーの中に日本の公衆電話と韓国の公衆電話があった。釜山港への下船が始まった時、試しに日本のほうの公衆電話で実家へ電話してみたら通じたのでちょっと感動した記憶がある。
「釜山港で日本の公衆電話で家に電話したを架けるってなんだか不思議な組み合わせでワクワクした。」

釜山港のターミナルで地図を見つけて釜山の鉄道駅へ移動してそこで永登浦駅駅行きのムグンファ号の立ち席の切符を買った。ここも学割が効いてすごく安かった。1万5千ウォンはしなかった。安過ぎたことに気づかず、勝手に日本円で1万5千円ぐらいの感覚でいた。だいぶ経ってから安!!と気づいた。

ムグンファ号に乗って食堂車へ行き、朝ごはんを頼んで食べた。窓向きの席でずっと外の景色を眺めながら鉄道が進んでいったが、自分が乗ったフェリーを揺らしていた台風は韓国に上陸していたらしく、畑や田んぼは広範囲で水没していた。でも空は台風一過の快晴でとても心地よい空に見えた。不思議な光景だった。

その日のうちに留学先の大学へ辿り着いた。
その8月は日本からの訪問客が多かった。幼馴染の友人と、両親がソウルに来た。友人とはソウル市内の定番の史跡とかを中心に観光した。
両親はガイドさんから板門店ツアーを勧められ(1万円と高額だったので)ぼったくりを疑っていたが、自分はどうしても留学中に板門店ツアーに参加したいと考えていたので親に自分も連れて行ってと頼んで一緒に参加させてもらった。板門店ツアーはやっぱり学ぶことが多かった。これは本当に親に感謝した。

8月の後半、同じ大学の日本人学生と日本人教師1人と江原道へ旅行した。夏の雪岳山とか江陵で海を見たり、統一展望台まで行ったりした。
統一展望台からは金剛山がちらりと見えた。空高くそびえる岩のギザギザが印象的だった。

そうして充実した8月はあっという間に終わった。

雪岳山は8月後半でも結構涼しかった。9月になると一気に紅葉が始まるよと言っていたので完全に北国の気候なんだと思った。といいつつ自分の通っていた留学先の大学のエリアも11月初めに初雪だったので十分北国だ。

個人的に好きな韓国の夏の味覚
コングクス:
最初食べた時は重くて辛かったが、2回目からは病みつきになるぐらい美味しく感じた。
もしかしたらお店に寄って当たり外れがあるのかもしれない。
大学の日本人の後輩は初めて食べる時にフーフーと冷まして食べていたが、コングクスは冷たい料理だ。後輩は韓国料理=辛い、熱いイメージだったらしい。ただ周りはその姿に爆笑して場は熱くなったのでヨシとした。
日本の“冷やし中華始めました”と同じ立ち位置の料理。“コングクス始めました”は夏の始まりの季語。

パッピンス:
かき氷の上に果物やらいろいろトッピングされたスイーツ。初めて韓国人の友人と食べた時に「混ぜないと美味しくないから」と全てかき混ぜられて食欲ゼロになったことからパッピンスは韓国人と食べないという誓いを立てることになった。

レッドマンゴー:
フローズンヨーグルトの上に好みの果物をいろいろトッピングできるスイーツ。レッドマンゴーはお店の名前。でも“フローズンヨーグルト食べよう”じゃなくて、“レッドマンゴー食べよう”と言い合っていた。ちなみに韓国人と行ってもこれはかき混ぜられなかった。パッピンスとの感覚の違いは謎。

冷麺:
本当はスプーンを使って冷麺を食べたいがそれは頑なに許してくれない韓国社会だった。
ちなみに日本の韓国料理屋だとだいたいスプーンがついてくる。冷麺の金属の器の質感があまり好きではないので口をつけたくないと思っていた。
お酢がついてくるので軽くひと回しかける。お酢好きにはこれが出来るのが本当に嬉しい。逆に日本の韓国料理屋だとお酢が出てこないことが多い。まあ言えば出てくる。
冷麺の梨をいつ食べるかいつも悩むがわりと早いうちに食べちゃうほう。
韓国の梨はすごくみずみずしくて美味しい。サイズは日本のより大きいイメージ。でも大味じゃない。留学先の大学で家が梨農家だという子がいて結構たくさんもらえて、何人かで山分けして食べた。美味しかった。ただ旅行とか行って唐突に梨だけを食べる機会ってあまりないので冷麺を食べる。

というか“冷麺”だけでこんなに文章が書けるとは思ってなかったのでちょっと驚いている。


その後韓国では3回夏を過ごした。
どれもなかなか充実した夏だったと思っているので気が向いたら書こうと思う。


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