「戦前」と「戦後」は断絶しているのか
まずは以下の文章を読んでください。
これを読むと「戦前」と「戦後」の教育史に明確な断絶を思い描きがちな私たちの通説を疑いたくなります。「戦前は超国家主義的イデオロギー」であり「戦後は民主的な平和国家」であるという、我々の「当たり前」は本当に正しいのでしょうか。
実際、いくつもの資料を読んでみると、それを実感させられます。
上記の小国によれば、1945年8月15日のポツダム宣言の日は、「文部省の一日は敗戦の日にもかかわらず静かに暮れていった」と書かれています。それは、ポツダム宣言の中身に教育のことが触れられていないこともあり、教育体制の急激な刷新を求められることもないと予想していたからだとされています。
つまり、GHQの占領政策開始<前>の文部省の対応は、上記の引用の「戦前」と「戦後」の連続性を感じさせるものだったのです。
また、戦前日本の学校教育の象徴でもあった、天皇陛下と皇后のお写真である「御真影」について興味深いエピソードがあります。それは、原子爆弾投下後の広島で8月16日に「御真影が異常なく設置できました」という報告でした。町中が焼け野原になった前代未聞の被害が出た10日後の報告とは思えません。このエピソードからも、神格化された御真影という「写真」が人命よりも優先されていたという実情を感じさせます。
歴史を「精確」に学ぶと、それまでの「ぼんやり」した景色が、より「ハッキリ」と捉えることができます。その中で、自分の中にある「当たり前」の見え方を変えていけたらと思います。