『ケーキの切れない非行少年たち』③
本記事は話題になった『ケーキの切れない非行少年たち』宮口幸治著を批判的に考察する記事になっています。詳しくは、以下の記事をご覧ください。
筆者は、”人を殺したい気持ち”を持った少年を例に挙げながら、そうした気持ちは「トレーニング」によってブレーキをかけることができると述べています。
前の記事とも少し重なりますが、筆者は「犯罪者の異常性」を好んで書くことが多いです。例えば、以下のような文章です。
本書が「少年院の内実」を紹介するだけなら、この文章も、知られることが少ない少年院の内実を興味深く読んでおしまいなのかもしれません。しかし、本書における筆者の立場は、「少年院にいる非行少年の中には、知的障害や発達障害を持った人が多い」ということですので、筆者が本書で描く「異常性」は、そのまま「知的障害や発達障害」を持った人を連想せてしまうのです。
犯罪者はまだしも「知的障害や発達障害を持った人」を「異常な人」と描くのは倫理的な問題が含まれています。
さて、話を戻します。
筆者は、”人を殺したい気持ち”や”性的な衝動”を抑えるためにはブレーキが必要であり、そのブレーキはトレーニングによって鍛えることができると述べています。それが、第七章の「コグトレ」になるのですが、「新しいブレーキをつける方法」として紹介されているのは、以下のような方法です。
これを読んで「なるほど」と思った読者は、ほとんどいないはずです。”人を殺したい気持ち”にブレーキをかけることと、果物の中からリンゴを見つけて、それ以外でストップすることは、決して同列に論じることなどできないでしょう。さらに、筆者はこれを繰り返せば「ブレーキがかかるようになる」と堂々と述べていますが、これを繰り返してその速度が速くなるのは、「リンゴ以外の果物記号で手を止める」こと以外のなにものでもなく、それは”人を殺したい気持ち”へのブレーキとは全く関係がありません。
しかし、筆者は、それを同じ種類の能力だと捉えているのか、次の段落で以下のようにその実践を紹介しています。
この記号さがしにどれほどの効果があったかは、ここではこれ以上述べられていません。しかし、筆者は「従来の矯正教育だけではなく、こういった認知トレーニングも組み合わせる必要があります」と、この記号さがしトレーニングの必要性を述べています。
このような記述からも、筆者が「コグトレ」の効果をいかに信用しているかが伝わってくる一方、我々読者からすれば、その筆者の「熱い想い」と反比例して、どこか「冷めた印象」を抱かざるを得ません。
つまり、リンゴのマーク以外で手を止める力と、”人を殺したい気持ち”を止める力は「一緒では無いだろう」という「冷めた印象」です。
本書の構成上、一章から六章までは、少年院にいる非行少年のあまり知られることがない実態が綴られているだけに、その具体的解決策を提示する七章において、このような内容が出されることに当惑さえ覚えます。