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3歳の娘が隠れ弱視だった話 5.これからどうしよう


こんにちは。近藤ろいです。

今4歳の上の娘は弱視治療をしています。
「遠視性不同視弱視」といいます。左目が強い遠視であまり見えておらず、治療をしなければ将来眼鏡をかけても視力が出ないかもしれない状態です。

普通の3歳児健診で発見されました。

見つかった時~治療が始まるまで の話題をお送りしています。

前回で医療につながったので、ここからはいかに新しい生活にシフトしていったか、つまり受容の準備と治療用メガネづくりの話をしたいと思います。
(↓前回)

たくさんの人に恵まれて治療までたどりついた


わが子の目が片方見えていなくて、しかも将来も改善しないかもしれない。

ということはかなりショックでしたが、同時に「見つかってよかった!」という気持ちも大きくありました。

治療につながり継続に至るまでは、多くの幸運に恵まれていたと思います。

何しろ、私の住んでいる自治体で屈折検査が導入されたのは、わが子が3歳半健診を受診する約半年前。
あと半年、生まれるのが早かったら今度は就学前健診まで見つからなかったのです!

それから、3歳児健診の問診票で私がたまたま「ふざけて嫌がっていましたよ」と書いたし、それが保健師さんの目に留まったこと。
健診会場で、保健師さんが粘り強く検査を繰り返してくださったこと。

眼科にも恵まれていて(他の大学病院などに通っていないので比較はできませんが)、経験も豊富で、視覚異常を専門とされている町医者さんが自転車で通える範囲にあり、予約なしですぐにかかれたこと。
相談しやすく的確に判断してくださる先生だったこと。

これから先の記述に出てきますが、眼鏡店も付き合いやすいお店だったので、長くお世話になるのに親子ともに抵抗は薄かったです。

私が育児休業中で、比較的柔軟に動けたし、娘の心身を細やかに気遣う余力があったこと。
娘本人の赤ちゃん返りも少し落ち着いたタイミングでわかったので、私と娘の関係もそこそこ安定している時で、「眼鏡や治療」という新しい負担をこなすキャパシティもありました。

そしてインターネットにたくさん情報を上げてくださっている先輩方の存在!
一人の子どもが日常生活の中でどのような変遷を遂げていくのか(どこまでなじんでいくのか)の参考になりましたし、「改善しました」という記載があれば、希望の光となりました。

「これからどうしよう」

ショックだけど、診断されてしまったり
身に降りかかったことは仕方がない。
さてこれから、弱視の治療をどう日常に組み込んでいくかな。

と思ったとき、やはり娘本人の納得が不可欠だと思いました。

「そうだ、絵本を描こう」

まず思いついたのは、説明になるような絵本を私が描くこと。

これは初めての経験ではなく、思い返せば娘1歳8か月の「哺乳瓶断ち」の時に「さよならチュッチュさん」という字のない絵本を描いてやったことをきっかけに、
小さいものだと「コロナで休園になるから、しばらくお休みのうえPCR検査も受けるよ」という漫画を描いてあげたり、
イヤイヤ期の終わりごろに「あなたが素早くお風呂に入ると、テレビが見られるよ」と図示して納得を引き出したりという経験がありました。

ちなみに私は絵心は全くなく、「ゾウ」が怪しいような腕前です。

それでも、描いて見てストーリーを思い知るというのは、娘の納得につながりやすいらしい。
ということでさっそく制作にとりかかりました。
(描けたやつ 紹介しています)

「そうだ、絵本の力を借りよう」

オリジナルで絵を起こすのは時間がかかるので、既成の絵本の力も借りることにしました。

特に初診から次の受診までの間に、インターネットで調べて先輩方が残してくださった「子どもが眼鏡を掛ける時になった時向けの絵本」を集め始めました。

内容がわからないので、買うよりもまずは図書館を駆使しました。

こういう、テーマ性のある絵本は、娘に下の子が生まれた時にとても役に立ったことを覚えていたからです。

絵本が果たしてくれた役割

  • 本人が「こういう立場なのは自分だけじゃないんだ」と思える

  • 本人が「絵本の同じ立場の人はこういう風にふるまうけど、私はこうだな」と、がんばってい自分に気づける

  • 本人が、絵本の中で同じ立場になったけどポジティブな感情を持っている登場人物と出会い、自分もそういう感情が持てるのかな、と励まされる

  • 親が、「こういう立場に陥った子ってこんな風に思うんだ」と気づくことができる

あとは眼鏡を一日かけたらごほうびシールとかもいいかなー、など、すごい勢いで「眼鏡のある生活を支えるぞ体制」を組み込んでいきます。

次回はもう少し、絵本について掘り下げます。