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【備忘録】憲法記念日記念で「ウォーモンガー」の語感の悪さに思いを致す

 warmongerという英語がある。愛用している英辞郎には「主戦論者」「戦争を挑発する政治家」とあるが、「monger」は「〜屋」の意味なので、「戦争屋」とでもいったところか。

 いわゆる保守派が憲法9条の改正を唱える時、どうしてもこの「ウォーモンガー」という単語が思い浮かぶ。

 「急速な軍拡を続ける中国が尖閣や台湾を狙い、北朝鮮も核戦力の増強を進めているという厳しい安全保障環境に鑑み、日本は軍事力や自衛隊の必要性を見直さなければならない」という改憲論者の主張は、至極正論である。これがひとたび護憲論者との論争になると、「戦争の危険」「国を守る使命」といった言葉を頻繁に口にすることになり、戦争をあおる「ウォーモンガー」という印象を振りまく結果になる。

 憲法というものは国民一般が理解し、納得できなければならない。「戦力不保持をうたっているからといって自衛権まで放棄したわけではなく、従ってそのための必要最小限度の実力組織である自衛隊の存在が違憲であるわけではない」などという9条解釈はためにするものであって、平易な日本語の解釈とはとても言えない。

 読売新聞の世論調査では、戦力不保持を定めた9条2項を改正する必要が「ある」が50%、「ない」は47%、NHKの調査では9条改正の必要「あり」が31%、「なし」が30%だった(朝日の調査結果は、9条に限っては読売・NHKとトレンドが違う様子)。

 そろそろと言うべきか、ようやくとすべきかは分からないが、戦力とは何か、自衛隊は合憲か否かという不毛で内向きな神学論争に終止符を打つことを、真剣に考える時期が来ているのではないか。

 その際に改めて気になるのが、前述の「ウォーモンガー」である。いかにも戦争を声高に叫んで触れ回る人、という語感。

 改憲論議は常に「戦争屋」と「絶対平和主義者」の対決に堕し、冷静な論争には至らない。そして、健全で穏健な市民がいずれかに与さなければならないということになれば、健全で穏健であればあるほど「絶対平和主義者」を選ぶだろう。

 しかし、事実として、日本の安全保障環境は戦後最悪の局面に入りつつあるのだ。尖閣をめぐる中国の横暴やウクライナ戦争を機に、こうした認識は浸透しつつある。改憲賛成論は「戦争屋」の議論ではないのだ。

 先日衝動買いした「文学部唯野教授・最終講義 誰にもわかるハイデガー」の長い解説の中で、大澤昌幸氏は「secure(安全)」という英語は「cure」に否定を意味する接頭辞se-が付いたものだと指摘していた。「cure」の由来となったラテン語「cura」の本来の意味は「注意、配慮、関心」であるとも。

 日本が周囲への注意や配慮、関心を抱かずにやってこれた時は過ぎ去りつつある。もう「secure」だとして枕を高くして眠っていられる時代ではない。

 改憲勢力には、地味かもしれないが、「戦争屋」とは異なるレトリックを使って、冷静かつ誠実に問題提起する勇気を持ってほしい。――などと思った憲法記念日でした。

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