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平素こそが大事 | 読書日記『真田太平記』

あの北条氏康の息子はうつけ者じゃ、なぜなら・・・

真田太平記第1巻にて、真田昌幸と対立する北条氏政の素性(凡庸)の例え話がとても印象的。

氏政が、父・氏康の跡をつぎ、小田原城主となって間もなくのある夜の宴の席のこと。息子の氏政が食事の際に自分のご飯に汁を二度注いだ様を見て、父氏康は自分の息子の行く末、もっといえば北条家の行く末を案じる。

父・氏康が気に留めた理由は、息子が汁をご飯に2度目の汁を注ぎ足したため。

氏康曰く、1日3回、毎日繰り返している食事というのは何百回と行うルーティンワークの代表的作業。そのようなルーティンワークにおいて、自分が適当と思う汁の量も分からないということは、他人の考えていることなんかは到底考えられない証拠であると説く。他人の考えていることが読めなければ、この乱世を生き抜いていけるわけがない、と叱責した、というもの。

この例え話から、私は平素での積み重ねや習慣にこそ、大事にすべき要素があるのだなぁ、と感じる。

自分の身近なところでいえば、例えば毎日の通勤からタイムマネジメントの大切さを考えることに繋がるのではないか。

遅刻をする、ということは、朝起きてから準備が整うまでの時間が把握できてなかったり、電車やバスの混み具合、または遅延の傾向などを予想出来ていない、という部分が浮き彫りになってしまうから。

この話を知り、改めて毎日何気なく繰り返している習慣をより深く考えるきっかけとなった。

これから始まる真田家の行く末も楽しみで仕方ない。

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