見出し画像

3.11に思いを馳せる

東日本大震災から12年の月日が経った。
私は28歳の時に東京の自宅で地震を体験した。
自宅は高層マンションの4階だ。

当時、長女が3歳で長男が10ヶ月の赤ちゃん。
ちょうど地震が起きた14時46分は2人ともお昼寝中だった。
私も近くでウトウトしていた時に大きな揺れを感じ、
引き出しが飛び出してくるタンスを押さえながら
恐怖で叫んでいた。
あんな揺れでも子供たちは全く起きず。。
今でも思い出すのは高層マンションの免震構造による「キーキー」という、今にも倒壊するのではないかと思うような不気味な音だ。

「あぁ、もう私たちはここで死ぬんだ」と初めて死を覚悟した瞬間だった。

外からマンションを見た人からは、「建物がものすごく揺れながらしなっていて恐ろしい光景だった」と後に聞いてさらに怖くなった。

その日は夫は帰宅難民になり連絡がなかなか取れず、結局新宿から歩いて何とか帰ってきた。(今思うとすごい)
ニュースをつけても被害状況はよく分からず、
何をして過ごせばいいのか不安なまま眠りについたのを覚えている。

翌朝も状況が分からないだけに、普通の朝を迎えた。

確かお昼前にニュースで津波の映像を見た。
本当に日本で起きていることなのか理解するまで時間がかかった。
何となく不安でみんな外に出ている人も多かった。
近所のスーパーでは午前中はあまり変わらない様子だったのに、午後からどんどん商品がなくなっていき・・・

翌日からは入場制限がかかり、レジも長蛇の列になっていた。
ベビーカーを押しながら子供二人を連れてとりあえず買い物に行くものの、何を買えばいいのかよく分からなかった。

計画停電が始まるという知らせを聞いて、急いでおにぎりと豚汁を作りバスタオルでお鍋を包んで電子レンジの中に入れて保温。
家にいると不安になるので、同じ気持ちの近所のママ友達とマンションのゲストルームに集まって共に過ごしたりもした。

あの時は防災に関して全くの無知で。
ほとんど備蓄もしていなかったのをとても反省した。

私が防災に強い関心を抱き始めたのは、昨年の1月頃だった。
備蓄をしなければと思いながらも、ずっとどうしたらいいのか分からずにちゃんと備えることができていなかった私が、何かで検索して出会ったのが防災アドバイザーの高荷智也先生だった✨

コロナ禍ということもあり、何だか分からないとてつもない不安に襲われていて、救いを求めるように検索していたのかもしれない。

高荷先生はとても分かりやすく防災の知識を教えてくれるので、初心者の私でも理解がしやすかった。

防災に目覚めた私は、連日仕事帰りに職場近くにあるホームセンターに通い防災グッズを買い集めた。
100円ショップで揃えられるものもあるのでそちらにも連日通い詰めた。
高荷先生はvoicyもやっておられるので毎日毎日聴いて頭にもインプット。
職場の店長から「誕生日に何が欲しい?」と聞かれたら、迷わず「寝袋が欲しいです」と答え驚かれた。

まるで防災沼にハマった人のように、家族や知人からは
冷たい視線を浴びせられながら思うのは

「なぜ皆は防災に興味・関心がないのだろう」

というシンプルな疑問だった。
家族も職場の人達も友人も誰1人備蓄をしていないので、
日本のほとんどの人が備えをしていないのではないかと
不安に思うぐらいだ。

地震大国日本において、“防災意識が高い人”がマイノリティであるということはあってはならないこと。

3.11をきっかけに、水1本からでも備蓄を始める人が1人でも増えますように☆。.:*・゜

防災グッズの参考にどうぞお使いください😊

それではまた🌙.*·̩͙

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?