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582年前の6月4日、アレシュが亡くなる、の話

ボヘミア貴族、アレシュ・リーズンブルク。
現時点で、私の前世である可能性の高い人物です。
歴史書によると、1442年の6月4日に亡くなったといいます。

日付は歴史書に残っているものの、その死因を記した資料はまだ見つかっておりません。

しかし、私が以前受けたヒプノセラピーで見た景色により、言ったもん勝ちではありますが、死因は把握しております。
それを証明する資料を見つけたくて、私はずっとそれを探しているというわけでございます。


史実や資料を無視し、ヒプノセラピーの結果だけを述べるならば、アレシュの死因は食あたりでした。

もしくは、アレルギー反応による衰弱死。

とある晩餐会で出された料理を食べたアレシュは、直後に体調を崩して寝込んでしまいます。
毒を盛られたかと一瞬思いましたが、毒にしては即死性がなく、また、晩餐会の出席者を疑うのはよろしくないので、すぐに毒については考えることをやめました。

寝込んでいるアレシュのもとには、たくさんの人が見舞いに訪れています。
その中に、ヤン・ロキツァナという司祭の姿もありました。
彼はベッドにすがりつき、アレシュに対して許しを乞うように泣いていました。
どうやら晩餐会の食事の手配をしたのがこのロキツァナで、傷んだ魚介類を提供してしまったのだそう。
その責任を感じ、ロキツァナはアレシュに謝罪をしていたのです。

アレシュは傷んだ魚介類に気づきましたが、吐き戻したり残したりしては失礼だと思い、我慢して食べたのです。
その結果、食あたりになって何日も苦しむことになってしまったということです。
下痢や嘔吐で体力を消耗し、もはやベッドから起き上がる体力も残っていませんでした。

ちなみに、現世の私(研究太郎)は甲殻類アレルギーで、エビやカニを食べるとアレルギー反応を起こします。症状としては、口の中や肌が痒くなる程度です。

生まれた時からアレルギー体質だったので、エビやカニを食べるときは、みんな痒くなるのを我慢しながら食べているんだと思っていました。

大人になってからアレルギーとの診断を受け、それ以降は甲殻類を食べるのを控えていたのですが、お酒の席などではついつい気が緩んでしまいます。

ツマミに出された小エビの素揚げがとっても美味しくて、ついつい食べすぎてしまったことがありました。

飲み会が終わり、家に帰ってから大変な目にあったのです。

胃袋がぎゅーっと締め付けられるように痛み、油汗がダラダラと出てきます。
アレルギーの許容範囲を超えて小エビを食べてしまったようで、一晩中苦しみました。
普段のアレルギーの症状が軽微だからといって、あなどってはいけませんね。

さて、本日6月4日はアレシュの命日でございます。

毎年おとずれるとは言え、やはり何か物悲しいというか、アレシュの最期に想いを馳せてしまいます。

これもヒプノセラピーの体験のことになりますが、アレシュの最期の時の気持ちは、「生まれ変わりを信じて、希望に満ちて亡くなっていった」という様子でした。

当時の宗教観では「生まれ変わり」はタブーです。
生まれ変わりについての「論文」みたいなものを、生前のアレシュは書いていました。
しかし、見つかったら異端視され、下手をすると命を奪われてしまいます。
でも、論文は破棄したくない。

なので、アレシュはどこかの教会の地下室の、壁の中にそれを隠しました。
後世、思想の自由の時代が来たときに見つけて欲しいという願いをこめて、壁の中に塗り込んだのです。

(それが事実なら探し出したいのですが、歴史的な建造物の壁を破壊するのですから、そこにあるという確実な証拠がない限り、発掘の許可は降りないでしょう。)

ともあれ、死にゆくアレシュは、生まれ変わったらどんな時代が良いかなー、とか、今世の記憶はどこらへんまで持ち越せるんだろう、とか、もう次の世のことを考えてワクワクしながら死にました。

その想いの結晶が私というわけです。
アレシュから見れば、昭和、平成、令和の日本というテーマパークに遊びに来たようなものでしょうね!

苦しいことや理不尽なこともあるけれど、基本的に全部楽しめる!
フス戦争の研究というものに出会ってからの人生は、なおさら「楽しむ力」がパワーアップした気がしています。

今回はアレシュの命日に、こういうことを考えましたというお話し。

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