考察「過去世・前世で隠したかった事を現世であばくのは、いかがなものか」

さてさて。

私は長らく、自身の前世についての研究を進めて来ました。
その中で、前世の自分である可能性の高い「アレシュ・リーズンブルク」という人物に出会ったのですが、彼は他者の名誉を守るために自分の名誉や立場を犠牲にし、その秘密を生涯に渡って守り抜いた、というところまで調べが進んでおります。

問題だと思うのは、せっかく彼が守り抜いたその秘密を、今世で私がバラしてしまって良いのかということです。

私の前世探究は、占いやヒプノセラピーなどのスピリチュアルなものを通して見えたビジョンを、歴史書・論文などの物的証拠に照らし合わせて検証するという方法をとっています。
もし証拠もない状態でしたら、私がどんな事を言っても妄想の域を出ません。
しかし証拠があるとしたらどうでしょう。
そして、その証拠とヒプノセラピーのビジョンが一致したとしたら?
幸いなことに、証拠となりうる歴史書や論文はけっこう存在しているのです。

前回の記事にも書きましたが、今回はヒプノセラピーで見た景色や出来事がチェコの大学の卒論文の中に書いてあるものと一致する、という事が起こってしまったのです。

まず先に、私がヒプノセラピーで見たビジョンを紹介しますと、以下の通りです。
(私の前世…アレシュ・リーズンブルク。15世紀のチェコで起きた「フス戦争」に参加した貴族。)

◆アレシュはカトリックの拠点となる修道院を攻撃するために出兵した。時期は秋か冬。
◆アレシュと一緒に、有力貴族の息子も出撃した。
◆その有力貴族の息子が勝手な行動を起こし、無謀な突撃をして戦死した。
◆アレシュは撤退し、本拠地へ帰還した。
◆本拠地で敗戦の責任を問われたが、アレシュは貴族の息子の名誉をかばうために自分を悪者にし、要職を解かれた。

という流れでした。

次に、チェコの大学の卒論文に書いてあったのは以下の通り。
著者はDaivid Richterさんという方で、パルドビッツェ大学の卒業生です。2013年の著作でした。

★1420年のクリスマスの直前の時期、フス派の貴族アレシュ・リーズンブルクはカトリックの拠点となるオパトヴィツェ修道院攻略のために出撃した。
★修道院を攻略するルートは三ヶ所あったが、アレシュの軍は修道院の正面ルートを選んだ。しかしそこは川が流れており、渡河に手間取っている間に敵から狙撃されたり、川を渡った後の突撃も無意味に終わって敗走した。
★その際に死亡した「ペトル」または「ペトレット」という名の貴族が記録に残っているが、人物の詳細は不明である。しかし歴史書に名前が残るのだから有力貴族家の関係者だったのだろうと推測できる。
★アレシュは帰還後、裁判にかけられた。


といった内容で、ヒプノセラピーで見た内容とほぼ一致します。

この卒論文の著者は、この戦いに関する記録の一次資料となる裁判議事録など見て調べたのでしょう。
そこにはきっと、「この無謀な突撃はアレシュの指揮によるものだ」というふうに記してあるはずです。

しかし真実は、貴族のドラ息子が作戦を無視した行動を起こし、それが軍の敗北に繋がったのではないでしょうか。


現世の私のことになるのですが、私は物心ついた頃から、社会のルールを破る人間に対して酷く嫌悪感を抱いておりました。
特に、団体行動を乱すような人は今でも許せません。

それって、前世での思いが投影されているからではないかな、と思います。

ヒプノセラピーのビジョンによると、貴族のドラ息子のペトルはアレシュの立てた作戦に従うことを拒み、自分だけで戦功を立てようとして無謀な突撃を敢行しました。

論文では、その突撃で戦死した兵は250名とあります。
たった一人のわがままのために、250人が無駄死にを。

アレシュはすごく腹を立てたと思います。

しかしそれ以上に、アレシュはグループ全体の事を考え、そちらを優先したのでした。
すなわち、アレシュは「戦犯はペトルだ」と言ってしまうことにより、グループ内の権力バランスが崩れることを危惧したのです。

そして、アレシュは自分の名誉を犠牲にし、敗戦の罪をかぶるのでした。
その結果、アレシュは左遷させられ、裁判の議事録にも敗戦はアレシュの責任として記録されることになったのです。

ちなみに、Wikipediaのアレシュ・リーズンブルク(チェコ語版)には、アレシュの人柄についてこう記されています。

「無私無欲な人間性という点で、アレシュは他の貴族と違っていた」

と。

当時の貴族は、戦乱に乗じて自身の利益を増やそうと躍起になる者が大半でした。
その中にあって、アレシュは最終的に「ボヘミア最高元帥」に抜擢されます。

それはボヘミアの戦争を終わらせるために、カトリックと反カトリックの穏健派が和平をし、その双方の軍をまとめるために選ばれた元帥でした。
つまり、カトリック側からもその人格と功績を認められていた、とも言えます。

自分の前世ながら、よほどの人格者だったのだなと誇らしくなります。

さて、もしそのアレシュの魂がまだ私の中に生きているとしたら、戦死したペトルの名誉を傷つけるような告発について、どう思うでしょうか。

転生して「私」という人格に生まれ変わったアレシュではありますが、今世の「私」もアレシュと感情を共有している部分が多いと感じています。

よって、私の出した答えはこう。

「あのとき(1420年)は、ペトルを庇うのが最善だと思ったからそうした。しかし今(2024年)となっては守るべき秩序も滅んでしまっているから、問題ない。
また、ペトル本人の魂のためを思うなら、ことさら真実を公開したほうが良い。彼(ペトル)も、いつまでも偽りの歴史の上に座るのは居心地が悪いものだろう」

ということです。

書いていて思い出しました。
私がここまで前世探究にのめり込む理由は、歴史に埋もれたフス戦争の戦士たちの生き様を、再びこの世に紹介するという目的のためです。

散って行った人々への鎮魂の意味もありますし、現代の人々へのメッセージにもなります。

またさらに、ペトルの生まれ変わりがもし現代に居るのなら、彼は生きづらさや、生きることへのうしろめたさを感じているかもしれません。今現在も。

それは、彼が過去世に起こした事への懺悔が成されていない可能性があるからです。偽りの事実を歴史として残すことはできますが、心に負ったものを変えることはできません。

ペトルは、自分の行動により250名を無駄死にさせてしまったという事をいつか懺悔したいと思いながら、罪悪感に苦しんでいるのかもしれません。

ペトルの生き様を晒すのは彼の名誉を傷つけることになるかもしれませんが、それ以上に、彼の魂の救済になるのでは?なんて思うのは、ちょっとおおげさでしょうか。

本人と話してみないことには分かりませんね。

どっかに居ませんかね、ペトルの生まれ変わりの方。







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