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『空が青いから白をえらんだのですー奈良少年刑務所詩集』

詩に感動したことなんてなかった。なんだか世界が違うような感じがあって、気恥ずかしくて。
それが、名もなき人が詠んだ詩に涙を流してしまうほど、心が打たれてしまうなんて思いもしなかった。
詩をつくったのは少年刑務所の受刑者たち。

◆◆◆

『空が青いから白をえらんだのですー奈良少年刑務所詩集』詩・受刑者、編・寮美千子。

くも
空が青いから白をえらんだのです
Aくんは、普段はあまりものを言わない子でした。
そんなAくんが、この詩を朗読したとたん、堰を切ったように語りだしたのです。
「今年でおかあさんの七回忌です。おかあさんは病院で
『つらいことがあったら、空を見て。そこにわたしがいるから』
とぼくにいってくれました。それが、最期の言葉でした。
おとうさんは、体の弱いおかあさんをいつも殴っていた。
ぼく、小さかったから、何もできなくて…」
Aくんがそう言うと、教室の仲間たちが手を挙げ、次々に語りだしました。
「この詩を書いたことが、Aくんの親孝行だと思いました」
「Aくんのおかあさんは、まっ白でふわふわなんだと思いました」
「ぼくは、おかあさんを知らないので、この詩を読んで、
空を見たら、ぼくもおかあさんに会えるような気がしました」
と言った子は、そのままおいおいと泣きだしました。
自分の詩が、みんなに届き、心を揺さぶったことを感じたAくん。
いつにない、はればれとした表情をしていました。

たった一行に込められた思いの深さ。そこからつながる心の輪。
目を見開かれる思いがしました。p9

◆◆◆

この詩集は更生教育の一環である「社会性涵養プログラム」の「童話と詩」の授業で生まれた作品の中から編んだもの。
編者である作家寮美千子さんは奈良少年刑務所の教育官との出会いから詩の授業を受け持つことに。月に一度1時間半の授業を計6回。半年に渡って行われるという。

夏の防波堤
夕方 紺色に光る海の中で
大きい魚が小魚を追いかけているところを
見ました
鰯の群れが海の表面をパチパチと
音を立てて逃げていきました p20
恥曝しの末路
ぼくは風船人間
今現在 気体を注入されて 膨らんでいます
けれども その気体は水素なんて 立派なものではなく
憂鬱 倦怠 厭世感 るさんちまん といった
有害物質を数多く含んだものです
注入が終われば やがて空へと飛んでいき
黒い烏の嘴かなにかで突っつき破られるでしょう

風船人間が始末に負えないのは
破られた後も周囲の空気を汚染し続けて
その存在がなかなか失われないところにあります p64

面会で妻の小言にあんどする

物言えずうなずくだけの十五分 p90

「刑務所」「受刑者」と聞くと、反射的に「こわい」と感じ、僕らとは違う、向こう側の人たちと線を引いてしまう自分がいた。

そんな反射的に「こわい」と感じてしまった人たちがつくった詩のひとつひとつに共感し、心が震え感動してしまうのだから、「こわい」と感じていたのはいったいなんだったのかと考え込んでしまった。

◆◆◆

あたりまえのことだけれど、彼らと僕らは同じ人間なんだよなあ、地続きなんだよなあと思う。
ただ、最後の最後、法を犯してしまうほどに張りさけてしまったかどうか。ただそこだけの違いなんだろうなあと。

むじゃきに笑う。すなおに喜ぶ。ほんきで怒る。苦しいと訴える。
悲しみに涙する。いやだよと拒否する。助けてと声に出す。
日常のなかにある、ごくあたりまえのこと。

そんなあたりまえの感情を、あたりまえに出せない子どもたちがいます。
感情は鬱屈し、溜めこまれ、抑えきれないほどの圧力となり、
爆発して、時に不幸な犯罪を引きおこしてしまいます。 p2
彼らは一度も耕されたことのない荒れ地だった。ほんのちょっと鍬を入れ、水をやるだけで、こんなにも伸びるのだ。たくさんのつぼみをつけ、ときに花を咲かせ、実までならせることもある。他者を思いやる心まで育つのだ。彼らの伸びしろは驚異的だ。出発点が、限りなくゼロに近かったり、時にはマイナスだったりするから、目に見える伸びの大きさには、目をみはらされる。
こんな可能性があったのに、いままで世間は、彼らをどう扱ってきたのだろう。このような教育を、もしずっと前に受けることができていたら、彼らだって、ここに来ないですんだのかもしれない。被害者も出さずに、すんだのかもしれない。「弱者」を加害者にも被害者にもする社会というものの歪みを、無念に思わずにはいられない。 p148

あたりまえの感情を押さえ込んで、その社会からこぼれ落ちないように、はみ出さないように。そう思えば思うほど、苦しくなり、体も心も悲鳴を上げてしまう。
結果、爆発し、こぼれ落ち、はみ出してしまうパラドクス。

ごくあたりまえのことがあたりまえではなく、特別なこと、あるいは禁止されていたり、タブーになっていることは少なくないと思う。僕自身もそうだった。

思うのは、他者の感情を押さえ込もうとする人もまた抑圧されてきた人なんだよなあと。その抑圧されてきた年月の長さにため息が出る。

あんまりだなあ。あんまりだよなあって。
生きている間に自分にはなにができるんかな〜。

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