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榊正宗 自己紹介


榊 正宗(さかき まさむね、1973年8月24日 - )は、日本のCGクリエイター、キャラクター企画、ゲームディレクター、小説家。元SSS合同会社役員。 TVアニメのCG制作や、キャラクター東北ずん子の企画(原作)、アプリ朗読少女の開発。伊勢神宮プロモーションビデオの監修などに携わる。著書に「東北ずん子で覚える! アニメキャラクターモデリング(ボーンデジタル社刊・2016年)」、「社長少女」(スーパーノヴァブックス刊・2016年)がある。



🔳生い立ち

わたくし榊正宗(本名:榊真史さかきまさふみ)は、福岡県糸島市にて出生しました。佐賀と福岡の県境に雷山という山がありまして、その麓が生家です。

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生家の近所では、鎌倉時代につくられた5メートル近くある巨大な千手観音像(重要文化財)をご本尊とする「千如寺大悲王院」というお寺が有名です。

小学生時代から絵を描くのが好きで、毎日ノートに漫画の模写などの絵を描いて過ごしていました。小学校高学年になって、PC6001というパソコンを購入しプログラム言語のBASICをマスター。自分でゼロからゲームを開発していました。

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↑小学生の頃の将来の夢はゲーム会社の社長になることでした。

中学生時代はバレーボール部に所属。学校での成績は学年でも上位で、クラスではトップでした。

高校は、福岡県立城南高校という県内有数の進学校に入学出来ました。高校生になると一般の教科よりも、かねてより興味のあった絵の勉強に熱中し、他の授業への興味を失っていきました。結果的に、大学は芸術学部を受けることになりました。本当は中学時代から芸術方面に興味があったのですが、下手に成績が良かったので進学校を受けたのです。今考えると、芸術学部受験は、勉強だけの生活には興味が続かなかった反動で、本来の道に戻った感じだったように思います。

美術室に通い、美術系の予備校(現役向け)に通って、九州産業大学芸術学部デザイン科に現役で無事合格。なぜか大学生になると、絵ではなく今度はプログラムに熱中し、自分で3Dソフトを開発したりしてました。なんとなく、振り返ってみると、絵に熱中している時期と、プログラムに熱中している時期が交互に訪れてきて、大学時代に、3Dソフト開発というところで交わった感じです。

大学を卒業後、コナミ、カプコン、サイバーコネクト(ツーになるまえの立ち上げ時)なんかのゲーム会社を受けましたが、尽く桜散るで、しばらく就職浪人をしながら、求人誌のリクルート社でイラスト描きのアルバイトをしていました。

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↑こんな感じでリクルートの求人雑誌向けに、ゆるーいイラストを描いてました。(それにしても使用機種や言語が懐かしいですね)

その後も諦めずに、ゲーム業界を目指していたのですが、本命は普通の就職ではなく、ソニーさんの「ゲームやろうぜ!」という企画でした。チームで応募する企画なのですが、落ちても諦めずにチャレンジして3回受けました。「ゲームやろうぜ!」は合格すると、ソニーさんがスタッフの生活費や開発機材に潤沢に資金を提供してくれて、ゲーム開発に専念できるという夢のような企画でした。(※合格者からは、どこでもいっしょシリーズなどの名作が生まれています)

結局、「ゲームやろうぜ!」は合格出来ませんでしたが、その時のチームで同人ゲームを作って、自分たちで販売していました。

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↑RPGツクールで開発した、Radioという同人ゲーム。雑誌でも何度か取り上げられました。

そんなこんなで、同人ゲーム開発をしながら就職出来ずに悶々と過ごす日々を猫と遊びながら送っていました。
そんなある日、アルバイト先のディレクターさんがリクルートを退社し新会社をつくるということで、そちらに移ってWEBディレクター(アルバイト)をやることになりました。私のFlashアニメーション技術を売りに企業ホームページの受託をメインに仕事を取ってました。大きな仕事としては、モモチネットという百道浜(福岡タワーのある場所)のコミュニティFM局と連動したインターネット放送局の立ち上げなんかをやりました。(そのインターネット放送局で放送していたラジオドラマに、当時まだ、学生だった声優の原田ひとみさんが参加されていました)

🔳ゲーム会社時代

WEBディレクターをやっていたときに、元システムソフトのプログラマーで、「大戦略8」のメインプログラマーをやっていた西島栄太郎氏から3Dエンジンのロゴをデザインしてほしいとの依頼がありました。この出会いをきっかけに、彼が立ち上げた3Dエンジンの会社(株式会社エイタロウソフト)にいりびたるようになりました。そこに、サイバーコネクトという会社の元社長から(なんというご縁)、ハドソンというゲーム会社の執行役員を紹介してもらいました。

「君たち福岡でくすぶってないで東京に来なさい!引越し費用はハドソンが出す!」

ハドソン執行役員の香月さんはそうおっしゃいました。

エイタロウソフトは、社長と私、アルバイトの三人で、会社ごと上京することになりました。そして、2004年に、銀座のハドソンさんのとなりに、小さな事務所を借りて、携帯電話向けのゲームを開発することになりました。

初仕事となったのは、携帯電話向け3Dゲームの開発でした。ハドソンさんからの依頼で、当時まだファミコンゲームの移植程度の性能しかなかった携帯電話向けに、おそらく世界初となる3DFPSの開発を行いました。この企画、実はDOOMという世界的に有名なFPSゲームの移植の依頼だったのですが、版権が取れずに、急遽オリジナル作品に路線変更して開発が進みました。「ゲームやろうぜ!」時代の企画ストックがあったので、そこから流用して、「フィニステル」という世界初の携帯電話向けFPSをリリースできました。

2004年の携帯電話のスペックから考えるとかなり画期的なゲームだったと思います。

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といっても社員は社長を含めて3人しか居ません。シナリオ、ゲームシステム、キャラクターデザイン、UIデザイン、企画…………つまり、プログラムと3Dモデル制作以外全部一人でやりました。商用ゲームの開発は始めてでしたが、この経験は後にクリエイターとして大きな糧になったと思います。

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↑2004年の携帯電話のゲームってこんなレベルですよ。この時代に3DのFPSを開発したのは驚異的だと思います(自画自賛ですみません)

その後、数々のゲーム開発を行いました。主にコンシューマーゲームからの移植が多かったですね。社員数も40人近くまで増えて、「ロストプラネット」「バイオハザード」などの有名タイトルの携帯電話版アプリも開発するようになりました。

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↑携帯電話版のバイオハザードオペレーション

その中でも特に大作だったのが、PS2の真三國無双を携帯電話に移植するという無茶なプロジェクトです。

🔳mobile真三國無双

当時、絶対無理だと言われていた、「真三國無双2」を携帯電話で動かすというプロジェクトがエイタロウソフト社内で立ち上がりました。実はこれ、コーエーさんからの依頼ではなく、勝手にサンプルを作って移植させて下さいって売り込んだんです。

コーエーさんと何度も会議を重ねて、最後は役員全員が出席する会議で多数決をとり、1名のみの反対で開発が決定しました。ちなみに、反対したのは真三國無双ブランドを作ったオメガフォースのチームの方でした。彼としては、移植ではなく、携帯電話向けのゲームにすべきだという意見でした。

しかし、プロジェクトは完全移植として動き出します。

実はわたし、このプロジェクトには最初はがっつりディレクターとして関わってませんでした。なんか、元コ○ミだかのコンシューマーゲーム経験者を中途採用したらしく、そっちに任せる事になってました。

ところが、予定の納期の半分くらいが過ぎたある日、社長に呼び出されて衝撃の事実が判明します。

「三國無双が全く出来てない。榊さんなんとかして!」

えええええ!!!と声をあげて驚きましたよ。

「全く出来てないんですか?」

「出来てない」

残りの工期は半分、予算も半分使い切った状態から、わたしのディレクションが始まりました。

このとき参考にした本がこちら。

今でもめちゃくちゃ参考になる本だと思います。この本にある、毎日プログラムをビルドして評価するというやり方(毎日の構築)をプロジェクトに導入。社内のサーバーに、毎日遊べる状態で少しずつ更新されたプログラムを公開して、スタッフ全員でデバッグしながら開発を進めました。

しかも、スタッフの体調を最優先にして、三國無双チームは毎日の構築が終わったら19時に帰るというルールを勝手につくり、残り半分しかない工期のなかで、デスマーチにならないための方策をはりめぐらせました。

結果として、このゲームは、納期を2ヶ月ほど過ぎてなんとか完成。その年の携帯電話向けゲームの年間2位になりました(ちなみに一位はファミコンの「ドラゴンクエスト2」の移植でした)

一般には「ドラクエ2」なんかのファミコンのゲームしか移植されてない程度の性能しかない携帯電話で、PS2のゲームをほぼ完全移植するという偉業をなしとげたのです。(今考えてもマジですごくね?)この経験はクリエイターとして大きな自信につながりました。っていうか、このジャンルだと日本一だと業界でも言われるようになっていました。

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グラフィックはハードの限界があるので、LODという技法を駆使して、遠くのキャラを板ポリにすることで、多数のキャラ表示を実現しています。板ポリに描画するテクスチャーは、わたしの発案で、手描きしたものではなく、実際に携帯電話で描画したものを起動時にキャッシュしてテクスチャーに変換しているため、どこから先が板ポリか全く分からなくなってます。

実は、開発中は、ほぼ完全移植でしたが、携帯電話の性質上、キーを押し続けると指が痛いという理由でマップサイズを4分の1にし(それとは別にオートモードも実装)、サイズが狭くなったのでバランスをとって馬を外しました(開発中は馬も動いてました)それ以外は、ほぼ完全移植です。

こんな大変なプロジェクトを進めながら、実は裏ではもう一本、大作ゲームの開発をやってました。こちらはディレクションではなく、サーバープログラムのコードを実際に書いてました。

そう、後にDeNA社長となる守安さんと一緒にやった、MORPG。日本初の、アイテム課金を実装した「マスターオブファンタジア」というゲームでした。

🔳マスターオブファンタジア

こちらも三國無双に匹敵するほど無茶なプロジェクトでした。企画のオーダーは、オリジナルのMORPGでしたが、ぶっちゃけ言うとモンハン(みたいなゲーム)を作ってくれという依頼でした。

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すごく困ったのは、アプリ部分の開発者がSQL(データーベース検索言語)を書けなかったことです。わたしは、WEBディレクターをやっていたので、PHP+SQLはマスターしていましたが、アプリプログラマーに、それを短期間で覚えてもらうのは難しいだろうという事になりました。なによりSQLの負荷テストをアプリ開発と同時にやるのは無理だという結論になりました。

そこで、サーバー側に、負荷テスト済みのPHPの関数をつくって、その関数を呼び出すAPIを開発し、アプリから操作出来るようにしました。PHPは、記述がほぼC言語ライクなので、アプリプログラマーがSQLを理解しなくても、サーバーの情報を関数から引き出せるようにしました。さらに提供した関数を組みあせて、PHPを記述するスクリプトをデータベース上に登録して管理する独自ツールをつくりました。これにより開発速度が大幅にあがりました。

ちなみに、こちらはホントのデスマーチになってまして、私は舵取りのディレクターではなかったので、三國無双のチームを帰したあとに、夜にプログラムを書いてました(涙)。

このシステムのおかげで、なんとか「マスターオブファンタジア」も無事リリース出来ました。日本初の携帯電話でのアイテム課金搭載ということで、当時としてはちょっと驚くほどの金額を売上げました。DeNAさんとは、ロイヤリティ契約をしていたので、移植開発費用だけだった「mobile真三國無双」よりも会社は儲かったようです。

2つのプロジェクトを成功に導いたわたしは、次の作品を作るために、いろいろなコンシューマーゲーム会社を廻りました。

しかし、これだけの実績があるにも関わらず、仕事はとれませんでした。

なんで?
おかしくない?
世の中どうしちゃったのよ??

そう、世間では開発費の高い本格アプリではなく、ポチポチとキーを押してすすめるだけのブラウザゲーム全盛の時代が訪れていたのです。

ちょ!まって、ねぇ、三國無双とか、実質モンハンができるのに、なんでお前らそのポチポチゲーするの?!

その要因は明確でした。基本無料と言う名の集金装置、つまりは、ガチャの登場です。ガチャの普及で、全ては変わりました。ゲームはガチャのオマケに成り下がり、携帯電話ゲームに長い暗黒の時代が訪れたのです。奇しくもその引き金を引いたのは、アイテム課金を実装した「マスターオブファンタジア」だったのです。この体験があったために、わたしはガチャ批判を公言していますが、お陰様で、ガチャのオッペンハイマーだと言われています(涙)。

↑ガチャ禁止法案の成立についてのわたしの持論はこちらからどうぞ。

私はガチャに染まった携帯電話ゲーム業界に絶望し、エイタロウソフトの退社を決意しました。

日本一と言われるまでめちゃくちゃ頑張ったし、もういいかなぁ、これからは、とにかく好きなことやろ。

そう思いました。

そうだ!

チームで作ったりするより、一人でなんか作ろう。

そう思ったのです。

そして、新海誠監督の作品が好きだったこともあり、会社を辞めて自主制作アニメを作り始めました。当時、ちょうど、秒速5センチメートルが公開されており、そのセリフにも影響された気がします。

そしてある朝、かつてあれほどまでに真剣で切実であった思いがきれいに失われていることに僕は気付き、もう限界だと知ったとき、会社を辞めた。

―映画 秒速5センチメートルより

🔳自主制作アニメ

自主制作アニメの作業はほんとうに楽しい日々でした。わたしは、毎日制作経過を動画サイトにアップロードして、自主制作アニメを粛々と作り続けていました。

↑その頃の開発日誌はこちらにアップしています。

そして、5ヶ月ほどの期間で15分のアニメが完成し、ニコニコ動画にて公開しました。

正直に言いますと、驚くほど酷評でした。当時のままのコメントが残ってますので見てもらえれば分かります(涙)

まあ、初めての映像作品ですし、仕方ないですよね。

本命はニコニコ動画ではなくコンテストの受賞でした!完成した作品は、色々調べて思いつく限りすべてのコンテストに応募しました。

ですが、結果は惨敗。

努力賞みたいな賞にすらカスリもせず、わたしの自信は崩壊していきました。

当時、移植を中心にゲームを作ってきたので、自主制作アニメは、全く商業性の欠片もない芸術的な作品にしようと決めていました。しかし、どうやら世間の考える芸術とわたしの考える芸術は違ったようでした。

自主制作アニメを作っている間は、1円も稼いでいませんでしたから、そろそろ仕事しないと家賃が払えなくるところまで来ていました。

仕方ないので、自主制作アニメを持って、アニメ会社を営業することにしました。

そんなとき、プロが作ってる自主制作アニメ、「星に願いを」のことを知り、劇場に足を運ぶことにしました。

「星に願いを」という作品は、現在ライデンフィルムの社長をしている里見哲郎プロデューサーと「すばらしきこのせかい」の監督をされている市川量也さんによる3Dアニメ作品です。

わたしは劇場に足を運び、客であるにもかかわらず、里見さんに、自分のつくった自主制作アニメのDVDを渡して売り込むという暴挙に出ました(笑)

そんなこんなで、なぜか、里見さんと市川監督とは意気投合し、「星に願いを」の音楽である「星のこどもたち」という曲のPV映像作品をつくることになりました。


🔳星のこどもたち

↑こちらが、「星のこどもたち」のPV映像。楽曲はランティスの伊藤真澄さんです。

「星に願いを」は、Lightwaveというソフトで制作されていたので、モデルデータをもらってから、SoftimgeXSIというソフトにコンバートして制作しました。

この映像は当時では珍しいBlu-ray同人アニメ作品として、2009年の冬コミで販売することになりました。わたしも、里見さんと一緒にコミケで売り子をしました。

ちなみに、Blu-ray同人アニメは世界初だったような気がします(ニッチですが)

プロが作る同人アニメと言う商用に近い実績が出来たことで、この映像を持ってアニメ業界を営業しやすくなりました。

しかし、閉鎖的なアニメ業界。なかなか会ってくださる方はいませんでした。

そんな中で、プロダクションIGさんと、ゴンゾ創業者の村濱章司さんにお会いすることができました。

ちなみに、プロダクションIGさんとは、お会いしてからずっと仕事をすることがなかったのですが、当時お会いしたプロデューサーさんがシグナルMDというプロダクションIGのグループ会社に異動されていて、久しぶりにお会いしたときに、2021年春アニメの「ドラゴン、家を買う。」のお仕事を頂きました。

そういえば、里見さんとも同人アニメを作って以来、ずっとお仕事はしてなかったのですが、「Phantom in the Twilight」という作品でお仕事させて頂きました。

さて、運命の出会いとしては、ゴンゾ創業者の村濱さんです。当時、ゴンゾを退社し、「TCIC」という施設にて「LambdaFilm株式会社」という会社を起業されたばかりでした。

そこで、出会っていきなり、

「アニメなんか作っちゃだめだよ」

と言われまして、

「アニメなんかよりアプリの企画を立てよう!」

という事になりました。

そのとき、二人で考えたのが女の子がひたすら朗読するだけのiPhoneアプリでした。

わたしは、村濱さんに会ってからすぐに自宅にもどって、企画書とサンプルを作成しました。サンプルの評判もよく、オトバンクさんという日本最大手のオーディオブック会社さんと協業して「朗読少女」の開発が始まりました。

ちなみに、企画書の時点では「朗読少女」ではなく「名作少女」という名前でした。

🔳朗読少女

「朗読少女」は当時のiPhoneアプリとしては大ヒットアプリとなり、100万ダウンロードされるほどになりました。(※残念ながら2017年にサービス終了しています)

日本テレビの「深イイ話」と言う番組でも取り上げられました。島田紳助さんからコメントを頂いた時は嬉しかったですね。

この大ヒットを機会に、「LambdaFilm株式会社」改め「LMD株式会社」という村濱さんの会社で常駐して仕事をするようになりました。そこで、「朗読執事」、「朗読少女空の軌跡コラボ版」なんかを次々と開発しました。

そして、満を持して「朗読少女」の後継となる新作アプリ、「ギター少女!」の開発に取り掛かりました。

🔳ギター少女!

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「ギター少女!」はランティスさんとの共同プロジェクトで、マスコミを呼んでお披露目をしました。キャラクターボイスと歌は、当時まだ新人声優だった小倉唯ちゃん。アプリのクオリティも「朗読少女」よりかなり作り込んだものになりました。

しかし、開発元である村濱さんの会社が、とある出来事をきっかけに傾いてしまうという、不幸に見舞われます。

村濱さんが癌になられて一ヶ月ほど音信不通になったのです!

いまは、癌を克服されて、当時のことをご本人がカミングアウトされていますので、ここにも書けますが、当時はほんとうに大変でした。初のアニメ元請けを2本抱えているまさに放送前の出来事だったので、会社は混迷を極めました。

結果的に、「ギター少女!」も更新継続が不可能になり、実質サービス停止となりました。スタートダッシュは「朗読少女」以上だったので、ほんとうに残念でした。

ちなみに、この「ギター少女!」と平行して、もう一つ動いていたのが、ご当地萌キャラプロジェクト。後の「東北ずん子プロジェクト」でした。

こちらは、「ギター少女!」とは真逆に、とにかくお金をかけずに地味にスタートして長く続けようという企画でした。

🔳東北ずん子プロジェクト

「東北ずん子」は、地味にスタートしました。たまたま営業でご連絡したAHSさん(結月ゆかりというキャラクターでボイスロイドを展開している会社さん)の社長が東北出身で、とんとんびょうしに話が進み、ボイスロイドをつくるためのクラウドファンディングをすることになりました。

この企画は、わたしと村濱さん、ビジネス書をたくさん書かれている小田さんの3人で、新会社であるSSS合同会社という会社を設立してスタートした、東北復興支援のためのキャラクター企画でした。(「東北ずん子」は、この三人で協同原作者をやっています)

↑ずっと裏方だったので、わたしが原作者だというのを疑う人が居るのですが、こちらは「東北ずん子」の発表日(2011年10月27日)の前日に、私が投稿した動画です。発表当時「東北ずん子」はまだボーカロイドになっていなかったので初音ミクで制作しています。

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結果的に、「SSS合同会社」は、別会社だったため、「LMD株式会社」のごたごたに巻き込まれることなく、「とにかくお金を使わない&最低6年続けよう」というコンセプトを守り、2021年には、ついに11年目を迎えまして、今ではニコニコ動画ランキング上位の常連となるプロジェクトにまで成長しました。(ちなみに、お金を使わないというコンセプトは、復興支援のキャラ運営が赤字になるくらいなら、現金を寄付したほうがいいだろうという理由からです)

わたしは昨年SSS合同会社を退社していますが、「東北ずん子」は東北の人に使ってもらうためのキャラクターなので、今後は東北の人に盛り上げてもらえるのが一番嬉しかったりします。

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↑ニコニコ動画だけでなく、東北でも定着しているようで嬉しいです。

さて、「LMD株式会社」のほうは、2本のアニメを作ったあと、限界に達していました。アニメの元請け制作費が大赤字をだしていたのです。わたしは、新会社を設立して、「朗読少女」と「ギター少女!」の運営を続けることにしました。

🔳会社設立、幻の未来少女

当時、「LMD株式会社」は倒産寸前だったので、5ヶ月ほどギャラをもらえない中での会社設立となりました。実はわたしもお金を使い切って所持金どころか貯金もゼロでした。そこで、アコムでお金を借りて、株式会社の設立資金にしました。

かなり厳しい船出となった新会社の「ジェトリックス株式会社」ですが、実は初年度は3000万円以上の売上で、そこそこの滑り出しとなりました。

TV局にアニメの元請け企画を出す傍ら、「LMD株式会社」の末路を見ていたので、アニメ制作だけでは赤字になりかねないということで、大型アプリの企画を、業界大手2社と製作委員会方式で立ち上げました。それが、「未来少女」という新作アプリでした。

しかし、このアプリ、若干盛りすぎたというか、制作費に対して無理な内容を承諾して企画を通したため、開発が難航し、最終的には、開発の延期に耐えきれずに製作委員会の一社が撤退するという形で、プロジェクトは終了しました。実はアプリは完成していたのですが、それでも某社の撤退の意思は堅く、「リリースしても広告費が足りないから降りる」と言われてしまいました。わかりやすく言うと、開発が遅れたために、広告費の相場が急騰し最初に準備した広告費では他社に勝てないと言われたわけです。製作委員会の性質上最初に決めた予算でしか運営できないため、解散となりました。

ヒットしたらアニメ化すると言う目標で気合の入ったPVも作成しました。

「未来少女」は、制作費以上の外注費をつかって開発していたので、大赤字をだすことになりました。アニメ制作を支えるためのアプリが、赤字を作ったのは皮肉なことですよね。リリースされたら売上の10%を貰えるというロイヤリティ契約があったので、皮算用でお金を使っていたのです。

ちなみに、TV局に出していた元請けアニメ企画も「未来少女」のリリース中止と同時期に頓挫しました。

わたしが製作委員会に詳しいのは、このときに経営者として委員会組成をやったからです。

アニメ会社の赤字と違って、ゲーム開発は、失敗すると致命的な大打撃を受けるものなのです。というわけで、ジェトリックス株式会社は実質倒産し、「未来少女」リリース中止から3年後に会社は正式に倒産します。

このとき、社員には全員やめてもらって、一人で3年間会社を続けていました。そのころ、ホームレスを体験しました。ホームレスから復帰し、弁護士さんにお支払いするための70万円を稼ぐために、本を書きました。初版の印税は全額弁護士さんの手に渡りました(涙)

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↑こちらの本のおかげで、やっとの思いで破産が終わりました。

ちなみに、ホームレスをやっているときも、「東北ずん子」の会議には参加していました。ですが、SSS合同会社は、とにかくお金を使わない会社で、権利を保有するためだけの法人なので、こちらでは給料はもらってなかったのです(涙)。(もちろん無給は役員全員が同意の上です)

🔳社長少女

ホームレスを経験し、会社を倒産させたあとに、小説を執筆しないかという話を頂きました。そこで、書き始めたのが社長少女という小説です。こちらの小説のWEB版は、noteで全部読むことができます。

↓WEB版を大幅加筆した書籍版もTUTAYAで販売されました。

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現在新作小説、大神少女を連載中です!応援宜しくお願いします!

最近のお仕事ですが、Blenderというソフトをメインソフトにフリーランスで、どの会社にも所属せずにアニメ制作に従事しております。制作以外にも大きな企業数社にBlenderの指導に行ってます。

最近のアニメだと、「無職転生」、「ドラゴン、家を買う。」のCG制作を担当しております。

🔳プロフィール

出身地:福岡県糸島市
出身高校:福岡県立城南高校
出身大学:九州産業大学芸術学部デザイン学科
好きなゲーム:メタルギアシリーズ
好きな映画:ショーシャンクの空に
好きな漫画:少年時代(藤子不二雄A)
好きな小説:都市と星(アーサー・C・クラーク)
好きな食べ物:夕張メロン
好きなモビルスーツ:強行偵察型ザク(MSV)
好きな音楽:心の瞳(坂本九)


🔳ゲーム・アプリ関係の実績

同人ゲームRadio(1999年)企画・制作・キャラデザ・シナリオ
・イニシャルDバトルミュージアム(2003年)企画
フィニステル(2004年)企画・制作・キャラデザ・シナリオ
ハドソンReal3D(2006年)企画・ディレクター
煉獄(2006年)企画
大戦略ONLINE(2006年)企画・ディレクター
マスターオブモンスターズ(2006年)企画・ディレクター
エアーコンバット(2006年)企画・ディレクター
みんなのカート(2006年)企画
・『しまにてぃ』3Dアバター(2008年)企画
・『Any』3Dアバター(2008年)企画
バイオハザード オペレーション(2008年)企画・ディレクター
ロストプラネット iアプリ版(2008年)企画・ディレクター
デスレイ パイロット版(2008年)企画・キャラデザ
3D仮想空間サービス「Lamity」(2008年)企画
mobile真三國無双(2008年)企画・ディレクター
Master of Fantasia(2008年)サーバープログラム
魔法でゴルフ!マジカルショット(2010年)企画
ラグナロクオンライン Mobile Story(2011年)企画書制作
朗読少女(2010年)企画・開発・制作・プログラム・CG制作
朗読執事(2010年)企画
朗読少女 空の軌跡コラボ版(2010年)企画
秘密結社鷹の爪うたつく(2011年)企画
デビルマスター(2012年)企画
ギター少女!(2012年)企画・制作
戦国パラダイス-極-資料集(2012年)企画・制作
未来少女(発売中止)(2014年)
ラストクロニクル(2015年)UIプランナー


🔳映像作品関係の実績

たいせつなじかん(2009年)監督・CG制作
星のこどもたちPV(2009年)監督・CG制作
伊勢神宮プロモーションビデオ(2013年)CG制作
ルパン三世 〜隠された空中都市〜(2013年)CG制作
ダンボール戦機(2013年)CG制作協力
ずんだホライずん(2017年)企画
セントールの悩み(2017年)企画書制作協力
Phantom in the Twilight(2018年)CG制作
Midnight Crazy Trail(2018年)CG制作
薄暮(2019年)CG制作
ずんだもちもちパラダイス(2020年)企画・CG制作
無職転生(2021年)CG制作
ドラゴン、家を買う。(2021年)CG制作
無職転生 二期(2021年)CG制作
テスラノート(2021年)CG制作

🔳書籍の実績

東北ずん子で覚える!アニメキャラクターモデリング(2017年)
・社長少女(2020年)

1万文字以上の文章を読んでくださって、本当にありがとうございました!!

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