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我あるゆえに我おもう


17世紀のフランスの哲学者デカルトは

「我おもうゆえに我あり」と説いた。

目の前にある全てを疑い、

そうして疑い、物事を検証しようとする自分だけは

疑いようのない確実な存在である。

なんだかやっぱり哲学は難しそうだ。

少し乱暴な解釈だが、

大筋では間違っていないだろう。

でもそういう思想も実際どうなの?

って疑ってしまう。


「我おもうゆえに我あり」

現代においても

その思想は息してますよね。

でもこの考え方、

生きにくい今の世の中では

なんだか足枷のように

なんだか呪いのように聞こえません?


石橋を叩きすぎるくらい叩いて渡れ、

そんなふうに聞こえてくる。


今の時代、

情報はスピーディーで

かつグローバルに駆け巡っていきます。

情報を集める作業も

その限界を知らないし、

集めているスピードは

結果を得るタイミングにマッチングすることがない。


別に速さが全てだとは言わない。

結果を得るために、

成功を狙うために、

じっと待つ手段だって必要なときがあるから。

しかし、

いまどき、

エピデンスを証明するために時間を割くことで

先行者利益を失うことの大きさを

日本の大手企業は十分に知ったはずじゃないだろうか?


かつてのSONYや松下電工、NISSANなど

世界のトップクラスにいた企業も

すっかりその輝きを失ってしまった。


なぜだろう?


ちょっと話が広がりすぎたけれど

目の前の全てを疑い、

それらを確証して前に進むことは

今の時代には

そぐわないんじゃないか?


自分が正しいと思ったコトを信じることは

自分をとことん信じることとイコール。

正しいか間違っているか、

まだ見ぬ体験を前にしたとき、

答えなど見つかりはしない。

見つかるまでの時間を割くことに熱心になるか

その道を選んだ自分をとことん信じて

間違っても後で修正すればいいと、

まずは楽しくワクワクする道を突き進む、

特に若い世代はそうであるべきだ。

というわけで、

「我あるゆえに我おもう」

そんな生き方を目指して欲しい


僕はそうやって生きてきている。

今のところ、50歳の今日まで

日本を出て、

家族を養いながら、

料理人という仕事だけで

おまんまを食って生きていけてます。

そしてもちろん

まだ答えは出ていませんけど。







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