『ガール・ピクチャー』を観て思ったこと

(本編内容に関する言及はほぼゼロ)

題名がキラキラ青春パリピみたいな感じの印象で、見るのを一瞬躊躇した。

フィンランド語での原題は『tytöt tytöt tytöt』。
tytötは女の子たちという意味で、この言い方はコラコラ小娘たち!みたいな否定的なニュアンスがあるらしい。

tytöt tytöt tytötの使われ方を知らなかったので原文を見た第一印象は、これも“女の子元気元気!”みたいな表現なのかなと思った。

でもパンフの中で監督さんは、女の子たちに向かって否定的な意味で使われる“tytöt tytöt tytöt”の言い回しがポジティブなものになるといいという願いを言っていた。

なるほど。思ったより監督さんの意図するものは深い場所にあった。パンフを買ってよかった。…というかパンフを買わなかったらこの意図に気づくことはなかった。
この映画を見てこの意図を知らなかったら?感じることがだいぶ違ってくると思う。

ということもあり、改めて映画のパンフの大事さを知ったし、外国映画を見ることの難しさを再認識した。


ふと自分は海外映画を見てどれぐらいの情報や監督の意図を理解しているんだろうと考えた。
映像本編、音、字幕もしくは吹き替えの言葉から得られる情報しか自分には分からない。

例えば歴史的背景やその国の風習とか。その国の人にとっては当たり前で気にも留めない空気のようなもの。
たとえばアベンジャーズの中での俳優同士で80年代、90年代に大ヒットした映画やアニメ、社会現象に基づいたやりとりがあったとして(実際あるけど)果たしてアメリカ文化に接したことがない人はそれを理解できるだろうか。

アメリカならまだなんとなく分かりやすい。

フィンランドは?

フィンランドの人がそれぞれの年代がどのようなコンテンツに接して来て、彼らは何に影響を受けたのか。

自分はそれを知らない。

かつて自分が子供の頃に接していたあのアメリカ文化たちは世界的に受けいられていたのか?フィンランドでも受け入れられていたのか?

学生時代にフットベースをやった時、ボールを飛ばしたベトナム人の友人は周りの人に走れ走れと煽られて1塁ではなく3塁に向かって走っていった。ボールを飛ばして1塁に走るのは野球のルールを理解しているからこそ出来ることで、当たり前じゃなかった。
自分は野球知らないって言うけど(細かいルールを知らないという意味)それぐらいは当たり前に知ってたということに当時の自分は驚いた。そんな記憶が蘇ってきた。
自分は日本で育って意識的に野球を見ていなくてもテレビなどで野球は垂れ流されていて無意識的に常識として頭に刷り込まれていたのだ。

今自分の頭を形成しているものはきっとほぼそういう刷り込みだろう...。

今回の映画鑑賞でふとそんなことを思いつつ、改めて他の国の背景を知ることについて考えた。

他の国での刷り込みは何か...


これからは日本映画を見る時より情報収集に心がけよう。パンフはもちろん、映像に写しだされている一つ一つのことに目を向け、俳優さんたちが描く人物のそれまで歩んできた人生を考えてみようと思った。

いい映画だった。

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