フィンランド語を勉強し始めて、得られた語学力以外のもの。

「語学学習をするとこんないいことがあるよ!」という語学学習者の声に懐疑的な語学学習したことがない人が問うことは「いいことって例えば何?」だろうか。
で、答え「視野が広がる」「旅行先で困らない」「外国人の友人が出来る」とか、外国語を勉強したことがない人にとってやや興味のなさそうなことばかりしか思いつかない。

海外行って外国人の友達を作ったりして視野を広げたいと思ってる人はもう外国語勉強している。それらに興味がないから勉強しないのだ。

だけども語学を勉強していて得られるものってそんな事だけだろうか?
もちろん語学が手段になるぐらいに出来るようになればぐっと世界は広がる。
その前の段階、勉強している時点でいいことってあるんだろうか。

しばし考えてみた。

フィンランド語の勉強を開始する前、半年前の自分と今の自分で変わったこと。
(韓国語学習は昔過ぎるのでここでは割愛)


①少し世の為に動こうと思えるようになった
言語交換をしようと思い立ちハロートークをインストールした。
数日後、英語でコミュニケーションできますか?自分は日本語初心者です。というメッセージがフィンランドの人から送られてきた。
難しい表現じゃなければ出来ます!私もフィンランド語(超)初心者ですと返して言語交換が始まった。

そして◯◯は日本語でなんていいますか?
とか、自分が書いたフィンランド語を修正してもらったり、
教える日本語での発音を録音して送ったり、フィンランド語の発音を送ってくれたり。
ごく普通の言語交換だがなんか他人の役に立ってる感を味わえた。

純粋に人の役に立つというのはこういう形もあるんだなと気づけた。

とりあえず人の役に立ちたい!とかそういう思いの強い人がいたら、日本語が出来るというだけで役に立つ方法だと思うのでやるといいんじゃないかなと思った。


また違う話だが、なぜ今回のタイミングでそれに気づいたか。言語交換自体は韓国語学習時代に既に散々やっている。相手は韓国人、中国人だったが、なぜ今回の言語交換でそれに気づいたか。

たぶん「ありがとう」という言葉だと思う。

「日本語でこれなんて言うの?」に「日本語では◯◯◯....だよ」と答えると、
これまで言語交換していた韓国人&中国人⇒「は?何それ長い!無理!覚えられない!省略しちゃダメ?語尾無くても通じるよね!」
今回言語交換しているフィンランドの人たち⇒「教えてくれてありがとう!」

どっちが日本語を教えていて気分がいいかは一目瞭然だと思う。時代やその人との関係性もあるのかもしれない。自分は給料を貰って日本語を教えているわけではないので日本語が長いと嫌がる人に無理やり覚えてもらう必要はない。だったら自分が教えたいと思える人にだけ教えたい。まあ…ふとフィンランド語の文章を見ると、1つの単語がめちゃくちゃ長い単語が結構ある。おそらく彼らは1つの単語が長いことに耐性があるんだろう。たぶん。教える側としても気が楽だ。

自分の出来ることで他人の役に立てて相手が喜んでくれて自分も嬉しい。これに気づけたのはフィンランド語を勉強していたからだと思う。
(ただ間違った日本語を教えないように表現はやや慎重に選んでいる…)


②季節、暦を意識するようなった

フィンランド語の勉強を始めたのは去年の晩秋の頃。フィンランドでは毎日雨が降り、日照時間は短くなり気分的に塞ぎこむ時期だと言っていた。

まず、これまで日本(とその隣の韓国と中国沿岸部)に住んでいてそこまで日照時間を気にすることってなかった。(韓国は日暮れ時間が遅いものの夜明けも遅いから実質日本と同じ日照時間だと思う)

高緯度にあるフィンランドは夏以降、日照時間が短くなっていく。秋は雨の季節でずっと雨が降り続いて寒さが訪れるとそれは徐々に雪に変わっていき一面雪景色になるらしい。12月になると日中でも数時間しか明るい時間はないが、クリスマス(厳密にいうと冬至)が訪れると日は徐々に伸びていくという感覚なのでクリスマスは盛大に準備して全力で楽しむ。

まずこれだけでも自分は秋から冬に対する日本の感覚とフィンランドの感覚がこんなにも違うことに驚いた。日本、韓国では冬、日が短くなったとしても朝の通勤時間帯(8時とか)には明るい。夕方は4時半ぐらいには暗くなるけど会社勤めだといつも終業が19時でだいたい会社出るのは20時とかなので夏も冬も暗いのはそんなに変わらない。

自分にとってクリスマスはただのイベントでしかなかったが、フィンランド語を通してフィンランドの文化を知った時、それはとても意味が深いもので願いが込められていて人々にとってとても大切な物だと知れた。食べるもの、準備するもの一つ一つに意味がある。それを理解することでよりフィンランドが好きになった。とても思慮深くてポジティブに生きてる人たちに思えた。

日本の季節ごとの行事も一つ一つ意味があったんだろう。昔の人の思い入れがあったんだろうと日本の文化にも目を向ける機会になった。

それを踏まえて「日本人がクリスマスに食べるものって何?」という問いに、勉強する前の自分だったら「西洋文化のコピー。チキンとかケーキ」とただ答えていたと思うが、クリスマスの本当の意味を理解した上で答えられたのは、「クリスマスという形で日本に浸透したのは最近だから形式的にチキンとかケーキを食べて楽しむよ。でも日本の文化としてはその数日前にある冬至のほうが重要で、その日には体を温めるためにかぼちゃを食べたりするよ。新年はまた別でお祝いするからその前後で特別なものを食べるよ。」なんて答えを出すことが出来ている自分がいた。すごい成長だと思った(自画自賛)。

フィンランドの冬は長い。でも終わりは少し曖昧で、春が冬を押し出していく印象を受けた。湖や港がまだ凍り付いているという4月、すでに日照時間は夜9時ぐらいまでとすごく長い。日照時間だけは既に夏という感じ。気分だけは春になっていく感じだ。5月1日にみんなが学生帽を被って街に繰り出すという超絶面白そうなイベントがあって、それを皮切りに外でのイベントが一気に増える感じだった。ただ5月に桜が咲いても温度は東京の真冬ぐらい。おそらく普通に寒いが、写真や映像で見るフィンランドの人たちの表情は明るい。冬が長いぶん春の訪れが待ち遠しく嬉しいんだろう。

春をこんなに待ちわびたことってあっただろうか?と自問自答してみた。子どもの時は新学年に上がって新しい環境になるというのは嬉しかったし待ち遠しかった。4月は嬉しい季節だった。でも社会人になってから春は淡々と過ぎていく季節の1つに過ぎなかった。”ああ、今年も桜は律儀に咲いてくれて綺麗だな、パシャ”そして夏の猛暑に怯えるうちに終わってしまう季節。

フィンランド語で言語交換しつつおしゃべりする中で彼らの春に対する熱い思いに感化されたのか、今年の春の訪れは自分もなんだかとても嬉しかった。なんかすごく待ちわびていた季節のような気がした。花や木が綺麗に生き生きしているように見えた。なんだか不思議な感覚だった。

冬の間に日本語の勉強を一度諦めた人も春に勉強を再開させていた。(それはどうなの?続けなよ!とは思った。)



このデジタル便利社会のテクノロジーを最大限に活用しながら語学を習得してみたいという好奇心から始まったフィンランド語勉強だけど、デジタルの向こう側にある人たちの生活や文化や気持ちがたくさん感じることができてどんどん興味が増していくのが感じられた。面白い半年間だった。もちろん勉強はこれからも続く。というか早く実際にフィンランドへ行ってみたい。ただ、実際に行って自分のカタコトの英語が通じてしまったら怠けてフィンランド語の勉強をしなくなるんじゃないかという心配があるので渡芬時期は慎重に見極めたいところだ…。


サウナとか、ライフワークバランスとかじゃなくてAnteeksi! 

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