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「ただ訳すだけ」でも、個性は出るし活かせる

個性ということばを聞いてよく思い出すのは、新卒生の就職活動だ。

まるでそれが就活の制服でもあるかのように、一様に黒スーツと白シャツを身につける、あの独特な光景。
わたし自身も、新卒の就職活動のときにはその「制服」を身につけて会社説明会やら面接やらに向かっていた記憶がある。

違和感はあった。だけど、枠からはみ出すほどの勇気もなかったあのころ、長い就職活動を経て気づいたことがある。

同じようなものを身につけていても、個性は出る。

出るというより、にじみ出る、と言ったほうがいいかもしれない。
みんなが似たような格好をしているとぱっと見た印象は似ていて区別がつきにくい。だけどひとたび話をし始めたり、時にはちょっとした動作をするとそれだけで、そのひとの持つ雰囲気が表現されるのだ。意識していても、していなくても。

そしてその雰囲気は、人事のようなプロでなくても感じ取れてしまう。


通訳の仕事でも、これと同じ気づきを得ることができている。

まったく同じ文章でも、それをどのように訳すかで訳者の個性がにじみ出る。言い方を変えれば、訳者がその文章に対して持っている世界観や表現したい思いが、個性となって表れる。

I am a cat.
これを「わたしは猫です」とするか、「わたし、猫なんです」とするか。「吾輩は猫である」とか「おいらは猫だにゃん」と訳すこともできるかもしれない。どれを選ぶかで雰囲気はずいぶん変わる。

今わたしに通訳としての仕事を依頼してくれている人たちは、わたしの通訳としての個性も含めて評価してくれているんだと思う。
だからこぞわたしなりの個性を大切にしたいし、磨いていきたい。

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