見出し画像

嘆願おくあたわず(劇詩)

2006年6月28日
『瀕死の奴隷』パフォーマンス公演
"ディオニソスの宴" のために提供した自作の朗読劇詩
音楽は、楽師が天井から吊り下げた鳥籠に入って演奏




***

神おろしの象りを暗闇で覆い隠した、修道院のバロック図書館。
豪華な写本をうちひろげた修道女は、絵物語のおもて深く、
体いちめんに巻きつけた、
魂から伸びる黒い糸をとおした縫い針をはしらせる。


アンティオキア近郊で、高さ十九メートルもの柱の頂きに三十七年間も留まった、三世紀シリアの修行者シメオン。
アルファベットのSの字が、孔雀襲玉蟲色に透けて輝く肌を纏って修道士の柱をとりまき、
鎌首の先からは、スフィンクスの頭におおわれた、修道女のかおかたちが、
瞳に獅子、唇にマンドラゴラの熱情を噴き荒らした。


シメオンは、澱みなき丈夫振りを一等星の輪郭につつみこみ、
女の物の怪のひたい深く、かざす手ゆびをねじこんで、
糸のむれを、なでつけた。
修道女のからだを、逆下りするハープのいかづちがはしった。

修道女の乗った小舟が、絶壁におおわれた湖の水平面を戦慄させる。
一群の、尼僧の水影のあゆみ。
嘆きの聖母が、修道女の胸奥から真紅の扉をひらく。
水面のまなかに、垂直に、諸声の唱歌をきざむ譜面が、
らせん柱をそびやかす。
柱の頂きには、おとこのかげ。


修道女はまなざし深く、八百人の奴隷すがたを鏤めた裳すその子供服時代、
地震がすべてを呑み尽くした異教主義の人工楽園をとりもどした。
玉座の間をしつらえた軍艦が陸揚げされると、
三本マストの一番高い見張り台に密室をこしらえ、
炸裂するやさしさを背中一面にはばたかせる。
ぬぎそろえた小靴と、
水兵がふるう濡れた黒鞭とが、
悪魔の翼を、白い羽毛で染めあげる。


黒く輝く血管水脈、小舟の足元、柱をつつむ水根っこが泡立つ。
修道女の白目いちめんに、焼きつぶれた金色の斑紋がうかびあがる。
柱の頂きにたつおとこが、熱くさい石柱表面びっしりとレリーフされた、
天つ楽の音の指揮者の目でみつめかえす。
聖母の嘆きまぶたに厚くふくらんだ水面が吼えたくる。


舟の舳先が、柱のてっ辺と、高さを並べた。
地平線をえがく、尼僧、奴隷の水浮く屍。
修道女は、深い香りによどむ死体の頭を踏み石にして、
おとこのすがたに、近寄る。


柱に巻きついた飾りアルファベット、シメオンのSの字が、
水兵の手の中で暴虐な棘鞭となり、
白いページの宙空に浮いた天上物語の写本が一斉に閉じられる、
カタストロフのとどろきとともに、
修道女の心臓を、うちくだいた。


***



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?