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仮説と証明、の話

私の前世探究が、また進みました。

まずは、これまで分かっている前世の情報を整理してみましょう。

◆15世紀のチェコ貴族で、名前はアレシュ・リーズンブルクといった。

◆リーズンブルク家は東ボヘミア地方にあり、アレシュは「ベルキーブジェショフ」という街を拠点にしていた。なので「アレシュ・ブジェショフスキー」と呼ばれていた。

◆アレシュには産みの親と育ての親がいて、何らかの理由で育ての親のもとで暮らした。

といったものです。
これらはほとんど占いやヒプノセラピーなどから導き出したものでした。

そして、様々な状況証拠から、私は次のような仮説を立ててみたのです。

仮説①
アレシュの産みの親は、おそらくŽernv(ジェルノフ)という町にある「リーズンブルク城」にいた。アレシュも幼少期は、そこで過ごした。

仮説②
アレシュは産みの親から離れて、育ての親のもとへ行って「養子」になった。おそらく、育ての親となったのはアレシュの叔父であった。


これらの根拠となるのは、やはりヒプノセラピーと占いと、あとは「そんな気がする」という自分の直感です。

見えない世界のことなので言ったもん勝ちな部分がありますが、いつか歴史書の中に証拠を見つけたいと思っていました。

そして今日、何気なく見ていた資料(もちろんチェコ語)に気になる箇所があったので、抜粋して翻訳してみたのです。

これをご覧下さい。

幾人かの名前と、日付や数字が書いてあります。
これは東ボヘミア地方の土地や財産が、いつ、誰のものになったかが書いてある資料です。

内容は以下の通り。

【1400年にベネシュとヤン(おそらく兄弟)が、なにがしという土地を250コペック(お金の単位で、1コペックは60グロシュ)でアンナという女性に売った。

中略

1415年、その所有者は一定の金額で所有権を手放し、リーズンブルク家の(若い)領主に権利を譲った。

そのリーズンブルク家の領主にはアンナ(前述のアンナとは別人)という妻がいたが、子供がいなかった。

そこで、領主の甥であるアレシュ・ブジェショフスキーが、養子として叔父の家族に加わった。

アレシュはジェルノフにあるリーズンブルク城から、250コペックの持参金を持ってきて、1418年に裁判所はそれを許可した。】


∑(゚Д゚)

まじか。

仮説が全部当たってますた。。。。

今度の8月に、私はチェコに旅行に行くんですよ。

それで、行き先は絶対にジェルノフと、リーズンブルク城にしようって思っていたんです。
リーズンブルク城は今は城址が少し残っているだけで、観光地としてはかなりマイナーな場所だと言います。
その城址にホテルが建っているので、絶対そこに泊まろうと思い、現地の旅行会社さんの協力をあおいで宿泊の予約を取り継いでもらいました。

そこに泊まれば、アレシュの産みのお母さんの霊に会える、って思ったんですよ。
根拠はないけど、確信していました。


そしたら今日、それを証明する資料を見つけたってわけです!


どんだけ不思議なことが起きるんでしょうね。

いやー、しかし驚きというか、ついに見つけたというか。

すごいですねー。面白いですねー。
あらら。

コーフンしてたら夜が明けるざます。

寝不足になってしまうだわ。

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