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2週間弱で記事が超面白く化けて読者5倍増につながった!!…なんでや?

あらっ!クライアントの文章がいきなり面白くなった!


僕は複数のクライアントから文章の添削を行っている。
先日クライアントの一人である、スピリチュアル相談を仕事にしている斎藤さん(仮名)が、僕に記事を送った。

「さすがにこれは……」内容なので、彼にアドバイス一覧をメモ帳に張り付けた。

「斎藤さん、読者に向けて書く文章は殿様セールスレターでなく、お互いが盛り上がるエンターテイメントよ。エンターテイメントは外や他人、環境でなく"自分自身"から始まるんだよ」

斎藤さんは傷ついた、へこんだだろう。
僕も「言い過ぎた」反省した。

でも斎藤さんを信じている。彼は必ず己と向き合ってくれる

2週間後、斎藤さんは「あの世」をテーマに物語を書いた。


すごく面白い。こういう話を求めていた。
僕は手をたたき、斎藤さんを褒めた。とても喜んでくれた。

斎藤さんが書いた情報、あの世に関する考え方が根底から崩れ意外性のある内容だった。さらに一般の本に書いてある内容だけでなく、あの世に関する想い及びエピソードを書いており、とても読み応えがあった。もちろん、単純な告知も載せている。

「さすがにこれは…」は告知に力をこめすぎて、面白くなかった。

斎藤さんが己と向き合った結果、彼は自分の持ち味を存分に発揮し、読み手の一人である僕に意外性をもたらし、文章が見違えるように変わった。いや、化けたというべきか。


疑問という名の仕事

斎藤さんの文章を読みながら、僕は疑問を抱いた。
「なぜ2週間で斎藤さんの文章が面白くなった!
と、僕が感じたのか」

僕が「面白くなった」と感じた。
「面白くなった理由」を僕自身に尋ね、言語化していかなければならない。斎藤さんに聞いても「斎藤さんの視点」であり、参考材料だ。

潜在意識の僕or内側におわす神様が、顕在意識の僕(=現在の僕)に何か重要な情報を伝えようとしている。

重要な情報に基づいて行動すると、現在の僕が伸びるのはもちろん、あなたにとってのヒントが見つかる。

ということで、文章を印刷し、徹底的に斎藤さんの文章を研究した。結果、文章とは関係ない言葉が浮かんだ。

"素直"


素直を国語辞典で調べると、
「ありのまま、逆らわないで、純粋かつまっすぐな様」

goo辞典より

まっすぐ純粋に進む生き方こそが難しい。
斎藤さんの素直を知るヒントとして、次の話をしたい。


宇宙が遊んでいる…でもこれ、ありきたりな話なんだよね

斎藤さんがスピリチュアル方面を語る。めちゃ面白い。一つを語ろう。

「今は宇宙が遊んでいる時代だ」

宇宙はいろいろ試している。右に偏ったら「これを左に傾けたらどうなるのか」色々実験しながら、生じるひずみをきちんと見て、うまくいったら喜び、しくじったら反省している。現在は宇宙が実験そしまくって、手のつけられない状態(てんてこまい)に陥っているという。

斎藤さんが述べた話であり、僕は今一つピンとこないが、大変面白く興味深い衝撃話だった。
斎藤さんからすると「普通過ぎてつまらない、ありきたりで面白くない」という。

スピリチュアル方面も斎藤さんからすると「仕事でやっているだけで、どちらかというとやりたくない。そりゃクライアントの人生が華開いたらうれしい。でもね……こう、もっとこう、斬新で面白い話はないか」ネタを探している。

斎藤さんにとって「普通でありきたりでつまらない話」は、他人である僕から聞くと「面白くて衝撃で、何より意外性があって、納得できる部分もある」話だ。

納得が重要。どれだけ意外性があっても、納得できない部分は「へ、嘘だろ、それ」捉えてしまう。

自分の話は大したことない……結果が「日記でなくセールスレター」になってしまった。

僕の意見を通し、斎藤さんは自分の脳みそと戦った。脳みそと表現すればいいのか、自ら闇を招き寄せようと企む存在(自分の中にいる)と書くべきか。少しゲームっぽい表現となった。

「自分の考え方を改める戦い(俗にいう自分との闘い)」であり、勝てば意識・思考・生活習慣そして外部環境を変えられる。

※外部環境とは収入、パートナー、自分のための時間が増えるなど

彼は自分の得意(仕事)分野であるスピリチュアルの話をした。
ただ話をするだけでなく、実例や実体験、そして僕からすると不思議な話を正直に語ってくれた

不思議な話に興味を抱いたのか。読者数も増えていった。
読者数平均10人が、一気に50人と5倍に上がった。

50人はトレンド系のネタなら結構簡単に集められるが、ツイッターなどSNSのみの告知(検索からではない)で集まったのだ。

斎藤さんの話をしたところで、本題「素直」を考察していこう。難しい表現はもちろん、少しでも論理・数学を意識して書くため、頭の痛くなる記述が増えると思う。


素直に潜む「非言語化部分」を明らかにしてみる


素直になる。
成功法則本でも多くの人が降れている部分だが、たいていはキーワードのみだ。

「何を持って素直になる」と言えるのか?
素直の具体事例・中身について触れている本がない。

素直という言葉を書くのは簡単でも、
どういう条件で何をやったとき、僕から見て「素直」と認識できるのか? 素直判断が難しい。

素直条件や中身について分析したら、これらの言葉が出てきた。


1:自分は「面白い/つまらない」人間か?

真っ先に浮かんだ言葉が自分の定義だ。
あなたはどうだろう?

あなたは自分が「面白い人間」と思うか。
反対に「つまらない人間」と思うか?

他人に聞いても意味などない。
あくまでも他人が見るあなたへの評価であり、
他人があなたを「お前つまらないな/面白いな」言うの、他人の尺度で決めるのであり、他人の自由だ。

自分だ。たった今、自分が自分をどう定義していくか。
「これはガンダムだ、今私がそういった」デリングおじさん(水星の魔女)のごとく、この場で自分を決めていけばいい

自分の語る情報は面白いか/つまらないか。

どっちでもいいが、どちらかと言えばどちらが自分にとって「ウレピー」と大喜びするか? 

「自分の出す情報は面白い」声に出していってみると、すっごいお腹のあたりから喜び・ぶるぶるっとした震えがくるよ(潜在意識も喜んでくれている)。


2:自分の強み=自分の日常生活

続いて就職試験や起業ネタとしてよく上がる「自分の強み」。自問して徹底的に探していくから大変な作業だ。

親しい第三者に聞くと、案外自分の強みを間接的に指摘してくれる。例えば僕、インスタグラムにてフォロワーから次の言葉をいただいた。

「多才」

僕はイラストを描き、文章を書き、作曲・編曲を行い、プログラミングもできる一方、大工はほとんどできない。ギターなども弾けない。できる部分とできない部分がある(時間をかければ、いずれできるだろうけど)。

「己の中にある世界の具現化」が動機であり、人と比べる見栄・優越感ではない。

「これが多才というのか」僕は震えた。
それまでの僕はどうか?

「中途半端な人間」評価していた。いろいろできるけど、すべて突き抜けていないすべてがほどほどだ。

もっと突き抜けなければならない……強迫観念すら抱いていた。

「突き抜けてもいいし、突き抜けなくていいよ。どっちがいい?」自分で自分に言ったおかげで楽になり、劣等感を手放せた

自分の内側に潜む劣等感を手放せば、他人がどうあなたを評価しようとも関係ない。おかげで一つの答えが出た。

自分の強みは「現在の生活習慣」にある

生活習慣には仕事、日常生活のあれこれ、特に悩まずホイホイできる作業、悩んだとしても必ず解決すべく行動できるあれこれ全般だ。

斎藤さんの強みはスピリチュアルだ。スピリチュアルに関する知識量と質の高さだ。質と量の高さについて「僕と比べると、斎藤さんは知識量・質ともに高い」のであり、斎藤さんを越える知識量・質は必ず存在する。

彼を越える実力者はどーでもいい

幻の強敵」と比べなければ、斎藤さんの普段の情報こそがすでに強みと言える。「面白い記事」には斎藤さんが自分の強みを堂々と出した、いや、自分の強みに劣等感を抱かず、覚悟を持って出したと僕は感じた。


3:すぐヒステリーを起こしたがる脳みそ(=劣等感)と距離を置いてツッコミを入れる

僕の例として「これは人が集まるだろう」思う内容の記事を投稿した結果、訪問者数が少なかった。
「やっぱり誰も見ていない。皆に嫌われているんだ」
脳が過剰に非論理的ヒステリーを起こす

非論理的ヒステリーの傾向として、実際は関係ない事柄を強引に結び付けて、ショックを起こす状況

非論理的なヒステリーを起こす背景として、僕の劣等感(架空の人と比べ、敗北感を抱く状態)にある。人と比べるなと言われようとも、脳みそは勝手に他人と比べ「やれ勝利だ、やれ敗北だ」反応を起こす。

勝たなければ認めてもらえない!

脳みそは目先の情報に振り回される性質があり、他人からの高評価で自分は存在していると、知らぬうちに自分を扱っている。

社会が「優れた人」を欲している(と、脳は捉えている)。優れるための必要条件は「勝利」だ。勝利を得るためにひずみを起こし、余計な体罰や苦役を強いらせる。

すべて「自分を自分で定義しない」から
「他人や社会の定義によって自分が動かされている」状態だ。

他人によっていつの間にか決められた定義を、今度は自分が決めていく。自分が決めるため正解も間違いもわからない。

「間違えてはならない」が不安を作り「他人に定義された状態=正解」とおいて、他人の評価なしでは即座にヒステリーを起こす自分が生まれる。

間違えていい。何が正解/間違えているのかは重要でない。
物理の実験も「実験したらおおむね、こういう動きをするよね」であり、例外だって生じる

例:地球には常に重力が働いているが、飛行機に乗って特殊な運転をすると、数秒だけ無重力が生じ、かつ重力が働かない。

自分で定義するとは正解/間違い関係なく、自分の言葉でしっかりと「これはこうだ」声に出し、紙に書く姿勢だ。

自分で定義すると、少しずつ脳みそがヒステリーを起こしても
「勝手にわめくな、ほらほら憎むな、悔しがらなくていい」

冷静にツッコミを入れられる「別の自分」を創れる。
脳みそが引き起こすヒステリーに惑わされない。

スピリチュアルは単なる不思議噺でない。むしろ不思議噺を通して己を見つめていく苦行が本質だ。苦行の正体こそ脳みそのヒステリーに突き合わされる生き方だ。

斎藤さんと僕はこの視点で捉えている。


4:今更自分がしゃべっても意味がない…

斎藤さんにとって「自分の話はありきたりな話」語ったとき、僕は次の言葉がふっと浮かんだ。

「いまさらその話を僕(斎藤さんでなく僕自身)が語ってもなあ。他の人も語っているし」

ブログを執筆する時にも生じているし、今ここで語っている話にも「ほかの人が語っているからなあ…意味ないよなあ……」思うところがある。

あきらめの気持ちというべきか、専門家でない自分が語っても説得力ないよなあと言った自分卑下というべきか(実力不足ではない。むしろ実力なら負ける気はない)

例えばこちらのUnity記事。

Unityの継承に関する内容について、他のブログ・動画でも乗っている。だから今更自分が書く内容でないと思ったが、一方で「細かすぎる情報」はどこにもなかった

細かすぎる情報とは

  • 「自分が〇〇というエラーで悩んでいる。エラーを解決したくて色々調べているが、悩みが細かすぎるのか、どこにも載っていない

  • 「多くはテスト記事のみ作成だけど、僕が知りたい情報はテストでなく、実際にどう動かしていくのかという実例部分。実例部分に関してほとんどない」

「そこ」に取り組むからこそ生じる特有の悩み・類例こそが、細かすぎる情報の中身だ。探してもないうえ、自分も苦労したからこそ「同じ苦しみが一つでも減ればいいな」気持ちで記事を書いた。

全て普段の自分がしていることこそ「みんなできるし、このくらい語れるから、今更自分が出しゃばっても意味がない」自分であきらめの気分を抱いてしまう。

そうじゃない、みんな語っているんだけど、肝心の細かい悩みはほとんど語っていないし、探しても見つからない。盲点だ。ただ自分で認めていないだけ。

あまりにも脳内で思い描いた「優れている人」と比べすぎ。何もできなかった頃の自分を思い出そう。一つでも解決につながる情報が多いほど動きやすいし、やりやすい。何より「からくり」も見えてくるんだし。

※からくりがわかれば応用が利く。「なんとなく」やっていたものを、今度は意図してできるのが「からくり」。

あきらめ・無力感を越えた先にこそ「細かすぎるのに、誰も書いていない・述べていない悩み」があり、少数でも同じ悩みを抱えている人にとって、細かい悩みこそ欲している情報だ。


自分で気づかない意外性

以上の分析から「文章としての面白さ」は出てこなかった
いかに自分が芯をもって生きるかに集中した。

文章の書き方ではない。いかに正直に自信をもって生きるかだ。すでに光っているのであり、自分で光をふさがなければいいだけ。

斎藤さんは自分で創った闇(=脳の思い込み・限界など)を、ここ数日の記事を通し、自分でぶち壊していった。ぶち壊した世界こそ、自分の強みを堂々と活かし、堂々と語る生き方だ。

堂々とした生き方にこそ、自分から見たら当たり前・ありきたりでも、他人から見れば意外性がある。

意外性を改めて考察してみたい。意外性は自分ほど気づきにくい。

斎藤さんの話を聞いて、僕には信じられない・不思議・でも納得もできる話だから「意外性があって面白い」感じた。

しかし斎藤さんは「普通でありきたり、特に面白くもない話」と捉えていた。

僕自身も普段僕が語る言葉は、僕にとって当たり前が多いため「面白さ」よりも「当然」が勝る

身内に話をして「面白い」言われたとき、戸惑う。
「これのどこが面白いのか。僕にとっては普通でありきたりな出来事なのに……」

特定の情報に対し、常に接しているから意外性がなく「当たり前」として脳みそは受け取る。面白さをなくしている正体が脳みそによる一般化だ。

脳みそは最初、大きな衝撃を受けるが……中身を知るうちにだんだん衝撃が和らいで「当たり前」に変わっていく。

自分にとって常に接している情報だが、他人にとっては違う。
「宇宙が遊んでいる」という情報について、僕も斎藤さんも常に接しているなら「当たり前だよね」な話であり、意外さや面白みなどない。

斎藤さんは常にorすでに接している情報でも、僕は初めて接した情報だ。「宇宙」と「遊ぶ」が普通に日本語の文章として成り立つ違和感に意外性を抱き、二つの日本語がどういう展開をたどってつながる(=論理の飛躍を埋めた結果、宇宙が遊んでいると証明できる)のか?

流れが納得できたとき「面白い」に変わる。
一部わからないところはあるものの、僕は斎藤さんの話に納得できた。説得はデータを持ち出して論理を証明するが、納得は非論理的でも脳内で「つながっていれば」いい。

だから意外性として成り立っている。


受験と同じスランプ:情報のマンネリ

意外性がありきたりに変わり「面白みもない」捉える傾向を言い換えるなら「情報のマンネリ」だ。

受験勉強にある傾向として、ある程度練習問題を積み重ねると、途中まではらくらく解けても、あるところから一気に解けず、どうやっても解決策が浮かんでこないという部分が生じる。

また練習問題をやっても「発見がなくてつまらない・成績が伸び悩んでいる」マンネリに陥る。

マンネリの解決策は一つ。すべてを忘れて初心に帰り、最初からやり直す。マンネリの正体は中途半端な姿勢からきている。中途半端を消す=記憶をすべてなくした状態で、もう一度最初からやり直す。わかっている内容でも「わからない扱い」して、じっくり取り組んでみる。

斎藤さんから始めて教えてもらった「宇宙が遊んでいる」という表現、現在僕が何度か同じ言葉を書いているのでマンネリに陥っているが……初めて「宇宙が遊んでいる」と聞いたという設定にする。

すると「宇宙が遊ぶってどういうこと? 意味が分からない。説明が足りない。教えてほしい。どういう流れで宇宙が遊ぶになるの。宇宙は無機質なのに。遊ぶは生き物しかできないじゃん」

ありきたりだった情報に新鮮な気持ちを取り戻せる

脳みそにも「この問いかけを解決したほうが面白い」感じるようになり、当たり前を見直して新しい発見ができる。


表に出てこなかった「素直」な部分

以上、斎藤さんの文章を分析した結果……というより斎藤さんの文章分析を通し、僕自身が表に出したかった言葉を吐き出した。

「そうか、自分はこの言葉を表に出して可視化したかったのか。ならこの言葉を意識して記事を書けばいいんだな」

とりあえず僕はこれらの言葉をノートに書いて、メモを取った。
正解か間違っているかはわからない。僕にとっては「内側にくすぶっていた、言葉にならないが存在するもの」を言葉として表現できるようになった。

あなたの参考になるかどうかはわからないが、なるならぜひ僕と同じようにメモを取り、あなたの未来につなげてほしい。


追記:

久しぶりに長いnoteを書いた。いつもは短めに書いていた。考察は基本長く、考察のほうが勉強になって面白いと悟った。

これからの時代、いかに自分で面白さを創るかが問われる時代と、僕は考えている。僕の捉え方があってようが間違ってようが関係ない。僕にとっては「面白い」からやっている


支援していただきありがとうございます。支援は僕の作品作りを含め、子供へのお小遣いや楽しいことに貢献します。ありがとうございます