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3歳の娘が隠れ弱視だった話 10-2.土砂降りのなか受け取りに行く(後編)

こんにちは。近藤ろいです。

今4歳の上の娘は弱視治療をしています。「遠視性不同視弱視」といいます。左目が強い遠視であまり見えておらず、治療をしなければ将来眼鏡をかけても視力が出ないかもしれない状態です。
普通の3歳児健診で発見されました。

今回は、見つかった時~治療が定着するまで のうち、終盤の話題。受け取りに行く話です。
長くなったので前後編に分けています。
前編はこちら

土砂降りの中、保育園に娘を迎えに行ってバスに乗り、受け取り、激混みのスーパーで買い物も済ませてバスに乗りたいけど、普段は来ない土地なので軽く迷ってしまったところまで。

バスに乗れた。さあ帰ろう…えっ、寄り道するだと!?

信号待ちの間に一本逃しつつも、何とか家の最寄り駅まで行くバスに乗れました。帰りもありがたく座ることができました。

20分ほど乗り続ければ家から徒歩30分ほどの主要駅に着きます。そこでタクシーを拾おう。もう疲れた。
4月中旬のバスの中はなぜか軽く冷房が入っていて、身体が冷え込むので眠ることもできません。

娘も、赤ちゃんも、私も、雨粒に!呆光るテールランプの帯を見ながら、呆然とバスに揺られていました。

さあもうすぐ着くぞという時に、私の膝の上、抱っこ紐の赤ちゃんの間にねじ込むようにして座り、外を眺めていた娘がぼつりと尋ねました。
「このバス、保育園の近くに行く?」
「えっ、行くけど…?」
「じゃあ眼鏡を先生たちに見せたい。あと保育園に置いていた荷物も持って帰る
「ええっ!」
金曜日の保育園は荷物が多いのです。。
通常の園バッグの他にお昼寝シーツと掛け布団を持ち帰るのですが、さすがに今日は辛いと、園側に事情を話して一式置かせてもらい、翌日に取りに来るつもりでした。

しかし3歳8ヶ月児の知能では、一晩経ってまだあるか心配だから今取りに行きたいと言う。

遅くなるからやめようとか、30分くらい歩くことになるとか、色々説得を試みましたが、頑として聞き入れてくれません。
こうなるとテコでも動かない子で、これ以上説得しようとしたり、断ったりすると、バスの中でも、家に連れ帰ってからも大癇癪を続けるのは経験済みでした。

仕方がなく、主要駅前のバス停を乗り過ごし、もう一つ先のバス停で降りました。

保育園に寄り道したが…えっ、やっぱり帰るだと!?

時刻は18:50。閉園10分前です。雨はまだそぼそぼと降っています。
保育園の建物全体は殆ど明かりが落ちていて、入り口近くの職員室に担任の先生も含めた4、5人の先生がおられました。どんどん帰っていかれます。

その様子を見ていた長女が、あと3mというところでまたポツリと言いました。

「やっぱりもういい」

実際の保育園を見て怖気づいたのかな!?
でもそういうのはバスの中で改心してほしいな!!

怒る気力もありません。この子のこういう所にはずっと振り回されてきました。気持ちもわからんでもない。何でもいいからとりあえず家に帰りたい。

保育園も自宅も、微妙に最寄りのバス停から離れているところにあります。ここまで来たらもう歩いてしまった方が早い。

娘の手を引き、赤ちゃんに誤り倒しながら保育園の前を素通りしようとする…と、たまたま担任の先生が帰られる時で、娘に気づいて下さった。

「眼鏡だ!かわいいね。また月曜日に保育園で待ってるね」

掛けて欲しかった言葉を全部掛けて頂き、娘もホッとしたような顔です。荷物も受取り、何とか20分ほどの道のりを歩いて帰宅しました。

途中、交差点を斜交いにわたる場面があり、いつもの登降園時は北西周りで帰っています。この時は小雨が降っていたので少しでも早く帰ってあげたいと思い、信号が丁度青だった南東周りルートにしたところ、こだわりの強い娘に許してもらえませんでした。
信号が変わるのを待ってでも戻って北西ルートで帰ることとなり、二重三重に疲れましたが、もはや娘に怒る気力もありませんでした。


やっと帰宅したけれど、ワンオペは終わらない

家の中に入ったら、大急ぎでご飯を温めつつ、赤ちゃんは抱っこしたまま娘を着替えさせ、赤ちゃんを着替えさせ、娘にご飯を出してやってから自分も着替え、娘と赤ちゃんに食べさせ始め自分もかきこみます。

6ヶ月の赤ちゃんの離乳食はすぐに終わるので(あまり食べない)、床に寝かせて哺乳瓶を含ませ、左手で固定します。
なぜ床かというと、私の膝の上には3歳児がどっかりと居座り、「ウインナー食べさせて」と甘え尽くしているからだ!


残念ながらこれで終わりではありません。ワンオペお風呂が待っています。
上の子は、特にお母さん子なので私としかお風呂に入ろうとしません。「今日は疲れたからお父さんと入って」と言おうものなら、娘は余計にお母さんがいいの!となります。 辛くても自分に尽くしてくれるかで愛情を測っているい。
寝かしつけまでの歯磨き、絵本選び、絵本読みももちろん私。母親は辛いよ。


子どもらが食事を終えて遊び始めた頃に夫帰宅
雨にもあまり降られなかったらしいです。
夫は私達が買ってきたお弁当を、暖かな部屋で、一人で座って両手で食べています。私は相変わらず子ども二人の相手です。

その姿を見ているとどっと疲れが出て、泣けてきました。
夫には申し訳ないですが、何か八つ当たり的な言葉を言っていたと思います。

お母さんは辛いヨ

長々と書きましたが、こうしてようやく娘に眼鏡がやってきました。

もうちょっと要領よくやれたのかもしれないという思いはあります。
子どもたちを巻き込んでしまったという罪悪感付き。しかしタクシーだと往復7,000円くらいかかるのよ。


恐らくこれからもずっと、こういう育児の美味しいところの搾りカスのようなものを私だけが食らうときが繰り返し来るのでしょう。一人の尊厳ある人間として、いつまでも慣れないものです。


何もこんなにがんばっていそがんでも、と振り返ってみて自分でも思ったけれど、実は最適解でした。

その次の週から、一家でえげつない感染症にかかってしまったのです。

夫も私も、娘も赤ちゃんも次々に発熱、頭痛、咳、夜泣きに次ぐ夜泣きに襲われ、なかなかかかれる病院も薬もなく、もちろん保育園にも会社にも行けず、まともに社会生活を送れるようになるまでに10日ほどかかりました。

突如やってきた家族全員での軟禁生活。

良かったのは、娘の眼鏡が既に手元にあったので、父母が同じ屋根の下でじっくり彼女の相手をして満足度を高めながら、さりげなく「眼鏡掛けよう」と言うことができたので、この軟禁生活の中ですっかり眼鏡が定着したのでした。

こうして、発覚から治療開始、そして日常へ。
あと一回、後日談的なものが続きます。