知らないでいられることの貧しさ/高知東生『土竜』
以前から読者の感想ツイートを目にしていて楽しみにしていた高知東生著『土竜』を読む。その中の「シクラメン」が衝撃だった。
昭和の高知の匂い、土地の記憶、性と暴力、戦争や空襲といった歴史背景…それらが何層にも絡みあって、物語/小説を読むことの面白さが更新されるような読書体験だったな
過去も歴史も戦争も知らない、その人の事情や背景も知らない、なにも知らず想像もできずに蔑んで嗤ってしまえることの貧しさ、愚かさ
嘲笑・侮蔑には都合のいい対象、この世界の多数はそういう存在によって生かされている
自分はまだマシだふつうだと思えることで自身の現実に向き合わなくて済む
強く見える人も決して強くなんかなくて、どこかで泣いている、「孤独に耐える強さ」は「弱音を吐けない脆さ」と背中合わせだ
誰も強くない、普通じゃない、健常じゃない
誰もが不完全で、バカで、でもたくましくもあって
助けているようで助けられていて
蔑んでいる対象が実は死ぬほど羨ましくて、、、
そんな矛盾、相反のなかに人間は生きているのかな
そこから自由になんてなれなくて、せいぜいできることは、自分の中にあるんだと抱えて生きていくことくらいか
夕子の境遇とそれを蔑む人たちーー生き延びた人の命を容赦なく奪う黄燐焼夷弾が重なって読めた
懸命に生きているにもかかわらずつまらない理由を作って人は人を見下し嘲笑う生き物であることの非道さ、あさましさ
高橋や竜二が感じる情けなさや卑怯さは読んでいる自分自身にもある
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