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私がマルタ島🇲🇹にたどり着いたきっかけ。

私がマルタ島へ足を運んだのはもう5年半ほど前の話。

千葉県の某外語大学卒業後、
当時働いていた日本の会社で、某外資系のコールセンターで、
オペレーターの仕事をしてました。

「給料良いし、英語も使えるじゃん!よっしゃ(๑>◡<๑)って思って、
いざ入ったら、、、
電話バンバンかかってくるし、メールと電話合わせて、
一日70件こなすっていうノルマ制のお仕事だったんです。

先輩から早くケースをクローズするように励ましてもらったけど、
真似してみるも、全然先輩みたいに早くクローズできないし。

今だから言えるんだけど、私シングルタスクx覚醒集中はめっちゃ得意なんだけどマルチタスクxスピードが多分苦手なのね。

それで、試用期間終了から3ヶ月後に、クビになりました(笑)

当時付き合っていた彼氏とも全然上手くいってなくて、
別れようかなと思ってたの。

現実逃避したくて、
有給と最後のお給料を使って、一度も行ったことのない
ヨーロッパ、イタリアのベネチアへ飛んでいった。

これが私のマルタ島行きのきっかけとなる”大転機”。

初のヨーロッパ旅行がベネチアだったという事もあって、
見る景色どれもに感動。。

リアルト橋、ため息橋、サンマルコ寺院、
ゴンドラを漕ぐダンディなおじさん。
サンマルコ広場や小道には、
ゆったりとカクテルを飲みながら、大笑いするマダム達。

時間の流れ、景色、食べ物、飲み物から話されている言語。
どれもがそれまで私が見てきたものとはあまりにも違くて、衝撃的だった。

サンマルコ広場で、友達に買えそうなお土産を見ていたら、
そこのお土産屋さんで働いていたイタリア人男に口説かれ、
一人旅だったからそのまま番号交換して、
ディナーに行って、そのまま一夜を共にしちゃいました。
別に恋人でもなんでも無いのにバラもくれた。さすがイタリア人。

この旅行の後、日本にいた彼氏に別れ話をして、
泣く泣くお別れ。

めっちゃ辛かったけど、今となってはあの経験があったから
今の私があるんだなと思える。

その後、某会社で、貿易事務をしていたのですが、
派遣社員だったこともあるのか、普通に真面目に勤務していたのにも関わらず、関西人の体育会系正社員先輩に、挨拶シカトとか冷たくされて、、
全然人間扱いされてる感じしなかった。

大丈夫かなこの会社って思ってたら、その先輩の上司が、
「ごめんねー森さん、あの子いつも派遣さんにキツイのよ。
契約はうちじゃなくて、他に行った方が良いよって言われて。

そのまま呆気なく3ヶ月で、契約終了。。

親友に、
「あーどうしよ、次の派遣先も変なところだったら
私何すれば良いんだろ。社会不適合って事かな?」

親友「なんかさ、ずっと高校の時から海外行きたいって言ってたじゃん。
今、行っちゃえば?若いんだし、独身じゃん。」


「えーでもお金無いと、海外なんていけなくない?
私貯金なんてないよ?』

親友「
うん、でも日本で半年くらいバイトしてそのお金使って、
向こうで仕事探せば良いじゃん」


「あーーでもどんな国が良いんだろ、オーストラリア?」

親友
「英語だけでなんとかなる国にしたら?イタリアはイタリア語だし、
スペインはスペイン語だから。
あー私調べてたんだけど、マルタとかどう?」


「マルタ?何それ?どこ?』

親友「イタリアの近くにあるちっさな島だよ。」

私「えーでもどんな仕事あるのかな。」

「これとかは?とりあえず向こうで日本人にしか務まらない仕事したら良いんだよ。若いんだから。最低限の英語力と、日本語でどうにかなるっしょ。」

親友が私に見せてきたその求人は、
マルタ島での日本食レストランのウエイトレスの求人。

飲食店での経験がすごいあったわけではなかったけど、
行動しなきゃ何も始まらないか。。と思って、とりあえず応募してみた。

その求人に応募した後、
すぐに成田空港で、
外貨為替両替所の受付で派遣スタッフ+夜のスナックでダブルワーク。

金遣い荒すぎて自己管理できない私は、もらったお給料はそのまま母親へ預かってもらってた。

ダブルワークを始めて、4ヶ月くらいした後に応募を忘れかけていたころ、
日本食レストランから、
「来月からうちで働いてみませんか?」とのジョブオファーが。

迷っていた私だっだけど、所持金30万円で、
日本→マルタ島行きの片道チケットを手にして、
私は成田空港を背にして旅立ちました。

続きは次回の記事にて。




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