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【小説】ママと反比例 4話


 捕獲され、腹を立てたニシゴリラ、いや、響は諦めなかった。
「このクソババア!」
最後のバア、のところでぐん、と体を前に折り曲げると、先生が掴んでいた手が微かに緩む。その隙を見逃さなかった。
「あ、こら!」
響きはするっと体を抜く。みどり先生は口をぱくぱくさせるだけだ。響は間抜けな先生とは対象的に、園児の素早さを見せ、クレヨンを放り投げた。やはり、気に入らなかったのだ。

天井の蛍光灯すれすれに桃色が浮かぶ。みんなはとっくに響からそのクレヨンに目線を移している。環も同じく、クレヨンが描く桃色の弧を追いかけた。ニシゴリラが投げたうんちみたいだと思った。ニシゴリラのうんちも、ピンクだったらいいのに。
そしたら、ママもテレビを消してしまわなかったかもしれない。

こつん、と頭を叩かれた。
「環ちゃん!」
わかば組のリーダー格のともみちゃんが、環のところに走ってきて、頭を撫でた。
下を見ると、環の足元にはクレヨンが落ちていた。
ああ、自分に当たったのか、と思った。
「いーけないんだーいけないんだー!」
と大声で誰かが歌い始める。先生の「響くん!」という怒声も飛んだ。
なにやら大ごとだ。そこまで痛くはなかった。女の子たちが、わらわらと環を囲む。

大丈夫?
痛い?
響くんひどい!
謝りなよ!

環は、焦った。ここで泣かなければならない!
幼稚園児なりに、女子の社会は知っていた。女子たちは、クレヨンが頭に当たった子が、泣き、それを心配し、クレヨンを投げた本人を責めたい。そんな優しく団結力のある自分達に酔いたいのだ!

ただ、環は泣くことが出来ない子供だった。もう、一年くらい泣いていなかった。そうなったのは、ちょうど、環のママが家で涙を見せるようになったときからだ。環の涙を流す権利は、ママに吸い取られしまったのだ。

いつまで経っても泣き出さない環に、ともみちゃんが痺れを切らした。撫でる手を止め、じっと環を下から睨め付けてくる。

(こうなれば、嘘泣きをするしかない)
そう決意をした時、うわあああん、と豪快な泣き声が聞こえた。
 響だった。
空を仰ぎ、鼻水を垂らしながらわんわん泣いていた。ガキ大将にしては、あまりにも惨めな姿だった。
環の視界が、潤んだ。

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