サッカーという特殊なスポーツと審判という特殊な役割

スポーツをやる上で欠かせない存在、それは選手、そしてプロであれば観客ももちろん欠かせない。何より、1つのルールの上で勝敗を決めなくてはならないので、第三者的な立場で勝負を見守り、さまざまな判定を下す審判もまた、なくてはならない存在なのは、言わずもがなである。セルフジャッジで楽しく、というのももちろんあるのだが、よりカテゴリが上になればなるほど、「審判」という存在は時に勝負を左右する存在にもなり得るのだ。

日本では最近、完全試合を達成した佐々木投手と球審とのやりとりが注目され、議論されている。個人的にサッカー観戦がメイン(過去には4球審判の資格も持っていた)のため、野球のルールは全く詳しくない。そんな自分から見ると、あのやりとりはかなり異様に見えたのだ。別に審判を侮辱していたわけでもないだろうし、自分は100%ストライクだと思った球がボールと判定されれば、「え〜っ!?」と思うのは当然だし、ついつい表情に出てしまうのも自然なことだと思う。ましてはサッカークラスタに属している自分からすると、サッカーでは主審や副審、第4審と選手、監督、コーチがかなりコミュニケーションを取っているのだ(異議も含めてだと思う)。もちろん、サッカーも最終的な判断を下すのは主審なので、それに抗議したからといって、基本的には覆らないし、抗議を続けるようであればイエローカードやレッドカードといった罰が与えられる。

テレビで知ったのだが、野球では審判が選手と私語を交わすのが禁じられているんだとか。よくそれで人間がやるスポーツが回っているものだと、驚いた。

時に審判は、本当に辛い立場に追い込まれることがある(小学生の試合を担当していてもだ)。プロはもちろんその1試合の勝ち負けが人生に関わってくる。小学生だと、周りで見ている親のプレッシャーも半端ない。自分の経験談だと、自分自身はサッカーの経験はほぼゼロに等しく、子供が小学校でサッカーチームに入ったことがきっかけで、お手伝い感覚で審判の資格を取った。基本的なルール、例えば、オフサイドとか、そういったものはもちろん理解して臨んでいたが、ルールブック全てを把握していたかというと、それはなかった。また、サッカー経験者のお父さんに話を聞くと「ルール全部は理解できていない」と言っていたのだが、確かにルールブックはかなりのページ数で、しかも毎年改訂が入るので全てを正確に、常に理解・把握するのはかなり難しいのではないか、と思った。そういった中でも、小学生も「公式戦」というものがあり、どのチームの子供たちも勝利を目指して一生懸命プレーする。そして周りのお父さんたちも選手並みに、いやそれ以上に気合の入ってしまう方もやはり中にはいて、審判に対してヤジを言う人もいるのだ。さらには、人間しかも素人なので誤審もする。そこに対して、かなり強い口調で抗議をするコーチもいるのだ。なかなかメンタル的にはキツい。特に、5年製6年生くらいになると、かなりのスピードで展開するようになるので、フィジカル的にも辛くなる。そういった経験を持った上で、サッカーや野球、そのほかのスポーツにおいて、審判というのは相当なプレッシャーの中でやられているというのは、理解できる。

毅然とした態度でジャッジを下す、というのはおそらくどのスポーツでも一緒だろう(その毅然とした態度の裏には、一つのジャッジを下す上での相当な葛藤が存在していると思う)。ただ、サッカーを見ていて「いいな」と思うのは、審判と選手が密にコミュニケーションを取っていること。それがなければ、信頼関係は築けなくなる。そうなると、審判のジャッジに対して、不信感が生まれる、という悪循環に陥ってしまうような気がするのだ。なので、野球ももっと審判と選手のコミュニケーションを活発にした方が良いのではないかと思う(野球に関しては無知なので、これはあくまで外野的な意見だが)。別にお互い喧嘩しにフィールドにいるわけではないはずだから。


さて、ここでふと思ったのは、「サッカー」というスポーツが、いかに特殊な球技であるか、ということ。「?」と思う方もいるだろうが、サッカーほど、プレーが切れない、止まらない球技はないのではないだろうか?

野球は、表と裏の交代もあれば、バッターも一人ずつ出てくるし、ピッチャーの1球1球でもプレーは止まるのだ。ラグビーはスクラムのタイミングもそうだが、選手が倒れればボールを離さなかればならず、そのタイミングでプレーもよく止まる(実際には止まっていないのだが、見かけで)し、ボールを前に落としただけで反則になって相手ボールになってしまうのだ。より顕著なのが、アメフトだ。ボールをキャッチして倒れれば、プレーは切れる。その一瞬一瞬を繋げて、前進していくスポーツだ。テニスもラリーが続けば別だが、基本的に断続的なプレーとなる。バレーもポイントが入るたびに、セットしてサーブ。バスケは、かなりサッカーに近い。フリースローくらいか。

サッカーは、もちろんファールで止まるしフィールドからボールが出ても止まる。でも、他の球技に比べると異次元なほどプレーが止まらないスポーツなのだ。時計が止まらないのも一因なのかもしれないが。この「プレーも時計も止まらない」という部分が、審判のジャッジの難しさにも影響していると思っている。プレーが切れる球技であれば、そこで他の審判と相談もできるし、VARのようなシステムの運用もよりしやすい。
実際、テニスはホークアイがかなり前から運用されているし、出たか出てないかの判定なので時間もかからない。ラグビーは時計が止まるので、アウト・オブ・プレーの時にかなり審判が選手に対して色々と言っているのが、中継を見ているとわかる。アメフトなんて、ワンプレーワンプレーで止まるので、その度に判断が下せる。

サッカーも、プロの試合ではインカムを使って主審、副審、第4審がコミュニケーションを取れるようになったが、それもほとんどが動きながらだ。なかなかに大変だろう。各競技で、審判の難しさというのは必ずあって、それぞれの苦悩はあるはず。しかし競技の特性を考えると、サッカーはより大変な気がしてならないのだ。

日本のJリーグで、VARの導入を早めたと言ってもいい、誤審があったのは、2019年の浦和 対 湘南の試合だ。前半31分、杉岡選手の放ったシュートが浦和ゴールに突き刺さり、勢い余ってサイドネットから跳ね返ってゴールから出てきた。ピッチ上の選手、ゴール側のサポーター、そして浦和のキーパー、西川選手ももちろん、湘南ゴールを認めて、跳ね返ってきたボールをセンターサークル方向にポイっと投げた。しかし、審判団はノーゴールと判断。プレーを続けさせたのだ。DAZNの中継映像でもはっきりと分かるゴールだったのに。

この誤審に関しては、DAZNのJリーグジャッジリプレイでも、1回分まるまる使ってレビューをするほど、議論を呼んだ。

明らかな、そして重大な誤審であったことは間違いない。でも、僕自身も審判(4級、小学生の試合)をしていた時によくお父さん仲間と言っていたのは、分からなかったら笛は吹かない、旗を揚げないということ。つまり、見えていないものは判断できない、ということ。この誤審に関しても、ゴールラインを割ったかどうかは副審が判断するのだが、シュートのスピードにオフサイドラインからゴールラインまで走るのでは追いつけない。で、このシュートはゴール内側サイドネットに勢いよく突き刺さり、すぐにネットに弾かれてフィールドに戻ってきた。これを副審はポストに当たったと判断したのではないだろうか。何せゴールラインを割ったのを確認できていないのだ。主審は副審の情報を元に、プレーを続けさせた。この一連のプレーは、ボールがラインを割って一度切れるのだが、ここで審判団(特に主審)は湘南側から当然、猛抗議を受ける。しかし、副審含めて審判団の誰一人として「ゴールラインをボールが超えた」ということを確認できていないのだ。ボールがゴール内に止まっていたり、後ろ側のネットを揺らしていれば、それによって判断はできるのだが、このケースはボールがゴールから出てくるという、珍しい動きをしてしまった。試合は、最終的に湘南が劇的な勝利を収めたわけだが、審判団、特に山本主審の精神的なダメージは計り知れない。

しかし、先日、湘南のサポーターが、山本主審に向けてのメッセージを弾幕で示していた。これは本当に心温まるシーンだった。立ち直った山本主審も素晴らしいと思う。

個人的に、試合観戦時は審判に対して「おい〜・・・」と思ったりすることも、もちろんあるのだが、少しではあるが捌くことの難しさ・大変さを知っているので、試合が終われば、忘れるようにしてwww

それだけに、今、Jリーグでは、選手も審判団をより理解しようとしているだろうし、審判団も然りだ。試合前後の選手とのやりとりなどを見ていても、よく使う言葉「サッカーファミリーだな」と思う。そして、審判は常に「誤審をなくす」努力をされているはず。それでも人間なので、ミスはある。選手だってパスミス、判断ミスは常に背中合わせだ。これまで、誤審も含めてサッカー、という言われたかをしてきたが、VARも含めた技術も取り入れ、誤審を無くそうとしている。それでも100%なくなることはないのだ。それは人間がやるスポーツだから。ミスだらけでは困るのだが、一つ一つのジャッジがどうだったかを検証して、前に進むことが大切なのだ。そのためには、選手、審判、観客それぞれが、リスペクトを忘れることなく、密にコミュニケーションを取っていくことが必要なのではないかと思う。

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