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「義実家」という言葉とジェンダー問題と

「義実家」という言葉、ご存知ですか?
SNSをはじめとして、ネット上では当たり前のように使われていますが、私の中ではまだネット用語かスラングか、という位置づけ。
(辞書の見出し語には既になっているようですね。)

「義実家」は正しい日本語なのか?

「実家」というのは、嫁または婿に入った人が元々属していた家を指す言葉。
これ、よく考えると、戦前の「家制度」、家父長制を引きずっている言葉なんですよね。
それを念頭に定義すると「実家」は夫婦間でひとつしか存在しないわけです。
妻が夫の家に入ったのだとしたら、夫の実家は「家」、妻の実家は「実家」です。

今は最初から同居するケースが減っていて、戸籍上も夫婦ともに実家の籍を離れて、新しい戸籍が作られます。
それぞれが育った家から独立する、だから実家もふたつある。

義父、義母(きょうだいもですが)は夫と妻それぞれに存在するので、相手の両親を指すなら「義父母」とするのが今の日本語的には間違いない。
ただ、家という場所や、きょうだいを含めた家族というコミュニティを指すとなると「義父母」では伝わらない。
だから「義実家」という言葉がしっくりくるんですよね。
むしろ、現実に即しています。
結婚式を生業としているからには、それにまつわる言葉は正しくというポリシーなので、私はまだ表向きには使いませんが、「義実家」と一言でさくっと言いたい気持ちはよくわかるし、うまい言葉だと思います。

「義の字問題」は決して新しいものではない

まだ10年経っていないと思いますが、以前のお客様の席次表の原稿に「義伯母(義叔母も)」という記載を見つけました。
「義従兄」のように、いとこの結婚相手に「義」をつけるケースもありましたね。
それを見て、今までになかった間違いだなぁと印象に残ったものです。

【ちょっと解説】
おじおばは、父または母の兄姉であれば「伯父・伯母」、弟妹であれば「叔父・叔母」と書きます。
その結婚相手は「伯・叔」どちらか同じ字を使います、夫婦セットになるので、年齢の上下は関係ありません。
いとこは、自分より年上なら「従兄・従姉」、年下なら「従弟・従妹」と書きます。
結婚相手はやはり年齢の上下は関係なく、連れ合いの関係性に揃えて書きます。「従兄」の妻は「従姉」です。

でも「義実家」と同じ感覚で考えると、おじおば、いとこの結婚相手に「義」をつけないのは、なかなか腑に落ちないかもしれないですよね。
私たちの親世代(森会長と同世代)は「嫁入り(婿入り)」の意識がまだまだ強かったので、嫁も婿も家族という意識が強かったし、私たちもそれを見て育ったので「義」がつかないことにあまり違和感は感じませんでした。
でも、私の世代が結婚する頃になると、帰属意識がかなり変わりました。
例えばお正月の過ごしかた。夫婦別々にそれぞれの実家に帰るという友人がいて、私たちは「それ、いいね!」と思っても、親に話すとあり得ないとびっくりするとか。
私の世代の子供の世代が結婚し始めているわけですから、更に意識が変化していても不思議ではありません。

似たようなことで、敬称である「様」をどこまでつけるか、それも変化してきました。
結婚したきょうだいで同じ姓の方には、同じ家の一員とみなして敬称はつけない、これが私が最初に教わったしきたりです。
例えば兄と兄の妻が同じ姓なら、そのふたりには様はつけない、ということです。
それが後に、結婚したなら別の世帯だからゲストとして扱う=敬称をつける、というのが広まりました。
今はそちらが大勢を占めているんじゃないでしょうか。
結婚したきょうだいには敬称をつける、という中途半端な知識で止まっているプランナーも多いかもしれません。
(プランナーならもう少しさかのぼって知っていてほしいですが。)

更に今では、親もゲストだから敬称をつける、という希望が散見されるように。
さすがに親は身内として扱わないと常識を疑われてしまうので、敬称をつけるのは個々宛の席札のみに留めます。
親御さんも、自分たちはホスト側という意識が薄くなっていて、当日の親御さんの様子を見るとそのお家の考え方がわかります。
こうやって段階を追って振り返ってみると、家族の在り方の変化が如実に表れていますね。

森会長の失言で気づかされた「封建的な日本」

かの森会長の失言によって、世界中で抗議のムーブメントが起きています。
正直、森さんの発言は良くも悪くもブレがないので、今回もまたいつもの悪いクセが出たか、と思うくらいだったんです。
(あの会見は見ていてかなりムカつきましたけど。)

でも、このツイートに家父長制を糾弾する文言が付いているのを見て、家父長制が関係するのか、と不勉強な私は少々びっくりしてしまいました。

明治から日本国民に刷り込まてきた家父長制は、令和に生きる私たちにもすっかり沁みついてしまっているんだなと、気づかされた次第です。

結婚につきまとうジェンダー問題

プランナーでありながら敢えて言うと、花嫁衣裳の白無垢やお色直しでロマンチックに語られる「由来」は、この家父長制の下に成立するものなんです。
二度と実家に戻らないとか、相手の家の者になる、とか、実家との決別があってこそ成り立つストーリーです。

私も最初はそういうふうに教わりましたが、いろいろ調べるにつれてこれらの由来の間違いもわかってきました。
白無垢は儀式のための白装束が由来であって、嫁ぐ覚悟を表すために死装束を着たのではないし、相手の家の色に染まるために白を着たのでもない。
そもそも挙式なんて盃事をちょこっとやるだけだったんだから、床入りの前の寝間着姿からくる白装束なんじゃないのか?
個人的にそんな仮説を考えて、同じくマニアックな業界仲間と盛り上がったりしました。

まぁ、バレンタインデーと同じく、古い時代の婚礼業界がセールストークとして使ったストーリーが、さも本物の由来のようになってしまった、そういうことなのだと思います。
白のウェディングドレスだって、創始と言われるヴィクトリア女王は純潔を示すために着たのではなく、白という当時の最も贅沢な色と国産レースの使用奨励のために白いドレスを着たということですから。
後付けのストーリーって本当に多いんですよね。
見方を変えれば、「文化の継承」とか言いながら、由来をゆがめてしまっている、そうとも言えます。

強い決意をもって結婚する、それは大切なことだし、私も肯定的に捉えています。
自分がしていないからこそ、結婚って大変だなぁと思うことも多々あるし、その関係を何十年と乗り越えるためには強い決意と、その決意をお互いに確認する儀式が必要だと。
でも本当なら、ふたりそれぞれが、同じように決意をもって結婚しないとおかしいですよね。
死ぬ覚悟で結婚するなら、現代は男性だって死装束の白にしないと。
そう考えると、これも性差別の痕跡なのかもしれません。

衣裳なんて、それぞれが儀式にふさわしいと思う、それぞれの「正装」で臨めばいいんです。
いわゆる「一張羅(死語?)」でいい、戦時中なんてみんなもんぺ姿で結婚式をしたわけですよね、贅沢できないから。
神や仏の前に出るのにふさわしい、きちんとした格好なら何でもいいんですよ、本来。
なのに、寺社のサイトで白無垢着用をルール化しているところを見てしまいました……あれ、夢だったのかな……。
それは私の悪夢だったとしても、そこの提携店の衣裳しか使えない、というところは確かにあります。神仏が服装制限をなさるとは到底思えないのですが。

「義実家」という言葉を使う一方で、白無垢のストーリーにロマンを感じる、なかなか難しいパラドックス。
婚礼業界のセールストークが作ってしまったパラドックスだとも思います。
本当に日本文化を守ろうと思うなら、本物の由来をきちんと把握した上で、ロマンをトッピングしてほしいなぁ。
そうそう、「〇〇の儀」とニンベンのついた「儀」の字をつける問題もあるんですよ。
いいタイミングだから、変なロマンの醸成はやめて、本物の文化の継承をしていきませんか?

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