見出し画像

感動が消えた日

札幌を去ってから半年が過ぎようとしている、
地元に戻ったら例の騒動が本格化してしまい、友人にも会えず好きなところにも自由に遊びに行けず。
悶々とした日々を過ごす毎日である。

仕事もこのご時世なので、会社も採用は敬遠を繰り返している、求人を出しておいて連絡してもスルーなんて当たり前なのだ、なんのための求人情報だよ!

事態が大きくなるほどに、このことの対応は酷さを増す一方である、もし履歴書だして、面接となろうともオンラインで!となり急遽予定を合わせて参加しようとも、会社側も慣れておらず、音声は聴こえにくい、資料は読みにくい、進行はチンプンカンプンで後日追って再度面接を!となったりめちゃくちゃである。

バイトよバイトの面接に数時間って...

進めば進むほど牛歩の展開にうんざりする毎日

インプットをしてアウトプットをする事で満たされていたもので、何か心の座礁みたいなもので、受け取るものがオンラインだけてしかないと感動が薄れてしまうというか感じなくなってきてしまう。

あれほど毎日更新していた記事も書きたい意欲にまったくならない、

だってなにも感じないんだもん

不毛な行動不毛な進展

進んだ!とぬか喜びをするとまた牛歩の展開

なんだかね、働けることが人生の暇つぶしみたいなものになっていたのかなと思う毎日。

なにかをしたくても何もできないような毎日

勉強しても資格を取れるの数ヶ月数年後を考えて動かなくてはならない。

普通の状況ならやれる気がするが、この状況だと何かが心の何かをえぐられてるようで、何をしても虚空のなかにいるようである。

早くこんな状況抜けようにも、数年はこの状況が続くのは目に見えてるのがまともな考えなわけで...

オリンピックが来年やる!なんて言われましても感染状況を日本のものさしで見たってしょうがなく、世界規模で考えないといけないわけで

だって世界のスポーツの祭典でしょ。

まともに考えればわかることも思考停止させて馬鹿の文言ならべたニュースを流して視聴率稼ぎしてるメディアを痛いと見ないでいると、評論家ごっこになった親が熱烈にTVに話しかけてて嫌気が刺す。

あぁ早く脱却したい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?