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「戦前」と「戦後」は断絶しているのか

まずは以下の文章を読んでください。

教育勅語が発布(一八九〇年)以降、戦前・戦中において一貫して、日本の教育を規制し続けたとする通説も、現在、修正されつつある。一般には、戦前日本の教育を大日本帝国憲法・教育勅語体制と一括りにとらえた上で、それを否定したのが戦後教育であるという枠組みで議論されることが多かった。しかし、戦前・戦中の教育と天皇・天皇制との関係の変化を精確に認識することで、初めて近代日本の構造の本質が浮かび上がってくるのではないだろうか。

『教育勅語と御真影』 小野雅章著 講談社現代新書 2023

これを読むと「戦前」と「戦後」の教育史に明確な断絶を思い描きがちな私たちの通説を疑いたくなります。「戦前は超国家主義的イデオロギー」であり「戦後は民主的な平和国家」であるという、我々の「当たり前」は本当に正しいのでしょうか。
実際、いくつもの資料を読んでみると、それを実感させられます。

文部省は八月一五日、教育関係者に「終戦に関する件」という訓令を出している。そこで文部省は、無私の「誠」や「報国の力」の欠如による「皇国教学の神髄を発揚するに未だしきもの」があったことを敗戦の原因と分析している。教師たちには、「国体護持の一念に徹し」、学生・生徒と一体になって「祖孫一体道」を求めて「教学」を再建し、「国力」を焦土に回復して天皇の「聖慮に応え」よと説諭していた。
国体の護持、そのための道徳心の強化が、敗戦への対応として文部省が何よりも重視した施策だった。

『戦後教育史』 小国喜弘著 中公新書 2023 p4

上記の小国によれば、1945年8月15日のポツダム宣言の日は、「文部省の一日は敗戦の日にもかかわらず静かに暮れていった」と書かれています。それは、ポツダム宣言の中身に教育のことが触れられていないこともあり、教育体制の急激な刷新を求められることもないと予想していたからだとされています。

つまり、GHQの占領政策開始<前>の文部省の対応は、上記の引用の「戦前」と「戦後」の連続性を感じさせるものだったのです。

また、戦前日本の学校教育の象徴でもあった、天皇陛下と皇后のお写真である「御真影」について興味深いエピソードがあります。それは、原子爆弾投下後の広島で8月16日に「御真影が異常なく設置できました」という報告でした。町中が焼け野原になった前代未聞の被害が出た10日後の報告とは思えません。このエピソードからも、神格化された御真影という「写真」が人命よりも優先されていたという実情を感じさせます。

歴史を「精確」に学ぶと、それまでの「ぼんやり」した景色が、より「ハッキリ」と捉えることができます。その中で、自分の中にある「当たり前」の見え方を変えていけたらと思います。