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書籍紹介『全盲ハッピーマン』

『全盲ハッピーマン〜24歳で失明したら、人生がもっと面白くなったんだけど、なんか質問ある?(大平啓朗)』という本の紹介です。

全盲ハッピーマン?ポジティブすぎるやろ?!

Amazonで見かけて気になっていた本。注文した本が届いた日に、まさかの大平さん(以下、おーちゃんさんと呼ばせてもらいます)にフォローされるという偶然笑。

おーちゃんに フォローされた Twitterの 通知画面

以前紹介した『目の見えない私が「真っ白な世界」で見つけたこと 全盲の世界を超ポジティブに生きる(浅井 純子)』も相当ポジティブな内容でした。

この本もタイトルの通り、スーパーポジティブです笑。

突然目が見えなくなった僕は「新しいゲームが始まった」とワクワクした。

って言葉、なんか物語の主人公感ありますよね。

前向きな、おーちゃんさんの考え方や言動、日本各地や世界への旅などアクティブな行動にパワーをもらえます。

でもそれだけではなく、おーちゃんさんの葛藤や、紳士的というかフェアネスを重んじるような考え方に僕の心は惹かれ、共感するのです。

失敗してもいいから思うようにやらせて

心に残った場面の1つに、支援員の方がおーちゃんの両親に失敗してもいいから思うようにやらせてと伝える場面があります。

事故から約6週間後の年末、僕は実家のある北海道に帰ってきた。そして、平日は入院、週末は実家という生活が始まった。
平日は入院、週末は実家と言う生活が始まった。
平穏な日々……と思っていたら、それはすぐに人生最大のピンチに形を変えた。

週末の実家での食事の時。目の前に並んだ皿に僕が箸をのばす。一発で目当ての皿を当てられなければ、すぐに「なにを探してるの?」という言葉が両親から飛んでくる。
それで、「ちょっとミスっただけ! 本当に困ったら聞くよ」と、心の中で僕はムッとなる。
「気にしなくても大丈夫だから」といくら伝えても、「心配しているんだよ」という言葉でかき消されて、僕の気持ちはまったく届かない。

そのうち、そのやり取りがあまりにも嫌になって、家族が席を外した隙にサササッと探して食べるようになった。僕は見えないけれど、見られている……。そんな気持ちになっていた。

……

なかなか理解し合えない僕と両親との関係は、それからも数ヶ月続いた。このギクシャクを解消してくれたのは、僕のような「中途失明の人」の社会復帰を支援している新井というオジさんの訪問だった。
新井さんは、とにかく僕の話を最後まで聞いてくれた。そしてこう言った。
「お母さん。息子さんに手を貸さないでいいんですよ。たとえハサミや包丁で怪我をしても、自分で工夫してどうにかしますから」
母ちゃんは、「え? えらいいんですか?」と、なまら(すごく)ビックリしていた。
でも、もっと驚いたのは僕の方だった。
「自分でやりたいっていう気持ちは間違っていなかったんだ!」
心の奥底でギュウギュウ詰めになっていた怒りとか不信感とか諦めとか、名前もつけられないようなネガティブなものすべてが、一瞬にして胸の中から飛び出していったようだった。

以前、別の記事で書いた内容を思い出します。

盲学校で10年過ごした僕の中には、「見えないこと=なにもできない」なんて考えはもうありません。

大抵のことは工夫とやり方と練習でできます(僕の先輩は信号待ちで手引きの声かけをしてくれた方をナンパして付き合ってましたし笑)。

でも世の中ではまだまだ「見えない=できない、危ない、危険」という考え方の方が多いのでしょう。

それは、見えている人がアイマスク体験などで急に見ることができなくなると大きな不安や怖さを感じるからかもしれません(盲学校に転勤してすぐに行うアイマスク体験で戸惑う先生方は、大抵、数日後に対面する廊下を走って注意される全盲児に度肝を抜かれます笑)。

見えない・見えにくい方たちがしている工夫を知らないからかもしれません(逆に視覚障がいの方は座頭市のような超人ではありませんし、難しいこともたくさんあります)。

いや、僕のいた盲学校でも、子どもが机からモノを落としたときにすぐ拾って置いてしまう先生方に、「子どもが自分で探すのを、我慢して見守ってあげてください。こちらが拾う場面もあると思いますが、『拾ったよ』と一言伝えてあげてください。子どもたちが機械的に誰かが拾ってくれるのが当たり前だと思わないように。子どもたちが自分のことを自分でやろうとする意識を持てるように」なんて伝えることが度々ありました。

周りが全てに口と手を出し続けてしまうと、それが当たり前になって、自由を求める気持ちがなくなってしまう子たちがいます。

今、自分の子育てでもそんな場面があります。危険だから、危ないから、あとこちらが大変だから…禁止する。もちろん全てを自由にさせるのは無理です。でも、口を出したり禁止したりばかりだと積極的にやろうとする意欲も、失敗から工夫して考える力も伸びていかないんじゃないかな…なんて思いもあります。

『子どもが体験するべき50の危険なこと(ゲイバー・タリー/ジュリー・シュピーグラー)』という本や、テレビで見かけた3歳の子がマッチで火起こししてお風呂を沸かしている映像が思い浮かびます。

僕たちは「見えないから」や「子どもだから」という理由で、相手の可能性に蓋をしてしまっていないか考えないといけないのかもしれません。

だって僕たち自身の人生ではなく、目の前のその方、その子の人生なのですから。

全盲の僕自信がその子のことを決めつけていた

「障害者のことを、少しでも多くの人に知ってもらいたい」、僕はそんな想いも持ってこの旅をはじめた。
だけど、「逆に知らないことだらけなのは俺の方だな」って何度も何度も実感した。

もう1つ、心に残った場面があります。おーちゃゆがカンボジアの児童養護施設「CCH(The C enter for Children's Happiness/幸せの子どもの家)」を訪問したときのこと。

帰るまでの小一時間。僕はせっかくなので、子どもたちと話をしようと輪になって座った。
すると隣の女の子が、「オーシャンは、見えなくて寂しくないの? 大丈夫、困ってない?」と聞いてきた。
「え"!」
僕の笑顔は一瞬でふっ飛んだ。

親がいなくて、ゴミ山の物を売って生活費にしていたという子どもたちは、本当に大変だったろうと思っていたから、まさかの質問に本当に驚いた。
僕は「大丈夫だよ。仲間たちがサポートしてくれるからね」と答えるのが精一杯だった……。

そして、僕は意を決して、その子たちに実は聞きたくて仕方なかったことを聞いてみた。
「みんなは、親と一緒じゃなくて寂しくないの?」
すると、「弟と一緒にいられるし、毎日ご飯もみんなと食べられるから幸せだよ」と、元気な声で返ってきた。
その答えは、僕にとってあまりにも衝撃が大きすぎて、精一杯の笑顔で「そっか」としかいえなかった。

僕は、子どもたちに握手を求めてフロアを歩いた時、その子たちが悲しい顔をしているイメージでシャッターをきっていた。
僕も、外に出れば、「見えなくなってかわいそう」とか「残念だね」とよく言われる。
その度に僕は心の中で思うんだ。
「残念なんて勝手に決めないでくれよ」ってね。

僕が思われたら嫌なことを、子どもたちにしてしまっていたんだな。

こんな自分の失敗談ともいえる内容を赤裸々に書けるのが、おーちゃんさんの魅力なんだろうなと思います。

「●●だから…」なんて決めつけられるのは誰しも嫌なはずなのに、相手には「●●だから…」と決めつけてしまう矛盾。

僕たちにはそれぞれの価値観があるし、その価値観に基づくいろんなことを判断するのは当然なんだけれども。

でも、いろんな出会いと気づきを重ねていく中で、自分の知っている価値観の幅や知識の引き出しはどんどん増えていくんですよね。

そんな自分の当たり前を改めて問い直した場面でした。

まとめ

僕が紹介せずとも薄々伝わっていると思いますが笑、この本の一番の魅力は、おーちゃんさんの前向きな姿や、おーちゃんさんがどんどん自分で開拓して世界を広げていくストーリーだと思います。

「写心家」とか「趣味は視覚障害」とかワクワクする言葉がたくさんあります。

読めば、確実に自分の価値観を広げてくれる本ですよ。ぜひ手に取ってみてください。

おーちゃんさんはTwitterやYouTubeでも情報を発信されています。帯も書いている水野美紀さんによる『全盲ハッピーマン』の朗読なんて配信もありますよー。

僕もTwitterフォローしてもらいましたし笑。ぜひそちらも覗いてみてはどうでしょうか。



表紙の画像はAmazon.co.jpより引用しました。