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「いつかまた生まれた時のために」

 演劇集団つむぐ『いつかまた生まれた時のために』
2022年10月29日、30日 江古田 兎亭
https://ameblo.jp/usagitei11/entry-12771487187.html





 舞台に立っている役たちは皆、塵一つない清潔そのものの家族や家庭など、生涯に一度も望んだことがないにもかかわらず、皆が皆、不潔を嫌悪し、不潔さの発信源は自分なのだと疑っている。


 肺に押し寄せる空気は、痛々しいような清潔にあふれ、三人の姉妹たちを、彼女たちの母親を、胸の奥で締め上げる。母は病気と共棲し、治ることは無い。


「姉妹の諍いは良くないことだぞ、家族どうしの喧嘩は良くない姿だぞ」母の病気が呟くのが聴こえてくる。

 
 
 胸の奥に突き刺さってくる、仮初めの清潔が、吐き出すセリフのまわりに、鎧になって纏いついている。鎧は台詞の霧散とともに、ステージのうえに見えない姿を、例えようもない重みでひとつ、またひとつと転がり、息苦しく、うず高く積み上げられる。舞台配信を観終えたあとも、想いはずっと消えず残り続ける。



 それらを左右にグッと押し退けて、われらが大島朋恵、町田彩香が立つ。
 大島さんは熟女のメイクをして、町田さん役の母親役に。
 心なしか、私の母に似ていた心地がして、もう死んだ母に、生きている間、何もしてあげられなかった事への悔やみがこみ上げて。観ていて、ちょっと辛かった。と同時に、こんな母親がいてくれればよかったのに、とも。

 



 三姉妹の次女役の町田さんが、今回もカッコよかった。
 次女の「ゆめ」は、10年前に父親と大喧嘩して家を飛び出し、結婚して出産するが、旦那の家族が誉め言葉のつもりで、あなたの父親の生まれ変わりのようだ...などと言うものだから心を搔き乱し失踪、実家で母と姉(長女)と妹(三女)に再会する。一番共感できる役だった。相当に、痛みを伴う共感であったのだが。
 

 長女の「こよみ」、"できる人"になるための努力を惜しまないし、努力しないと見捨てられる思いが強い。配信映像からも、こよみの姿を見ていると人酔いが膨張してくる。こよみのセリフの「はざま」に、幻聴が割り込む。プロダクションリーダーが仕事の指示を拡声器で伝える様子が聴覚いちめんにこびりつく。休憩の時間はLINEばかり眺めている、疲れ切った言葉の綾が、完璧主義のはざまで火花の軋みを噴き上げる。火花の色が、冷たく粘ついた虹色を、ガラス工藝細工の輝きで闇の舞台を彩る。その花火の発光源であるのが、三女の「ちせ」。完璧主義というよりも行動主義をこじらせて、引きこもり。ネットで大金を稼いでみせるしたたかさをも持ち合わせ、母親の難病をまえに、何もしてあげらない悔しさを、誰にも打ち明けられずに抱え込んで。母親をあいだに挟んで、「こよみ」と「ちせ」のネガとポジみたいな姿が明滅する。


 三姉妹は、元の鞘に収まることを願いつつ、一見穏やかに、争いを止める。また今後、あらそいを再開するかもしれないという「不穏」を秘めつつ。舞台配信を観終えたあとも、想いはずっと消えず残り続けるから。

 でも、三人は乗り越えるだろう、何度でも。「こよみ」「ゆめ」「ちせ」三人それぞれに「がんばれ!」って言ってあげたくなった。



 この舞台の観劇記、我が身に置き換え過ぎたという事もあり、紙のうえを、ボールペンの筆が進むたびに、痛みが走った。
 私ももう、死を見つめ始める年齢になったことに気が付かされた。
 

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