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『ケーキの切れない非行少年たち』③

本記事は話題になった『ケーキの切れない非行少年たち』宮口幸治著を批判的に考察する記事になっています。詳しくは、以下の記事をご覧ください。

筆者は、”人を殺したい気持ち”を持った少年を例に挙げながら、そうした気持ちは「トレーニング」によってブレーキをかけることができると述べています。

前の記事とも少し重なりますが、筆者は「犯罪者の異常性」を好んで書くことが多いです。例えば、以下のような文章です。

確かに、中には極めて女性好きな少年たちもいました。矯正施設には外部から多くの見学者が来ます。通常、見学者たちは少年たちの姿を見ることはできませんが、移動中に偶然すれ違うことはあります。そのようなとき、少年たちは見学者と顔を合わさないよう背を向けるように指導されますが、どうしてもチラチラ見てしまいます。見学者は保護司の方々などが多く、概して年齢層は高いのですが、ときどき現役女子大生もきます。そのようなときは、少年たちの目つきが変わります。強制猥褻をやった少年の中には顔を真っ赤にして「先生、夜まで我慢できません」と訴える少年もいました。女子大学生の姿を目に焼き付けて、後で自慰行為をするのです。

同書 p44

本書が「少年院の内実」を紹介するだけなら、この文章も、知られることが少ない少年院の内実を興味深く読んでおしまいなのかもしれません。しかし、本書における筆者の立場は、「少年院にいる非行少年の中には、知的障害や発達障害を持った人が多い」ということですので、筆者が本書で描く「異常性」は、そのまま「知的障害や発達障害」を持った人を連想せてしまうのです。

犯罪者はまだしも「知的障害や発達障害を持った人」を「異常な人」と描くのは倫理的な問題が含まれています。

さて、話を戻します。

筆者は、”人を殺したい気持ち”や”性的な衝動”を抑えるためにはブレーキが必要であり、そのブレーキはトレーニングによって鍛えることができると述べています。それが、第七章の「コグトレ」になるのですが、「新しいブレーキをつける方法」として紹介されているのは、以下のような方法です。

・数える:「記号さがし」
例えば色んな果物のマークが横一列に複数並んでいる、複数段からなるシートがあります。その中でリンゴだけの数を数えながら、できるだけ早くリンゴに✔️をつけます。ただしリンゴの左側にある決められた果物のストップ記号(例えば、ミカン、メロンなど)がある場合には数えず✔️もつけません。ここでは、しっかりとブレーキをかける練習をします。これが第2章で述べた、ブレーキの弱い子どもに新しいブレーキをつけるトレーニングなのです。多くのストップ記号を組み合わせれば難易度が調整できます。最初は5分かかってもできなかった子どもたちも、週に1回で10回ほど繰り返すと20秒くらいでできるようになります。しっかりブレーキがかかるようになるのです。

同書p164

これを読んで「なるほど」と思った読者は、ほとんどいないはずです。”人を殺したい気持ち”にブレーキをかけることと、果物の中からリンゴを見つけて、それ以外でストップすることは、決して同列に論じることなどできないでしょう。さらに、筆者はこれを繰り返せば「ブレーキがかかるようになる」と堂々と述べていますが、これを繰り返してその速度が速くなるのは、「リンゴ以外の果物記号で手を止める」こと以外のなにものでもなく、それは”人を殺したい気持ち”へのブレーキとは全く関係がありません。

しかし、筆者は、それを同じ種類の能力だと捉えているのか、次の段落で以下のようにその実践を紹介しています。

このトレーニングは、第2章で紹介した「人を殺してみたい」という少年にも取り組ませました。その少年の人を殺したい気持ちは、それまで少年院で時間をかけて、”被害者の気持ち” ”命の大切さ” ”またやったらどうなるか”などと教育してもなかなか消えませんでした。そこで、この記号さがしのシートを毎日させました。どういうことかというと、殺したい気持ちを消そうとするだけではなく、”刺そうと思った時にブレーキをかけなさい”と指導したのです。殺したい衝動にブレーキをかける練習として、もう他に方法がなかったのです。

同書 p164、165

この記号さがしにどれほどの効果があったかは、ここではこれ以上述べられていません。しかし、筆者は「従来の矯正教育だけではなく、こういった認知トレーニングも組み合わせる必要があります」と、この記号さがしトレーニングの必要性を述べています。

このような記述からも、筆者が「コグトレ」の効果をいかに信用しているかが伝わってくる一方、我々読者からすれば、その筆者の「熱い想い」と反比例して、どこか「冷めた印象」を抱かざるを得ません。

つまり、リンゴのマーク以外で手を止める力と、”人を殺したい気持ち”を止める力は「一緒では無いだろう」という「冷めた印象」です。

本書の構成上、一章から六章までは、少年院にいる非行少年のあまり知られることがない実態が綴られているだけに、その具体的解決策を提示する七章において、このような内容が出されることに当惑さえ覚えます。