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定時で帰るのは簡単です。


定時で帰る方法

 キャッチなー言葉を題名にして本を売るという手法は使われ過ぎていて、言葉のインフレーションが起きていると感じている今日この頃ですが、僕もその流れにのってキャッチーな言葉を使ってみることにしました。

「定時で帰るのは簡単です」

 どうでしょうか。これはなかなかキャッチーな言葉ではないでしょうか。そんなに簡単ならば、どうして全国で数多くの教員が残業なんてしているのでしょうか。この章では、その理路と解決法を提示したいと思っています。

 まずは、いきなり解決法から。とても簡単ですよ。定時で帰る方法は、「定時で帰る」です。でも、これだけだと伝わらないことは、こちらもわかっているので、今からその理路を説明したいと思います。

残業時間は「不正な時間」

 残業が当たり前になっている人を仮定しましょう。彼女は毎日3時間程度の残業をしているとします。それだけでも、月で60時間くらいの残業になります。彼女は、5時の定時から3時間くらいの「時間があります」。ここで表現に注目してください。彼女には、定時退勤の僕と違って「時間がある」のです。ここに残業が減らない根本的な原因があるのです。つまり、毎日残業をしている先生には、自分には「時間がある」という認識が把握されていない。自分にとって、残業は当たり前であり、毎日8時過ぎまでは「働かないといけない」と思って「しまって」いる。いや彼女の習慣が彼女にそう「思わせている」とも言えます。でも、それは完全なる誤解です。我々に与えられている時間は「定時出勤の時間から定時退勤の時間まで」なのです。だから、それ以上は「余剰分」なのです。それを残業教員は「不正」に使っているとも言えます。なんとも酷い言い方をしてしまいましたが、実際、そうなのですよ。

お迎えに間に合わないという切実な理由

 僕が定時退勤をしているのには理由があります。なぜなら、定時退勤をしないと「息子の保育園のお迎えに間に合わない」のです。僕は自分の信念に則って定時退勤をしているわけではなくて、極めて現実的な理由によって「定時退勤を余儀なく」されているだけだったのです。僕に子どもがいなければ、僕だっていくらでも残業をしますよ。教材研究は無限大ですし、やっておきたい業務は山のようにありますから。

 繰り返しますが、残業は「不正」なんです。まあ、この場合の不正は残業を「自主的な業務」と容認している管理職側にあるのですが。だから、そんな不正行為に、あなた自身が自ら加担する必要は無いのです。

あなたの「がんばり」に甘えている学校

 「でも、そうは言っても仕事が終わらなくて・・・」という声が聞こえてきそうなので、そこにも反論をしたいと思います。といっても、ここでの反論は簡単です。要は発想の転換なのです。つまり、定時内に終わらないような業務配分をしている管理職が悪いのです。多くの先生は、自分に与えられた業務は責任を持って終えなければならないと考えています。でも、それは「過剰な責任感覚」です。業務量の調整をするのは管理職の仕事であり、あなたの勤務時間内に業務が終わらないのは、あなたの能力と業務量の査定を見誤っている管理職が悪いのです。でも、そうは言っても、そう簡単には切り捨てることはできませんよね。わかります。教員の多くは真面目で責任感が強い素敵な人たちです。

 でもね、学校という職場は、そういう教員の素敵な部分に甘えてきたのであり、あなたがそれに甘んじている限り、その職場の特性は変えることができないということも、またこの場では言わないといけないのです。だって、あなたが頑張る以上は、管理職に業務改善の意識は芽生えませんよ。なぜなら、職場は滞りなく回っているのだから。教職員がストライキでも起こせば管理職は焦りますよね。でも、そんな非現実的なことを言っている暇があれば少しでも業務を減らしたいものです。

背水の陣で臨む

 では、業務を減らす具体的な解決法の話をします。それは繰り返しますが「定時で帰る」です。すると、これまで残業していた「不正な時間」がなくなります。これは切羽詰まりますね。急に「3時間」が無くなってしまうわけです。でも、そういう背水の陣の状態にならないと、教師の業務精選は進みません。我々は労働者であり、労働時間は決められています。もちろん、その間は一所懸命に働いたらいい。「子どものために」全力を尽くせばいいのです。でも、やはり労働者である以上、それ以上に働く必要はありません。というか、働いてはいけません。

 ただ、ここで急いで付け加えないといけないのですが、僕はすべての教員が「定時退勤をすればいい」とも思っていないのです。例えば、若手の間は、すべての活動が経験値に還元されてどんどん引き出しが増えていくような時期というのもあります。そういう言説は多くのベテラン教員から聞かれます。もちろん、僕にもありました。
 一方で、職場の同調圧力の中で長時間労働を強いられて苦しんでいる若手もいます。子育てや介護などで帰らないといけないのに、やはり帰れなくて、親族に負担をお願いしないといけないような心苦しい思いをしている人もいます。つまり、僕は「働き方の多様性」を訴えたいのです。長い教員生活の中では、全力で仕事に向き合いたいときもあるでしょう。でも、それが叶わないときもあるでしょう。それぞれの時期に、それぞれの働き方を選択できる方がいいと思うのです。

 教職員を定時に帰らせるのは簡単です。学校を定時で締めればいい。学校から強制的に追い出せばいい。でも、そうではなくて、それぞれのクオリティオブライフを高められるような、そんな働き方の多様性改革はとても難しいのかもしれません。