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購入者と販売者の関係から気づいた「自由と支配」

目の前で起きている出来事にこそ「自由」に生きるためのヒントがあった!

僕は記事を書いている、作品を販売している。
この時、僕は少しでも読者に読んでもらいたい、購入してもらいたいと考え、あの手この手の戦略を行う。

同時に心も辛くなる。
「何としてでも読んでもらわないと、なんとしてでもお買い上げしてもらわないと……」

できるならこの気持ちを手放したいが、手放したら誰も来ないだろうし、お買い上げなんて夢のまた夢だ。

ただただ「こうしてもらう」以外の選択しかなく、非常につらい。

書いている記事も途中でやめる日々だった。


ところで先日、僕はある商品を買った。ある商品において「僕が欲しい」と思ったから購入した。

同じく、僕はある魅力ある商品を買わなかった。売り手側がすごいメリットを伝えており、欲しいと思う気持ちはあったものの、

「本当にそれを望んでいるのか」など心の揺らぎも生じ、魅力があっても購入を控えた。

ふと、自分自身に違和感を抱いた。

「あれ、買う・買わないの選択は自分にある。どれだけ押し売りされようが、最後に決めるのは自分自身だ。

一方、売る側に立つと"購入してくれ"以外の選択肢がない。
もしかしてこれって、自分で"こうあるべき"と縛っているのでは。
いや、これが"支配の本質"でないのか?」

同時に自由とは何かが定義できた。


自由とは自力で選択肢を増やす生き方


買う側は「買う・買わない」と二つの選択がある。
読む側は「読む・読まない」と二つの選択がある。

売る側は「購入してもらう」一つの選択しかない。
書く側は「読んでもらわないといけない」これも一つだ。

ここで強引売る側「購入してもいい、しなくてもいい」
二つ置いたら(一つ増やしたら)どうなるか。

強引に選択肢を創ると、すごく気が楽になったのと、とてつもない恐れがやってきた。

記事を書くときも「第三者には読んでもいいし、読まなくてもいい」と選択肢を創ると、気が楽になったのと、大きな不安も芽生えた。

不安を差し置き、明後日の考えも浮かんできた。

「別に読んでもいいし、読まなくてもいいなら、"読んでみたいな"って人がためになる情報を載せればいいんじゃね? 読まない人は最初から読まないし、手にも取らないんだし。読まない方を読ませようと気にするから苦しかったんだし」

気づいたものの、なかなか踏ん切りがつかなかった。
いくら選択肢を増やしても「でも、やっぱりこうしなきゃ」と考え込んでいたから……

先日ある記事を書いて、5日以上悩んだのに望んでいた結果が何一つ得られず、落胆した。その後すぐにこういう記事を書いた。

なんということだ、僕にとって予想もしないメリットをもらった。

強引に選択肢を増やし、覚悟を決める。
自由とはこういう生き方か!

今、ここを読んでいるあなたは「自由」に興味をひかれていると思う。自由がわかれば、仕事の在り方にも影響を与える

新しい考えが浮かぶので、今までと違う生き方を送らねばならず、不安もある一方……

不安を飛び越えて覚悟をすれば、僕のように想定もしなかったメリットを受け取れる。

大きな問題が一つある。
僕を含め「何に支配されているか」を自覚できないところだ。

自覚できれば自由への入り口がぐんと広がり、
「こうする以外の選択もある」と気づき、自分の癖・思考を変えられる

今後「自由と支配」について、色々書いてみたいと思う。
何しろ自分でも「難しいなあ」と思っており、一つずつ言葉で表現していかないと、ついていけないのだ。

ここまで読んで自由に興味ある場合、ぜひフォローあるいはこの記事を覚えてもらえるとありがたい。

支援していただきありがとうございます。支援は僕の作品作りを含め、子供へのお小遣いや楽しいことに貢献します。ありがとうございます