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「社長少女」を発売するまでの長い道

 社長少女という作品の企画が立ち上がったのは10年前の事です。

▼朗読少女から生まれた社長少女

 当時わたしは、朗読少女というアプリを企画・開発・運営していました。朗読少女というのは、女の子アニメキャラが朗読してくれるアプリのことです。このアプリは当時としてはかなりヒットしまして、100万ダウンロードくらいされています。

朗読少女は、当時テレビにも紹介され話題になりました。

 そして、朗読少女のヒットを受けて、新シリーズとして同様の技術を使ったギター少女!というアプリも開発し、こちらも、順調な滑り出しとなりました。

ギター少女!は、主人公の声優に小倉唯さんを起用し、こちらも話題になりました。

 当時勢いに乗っていたわたしは、新たな●●少女シリーズを作ろうと、新企画を練っていました。いろんな●●少女シリーズをアイデア出ししていると時に出てきたのが、社長少女というアプリの企画でした。

▼アプリ版社長少女とは?

 朗読少女、ギター少女!は17歳の少女を主人公にしたアプリです。社長少女も17歳の少女を主人公にすることが決まっていました。
 アプリの内容ですが「17歳の少女が社長をする会社に入社して社員になれる」というものでした。しかし、このアプリの企画、残念ながら開発に着手出来ませんでした。朗読少女、ギター少女!を開発していたアニメ制作会社である、LMD株式会社の経営がアニメ事業の納品トラブルで悪化してしまったからです。LMD株式会社は実質倒産に近い状態となり、わたしは5ヶ月ほど無給で、朗読少女とギター少女!のメンテナンスを続けることになりました。

▼社長少女という企画から実際にわたしが社長に!?

 朗読少女、ギター少女!はそれなりにダウンロードされていたので、お客さんのためにも運営をなんとかして続けなければなりませんでした。そこで、社長少女の企画を話しているときに「いっそ会社を作って、榊くんが社長になったら?」という話がLMDの社長である村濱さんから出ました。(ちなみに、LMD株式会社の村濱社長とは、もとGAINAXのメンバーで、GONZOの創業者である村濱章司さんのことです。わたしが朗読少女の企画を持ち込んだことで一緒に仕事をすることになりました。なお、5ヶ月の給料未払いについては同意の上で仕事していました)たしかに、5ヶ月無給で働いて、貯金は会社の代わりにスタッフの給料としてわたしが支払っていたので、この状況を続けるのは限界だと思っていました。しかし、決断したときには、わたしの貯金はスッカラカンで、会社を設立するための登記費用すらありませんでした。

▼アコムでお金を借りて起業

 わたしは、38歳になるまで、いわゆる借金というものをしたことがありませんでした。ローンなども組まず、クレジットも最大2ヶ月払いまで、という生活をしていました。しかし、本当に1円もない状況に追い込まれていたので、人生ではじめて消費者金融でお金を借りました。そのお金で税理士さんと契約し、ジェトリックス株式会社を設立しました。

▼ジェトリックス株式会社は意外にも好調なスタート

 貯金ゼロからスタートしたジェトリックス株式会社でしたが、朗読少女の運営費や、新たにスタートしたCG制作の受託で、意外にも好調な滑り出しとなりました。初年度はけっこうな売上と利益を出しました。頓挫していた社長少女のアプリ化の企画も、ジェトリックスの自社アプリとして企画を再開しました。そして、あらたな●●少女シリーズとして、大型企画が立ち上がります。

それが、未来少女という作品でした。

未来少女は製作委員会を組成し、かなり大きな企画として立ち上がりました。しかし、不穏な影は忍び寄りつつありました。

▼未来少女、大幅な開発延期

 朗読少女やギター少女!というアプリの企画を発展させたのが未来少女でした。3Dでキャラクターを作り、手書き風のセル調にレンダリングして連番画像を生成し、当時としては非力だったスマホでも(リアルタイム3Dに比べて)きれいな3Dキャラクターが、まるでアニメのように動いてしゃべるというものでした。

 しかし、開発が進むにつれて、アプリというよりはソシャゲに近い内容に企画がスケールアップしていきます。製作委員会側の要望をすべて受け、制作費はアプリのまま、当時ヒットしていたパズドラと同等の機能をすべて実装しました。アプリというよりもゲームの要素が強くなったことで、開発は難航しました。予定より開発期間が半年くらい伸びたところで、開発を中止するか、継続するかという話し合いが持たれました。大幅な延期にスタッフも疲弊しており、2名が病気で倒れ、さらに開発は遅れていきました。
 それでもなんとか開発を続けて、予定より一年遅れて未来少女は完成しました。テストも終わり、あとはアップルの審査に出してリリースするだけというところまで来たのです。

▼市場の広告費の増大により撤退が決定

 未来少女のリリースは1年以上の延長となりました。当然開発コストも増大しました。そして、その期間の開発費は、ジェトリックス株式会社……つまりわたしが大半を借り入れして補っていました。当然かなり赤字が出ていましたが、リリースされれば回収できるという見込みがあったので追加投資を継続していたのです。わたしには勝算がありました。朗読少女のヒットのときも、赤字が出ていましたが、運営費やロイヤリティで黒字になった成功体験があったからです。
 ところが、リリースすれば挽回できると頑張ってきた未来少女ですが、たった一年の間に、ソシャゲの市場はレッドオーシャン化しており、出せば売れるという状況ではなくなっていました。ソシャゲ界隈は、すでに札束(広告費)で殴り合いをする市場になっており、未来少女は当初予想していた広告費ではヒットは難しいという予測が立てられてしまいました。未来少女はアプリでは珍しい製作委員会方式を採用していましたが、製作委員会方式は、立ち上げ初期に予算を確定させるため、再組成しなければ初期の広告費を増額できません。
 失敗を恐れた製作委員会の一社が、撤退したいという申し出をしてきました。委員会を凍結して製作委員会の口座に残っているお金を回収したいという事でした。

▼会社の実質倒産、未来少女リリース中止

 未来少女のリリース中止が決まり、会社は実質倒産するしかない状況に追い込まれました。わたしは、スタッフに全員辞めてもらって、しばらく一人で会社を続けることになりました。というのも、会社というのはすぐに倒産すると、売掛金を銀行におさえられてしまうからです。つまり、スタッフに未払いが発生してしまいます。当時CGの受託部門は黒字でした。わたしは、辞めたスタッフが移籍した会社や知り合いの会社などに売掛のあった仕事を再度依頼し直して、ジェトリックスの負の遺産だけを背負うことにしました。過去に、五ヶ月の給料未払いを経験していたので、スタッフに同じ思いをさせたくなかったのです。もちろん、会社は赤字だけを抱えることになり、日々の支払いもままならなくなりました。

▼会社の実質倒産から半年後にホームレスに

 未来少女のリリースが中止となり、スタッフにも全員やめてもらって会社が実質倒産してから半年後、わたしは自宅の家賃も支払えなくなりホームレスとなりました。ホームレスは5ヶ月ほど続けました。

 ホームレスをして5ヶ月。ついに、生活費も数百円となり、手元に残った最後のお金で、古本屋で村上春樹の世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドを購入しました。死ぬ前に読む最後の小説としては最適だろうと思ったからです。

 東京でホームレスをすると、夜に寝るところがなくて困ります。とくに、公園の三人掛けの椅子は、ホームレスが横になるのを防止するために、あいだに手すりがつけられています。

 そこで、わたしは100円ショップでビニールシートを購入して、昼間に新宿御苑で昼寝をしていました。ビニールシートで昼寝をしているとホームレスに見えないという利点もありました。

 新宿御苑は入場料がかかります。ほんとうに最後のお金で新宿御苑に入場し、人生の最後に読もうと思って購入した「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を広げました。

 わたしは目を疑いました。

 「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」には、異世界の地図が描かれています。その地図が眼の前の新宿御苑の地図と一致していたのです。


 村上春樹先生は、千駄ヶ谷でバーを経営されていたので、新宿御苑をモチーフにして小説を書いていても不思議はありません。生きる気力を失っていた私は、この発見に少し興奮しました。本を読みながら新宿御苑を見て回ると、作中にでてくるドクダミ草などが地図と一致していることを発見しました。また登場人物の母親がいる場所は「母と子の森」となっており、偶然とは思えないほど辻褄があっていたのです。さらに、この小説には、一角獣が登場するのですが、一角獣が塀の中に入る時間と新宿御苑の入場時間が一致しているのです。私以外にこの説を唱えている人は居ないようですが、この考察は間違いないと思います。

 だからどうしたと思われるかもしれませんが、わたしにとって、この発見は世界の秘密そのものでした。世界の秘密を知ったことで、わたしは再び前に進もうと思えたのです。(余談ですが、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」に影響を受けたという新海誠監督も、言の葉の庭で新宿御苑を舞台されています。新海さんも世界の秘密を知ったのか気になります)

▼小説家を目指すことを決意

 この「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の発見で、わたしは死ぬと言う考えを改めました。あらたな生きる目標が出来たからです。

 小説家になる――。

 わたしはすぐに「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を隅々まで何度も読み返し、文体や表現を研究しました。小説家を目指そうと決意し、居ても立っても居られなくなったのです。なんで、そう思ったのか。それは言葉では説明できません。ですが、わたしの命を救ったのは間違いなく小説でした。

 死ぬか小説家になるか――。

 そして、わたしは中野市役所へと向かいました。生きて小説家になるために。

▼宿泊施設でのやくざモノとの共同生活

 中野市役所で、5ヶ月ほどホームレスをしていたことを話すと、すぐに住む場所を手配してくれました。しかし、ケースワーカーさん(役所の担当)は「いまから紹介する場所に行けばすぐに屋根のある場所で生活できるけど、ほんとうに良い?」と言ってきました。
 生きて小説家になることを決意したわたしは、即答でOKを出し、雑司が谷にある宿泊施設へと向かいました。

 そして、現地で役所の担当者(ケースワーカー)さんが何を言いたかったのか理解しました。

 雑司が谷の宿泊施設――。

 地下室に、10個ほどの二段ベッドがカーテンで仕切られただけの部屋で、実質一つの部屋に10人くらいの元ホームレスの人が生活をしていました。衛生状態も悪く、間違いなく、ここが社会の最底辺だと確信できる場所でした。

 そこの住人は、元やくざ、田代まさしさんと同じ独房にいたという麻薬中毒患者、ギャンブル中毒患者、アルコール中毒患者、火災で失明してホームレスになったという元上場起業役員等など、なかなか濃い経歴の人ばかりでした。ちなみに、宿泊施設に来たとき、わたしは最年少でした。
 そんな濃いメンバーと、ひとつ屋根の下というか同じ部屋で暮らすことになりました。

▼半月で宿泊施設を卒業

 宿泊施設に住んでいる人たちは、ほとんどが長期滞在者で、最長で10年生活している人もいました。自立することが出来ず、宿泊施設から大学病院にかよって、シャブ中毒やアル中などの中毒症状の治療を受けている人がほとんどでした。定期的に大学(病院)に通っていることから、彼らは宿泊施設の管理人さんから大学生と呼ばれていました。
 わたしが宿泊施設で生活をはじめてしばらく経った頃、わたしより年下の若い現役の暴力団員が宿泊施設に来たことがありました。酔っ払ってマンションから転落し、怪我をして仕事(しのぎ)ができなくなりホームレスになったとのことでした。しかし、彼は数日後には、宿泊施設を出ていきました。どうも、先輩のヤクザが「こんなところに居たらダメになる」とお金を貸してくれて、住む家を見つけてくれたのだそうです。現役ヤクザから「こんなところに居たらダメになる」と言わしめるような場所が、宿泊施設なのです。そして、わたしもこんな場所には長く居ては駄目だと思うようになりました。

 そして、わたしは、その宿泊施設を二週間で抜け出すことが出来ました。

 幸いにもわたしは健康状態にはそれほど問題がなく、素行も良かったので、すぐにアパートに移ることができました。さきほどの若いヤクザさんをのぞけば最短での卒業だったようです。ちなみに、宿泊施設では何もすることがなかったので唯一の所持品だった「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」に、ボールペンで何箇所もマーキングしながら、小説の構想を練っていました。

▼ホームレスから再起、会社を正式に倒産へ

 わたしは、放置していた会社を正式に倒産させるために弁護士に会いに行きました。しかし、会社を倒産させるために弁護士さんに支払う諸手続きには70万円かかります。当然ですがわたしにはそんなお金はありませんでした。わたしは、その70万円を捻出するために、Blenderの書籍を執筆し、その印税を弁護士さんに支払い破産の手続きを開始することができました。

▼小説の執筆開始

 Blenderの書籍は無事リリースされました。破産には時間がかかり、弁護士に依頼してから1年後にやっと破産が終わりました。

 ちなみに、破産係争中は、お金を稼ぐことが出来ません。理由は、わずかでもお金を稼ぎすぎてしまうと、資産が増えてしまい、その度に破産のための資料を作り直さないといけないからです。破産係争中は最低限の仕事だけしか出来ず、時間だけは結構あったので、本格的に小説の執筆を開始しました。

 最初に書く小説は、かつてアプリとして企画していた「社長少女」を小説として再構築することにしました。

 そして、破産手続きも無事終了し、小説も完成しました。

▼炎上事件と閉鎖病棟への入院

 小説を出版するためのクラウドファンディングも行い、小説の発売が決まりました。ところが、小説をリリースする前に、わたしは炎上事件に巻き込まれ、うつ病になってしまいます。この件は、ネットでも話題になり大変な事態に発展しました。
 わたしは炎上騒動に疲弊しツイッターを休止しました。しかし、このツイッター休止に関して、わたしが殺害されたというデマが流れたのです。

 「榊は生きているのか?」わたしの生死を確認するために自宅に人が押し寄せました。深夜に何度もチャイムを鳴らされ、わたしの精神はさらに疲弊し、ついには5ヶ月間閉鎖病棟に入院することになったのです。なお、わたしが死んだというデマについては、心配してくれる人といたずらの見分けがつかず、うかつに警察にも通報出来ずに苦労しました。

 わたしの住所がネットで広まったのは、わたしの公式Facebookページで入力していた住所が間違って公開になっていたためでした。それを発見した人が5chに投稿し拡散されてしまったようでした。たとえFacebookに公開されていたにせよ、個人の住所を炎上している5chに投稿するでしょうか?この事からも、わたしの死亡デマや、住所の拡散は、その背後に確実に悪意があったことがわかります。
 京都アニメーションの痛ましい事件が発生したのは、わたしが閉鎖病棟に入院して一週間目のことでした。わたしは、自宅を襲撃された自分の体験と照らし合わせてさらに病気が悪化してしまいました。

 それから、かなり時間はかかりましたが、病気と向き合い、徐々にわたしのうつ病は回復に向かいました。

 閉鎖病棟を退院して約2年半。コロナ禍などもあり、なかなかうつ病の回復には時間がかかりました。現在は睡眠薬や抗うつ剤もゼロになり、ついに先月、精神病院への通院も終わりました。

 こうやって、振り返って書いてみると、社長少女のアプリを企画してから10年、ほんとうにいろんなことがありました。

5ヶ月給料未払い、消費者金融でお金を借りて起業、ゲームのリリース中止、5ヶ月間のホームレス生活、宿泊施設での最底辺の共同生活、ネット炎上、自宅に人が殺到、うつ病で5ヶ月閉鎖病棟に入院……。

 そしてついに発売へ!


 社長少女には、わたしの想いがつまっています。アプリの企画から10年、執筆が完了してから3年。ついに、その社長少女が商業ベースで発売されることになったのです!

 小説家としてのわたしのキャリアは始まったばかりです。

 もしご興味を持って頂けましたら、電子書籍のみの販売となっておりますが、ぜひお手に取っていだければ幸いです。


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