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小さなスマホでダイバーシティー

よく思うことがあります。
「もっと多様性が活きる社会にならないかなあ」とか
「見えない障がいの支援ってどうすればいいんだろう」とか
ダイバーシティー化やダイバーシティー&インクルージョンとか
難しいことを考え込んでいます。
ダイバーシティー推進とか国家レベルのお話しで
掘り下げたら大変なことになるので
今日の今日はわたしが見えている範囲だけの
それだけのダイバーシティーのお話です。

発達障がいの診断を受けてから
自己受容できるようになるまでのことを
つらつら書いていきます。

わたしはADHD(注意欠如多動性障害)の診断を
5年前に受けています。当時20代半ばでした。

幼少期と成人してから・・・


もちろん特性は幼少期からあり・・・
特に「おつかい」が苦手で、必ずといっていいほど
何かを忘れるか、別のものを買っていました。
先生の言ってることはよくわからん。
と思っていたり・・・上の空。
物事の上達にとにかく時間のかかる子どもでした。

しかし特に大きく困ったのは社会人になって
何年かして20代半ばのことでした。
20歳、社会人になってから
沢山つまづきを経験しました。
仕事が遅すぎ、ケアレスミス多すぎ
メモを見返しても意味わかんないなど
沢山の人たちを困らせたと思います。

ADHDの診断を受けたけど


診断を受けた当初は親、友達、恋人・・・。
誰にも言えず、ただただ社会で適応しようとしていました。
「仕事は遅いけど時間かければどうにかなる・・」
と思っていたんです。

何よりカミングアウトすることで
どう見られるか?偏見の目で見られるんじゃないか?
って恐怖の気持ちの方が大きかったのを覚えています。

わたしはわたしを無視していた。


勿論、当時働いていた会社にも話してないです。
居心地の悪さはありましたが、自分自身でも
「努力でカバーしてやる!」って思ってたし
受容ができませんでした。
自分でも認めたくなかったんだと思います。
当面は環境に助けられて、
特性も出にくかったり、カバーができていものの
ふと立ち止まった時に、特性がもろに出た時に思いました。
「ああ、わたし発達障がいなんだ・・。」って
自認したと同時に引きこもりがちになり、
仕事にも行けず、ただ寝るか泣くかの日々を過ごします。

わたしが発達障害当事者になった日

そして数ヶ月後、障害者手帳を申請し、
障害者雇用を視野に入れるようになりました。
2021年になったばかりのあの日、
わたしは発達障害の当事者になりました。
自己受容してあげたことで自分に優しくなりました。

Instagramの中にあるダイバーシティ

自分で自分を受容し、自分の価値みたいなものを
見出せたのはInstagramがあったからだと思います。
オンライン上には共感し合える人たちが
たくさんおり、各々がマイノリティを抱え
生きづらさを抱えている方もいた。

ここで発信し、学び、繋がれることで
立ち直ったというか・・・
新しいスタートにたてた気がしました。
最近では
「同じ特性でも十人十色。だから面白い。」
って思いながらInstagramを更新しています。
みんな違ってみんないい。
様々な境遇の方をフォローさせていただきながら
小さなスマホの中でダイバーシティができていて
嬉しく思います。




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