裁かるるジャンヌ 熱いうちに。

こんばんは。釘です。
最近古い映画に触れてみたいと思い、戦前の白黒映画を見ました。

作品情報

タイトル:LA PASSION DE JEANNE D'ARC
公開年:1928年 仏
監督:カール・Th・ドライヤー
主演:ルネ・ファルコネッティ
上映時間:97分
その他:サイレント映画

あらすじ

 戦いの中で捕らえられたジャンヌ・ダルクはイングランドに引き渡され、異端審問を受けることとなる。司教たちの悪意に満ちた尋問に追いつめられるが、彼女は信仰心を捨てず火刑に処せられてしまう。

所感:少女の分裂と信仰

 ただ、A・アルトーの演技を一度見ておこうと思って、DVDを買いました。それくらいの軽い気持ちで、特に映画史に詳しいわけでもない。
 言わずとも知れた歴史を切り取った作品。もう100年近くも前に世に出た映画だ。
 映像はモノクロだし、役者の台詞もなく、BGMだけの作品。
 この形式の映画をまともに見たのは、これが初めてとなる。チャップリンが出ているものをどこかでチラ見だけしたことがあったくらいのイメージしか持っていない。
 そんな時代のものだから、どうだろうか。そう思って見始めたけれど、別に映像がチープだとか、映像の見せ方が一辺倒、というわけでもない。
 一言で言えば「少女の分裂と信仰」が大きなテーマになっているように受け取った。信仰と神の中にある表情と、少女の中にある表情は明確に違っていて、その細かな顔の動きが非常に印象的だった。
 回転する車輪と司教の尋問とジャンヌの表情とが混ざりあうシーンのしっかりとした映像感があったのが印象的だった。
 台詞がないから、役者の表情もとても豊かで、見ていて引き込まれる感じがした。技法に詳しくないけれど、役者と場の移り変わりとその時間が見せ方としてとても自然に感じた。
 人間のドラマは100年経とうが、2000年経とうが変わらない。だから、表現も決して色あせることがないものがある。ただそれを、僕は上手く言語化出来ていない。多くの「微表情」と「間」がそれらを生み出しているように思っているが、しっかりと分析をしているわけではないから。
 勿論、サイレント映画だからといって、そうした人対人が作り出すドラマは変わらない。人間の表情も感情も紀元前のずっと前からあるものだから、僕らがどのようにして「切り取る」かだけなんだろうなと思う。
 悪辣なものどもの様々な知恵とそれによって剥がされていく彼女が、どこか分裂症めいた感じを覚えさせ、この時代に有った非統合の形が分かり易く描かれている。
 表情の妙。これは観ていて面白い。また、神の意識や、その恍惚的表現はタルコフスキーの映画にも通じているような感じがした。

雑記

 ジャンヌダルクといえば、様々な象徴化と消費されるコンテンツとして今の世の中に存在している。火刑になった信仰の徒。その在り方は忘れないためだが、そうやって徐々に変質していく。
 様々な人や物事の概念が変わっていくのを追いかける。これは考現学に近いのだろうか。
 そもそも、A・アルトーの演技を見ようと思っていたものの、主演にやカメラに目が行ったので、それほど何も考えなかった。ああ、彼はこんな風に演じるのか、と。本の中でのイメージと、彼の演劇に対する想いと、演技と、まだまだ、考えを整理していかないといけない。
 今回見て、様々なものは「切り取られる」ことでしか存在しえないことが改めて実感できた。だから、Cut Outすることが僕の書き連ねている小説でも必要になってくる。
 無数の文章を切り取って、再度張り付けて、その表現は既に死んでしまった。僕は寡聞にして知らず、W・バロウズだけがその師である。
 だから、やらないといけない。
 そのために、私小説をその内切り刻んでいくと思う。

それでは。

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