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自分は特別ではないと受け入れること。

自分には何かすごいことができるんじゃないかっていう幻想に取り憑かれて、自分は他の人とは違った特別な存在かもしれないという偏った自己愛があって、そのくせ目標は明確になっていなくて、具体的な行動にも落とし込んでいない。自分で考えて行動し、失敗を繰り返して少しずつ進む地道な努力もせずに簡単で楽な近道を探している。
気づけばそんな自分になっていた。

周りの意見をかき集めそれらしい「正解」を探し当て、それに従うだけの日々。努力もせずに結果だけを欲している。
一番なりたくなかった姿に気づけばなっている。そんな自分をこれ以上責めてもこじらすだけだから、客観的にアホだなあ、ダサいなあと眺めるだけにする。

SNSとかインターネットを見て自分を見失うのは、自分軸がフラフラしているから。個人でびっくりするくらい稼いでいるインフルエンサーの言葉に振り回されている。
自由奔放に生きている人に会うと、いつも羨ましがっている。
社会性までも否定してそれでも楽しそうに生きている姿を見ると、自分が馬鹿らしく思えることがある。
気づけば羨望の眼差しを向けている。
でも、彼らの真似をしたいとは思えないのだ。
それでもいつも誰か目立った人の人生の方が優れているような感覚になる。
いつもそこに正解を探している。

何を聞かれても借り物の言葉しか出てこない。
表面的でごまかしでいっぱいの言葉しか出てこないのだ。そこに私はいない。
だからどんな場に行ってもすぐに帰りたくなる。
自分というものががない人を誰が面白がってくれるだろう。誰が話を聞いてみたいなんて思ってくれるだろう。
「自分なんて」ということばは使いたくないけれど、生きているだけで価値があると思いたいけれど、今はできそうにない。

あなたは何をしたいの。どうしてそれを選んだの。
人が決めた軸に取り憑かれている間はいつまでも他人の決めた人生から抜け出せない。
人がどう思うかばかり、どう思われるかばかり気になって、インターネットの情報に押しつぶされて、脳の中はゴミでいっぱい。もう自分の声もわからない。

そんなこんなで勝手に自分だけで拗らせてしまった何日か前のこと、
自分と向き合う時間を作った。
ノートに正直な気持ちをつらつらと書いて。
自分の声すら聞こえなくなっていたから、?でいっぱいの文末。
そうして書き続けていると、自分の書いたことに「これだ!」としっくりくる瞬間が増えてきて、だんだんと見失ってきた声が聞こえてきた。
うれしくてなんだか、涙が出そうなほどだった。

やりたいこと、興味のあること、大切にしたいこと、こんなにいっぱいあったじゃん。インフルエンサーが言うようにお金が稼げることではないし、トレンドに乗っているだけでも全くないけれど。心がワクワクする、楽しみに心が踊る、そんな感情を思い出せたことがどれだけ尊いことか。
愛ややさしさを世界に増やしたいって言ってたこと、バカみたい、アホらしいって自分で切り捨ててしまった。でもやっぱり諦めたくないよ。愛ややさしさを夢中で追いかけることが私でいられる時間だから。

それから、私は変なプライドを持った人や、表面的なもので人を見る人に最近特に拒否反応が起こしていたのだけど、
それはまぎれもないこの私がそんな人物になっていたからかもしれない。
実際大したことないのになぜか自分は何者かになれると幻想を抱き、
簡単に手に入るものを求めようとする。表面的なもので固めてあるから、とっても脆いし、少しの風で崩れ去ってしまう。

前のノートにも同じことを書いた気がする。
同じことを繰り返している。
それでもダメな自分に気づいて、軌道修正できているからそれがまだ救い。

こんな自分はダメダメだ。拗らせすぎてひねくれすぎて醜いなあと思う。
それでも自分を嫌いはならないけどね。なぜか、自分に対する自己肯定感だけは揺らがない。それも私にとっての救いとなっている。
ダメな自分から逃げたり目を背けたりすればどんどん辛くなる。
だから見つめるのだ。どんなに見つめても、根本の自己肯定感が吹き飛ばない限り何度でも健全に軌道修正ができる。

その根本の自己肯定感までも失ってしまったらどうしよう。
そんな不安が頭をよぎるけれど、それはその時だな。
人生長くても100年だから、どんな苦しみも100年より多くは続かないと言うことだもの。寿命がくれば命が燃え尽きることは人間にとっての救い。不老不死はしんどいって四角大輔さんがおっしゃっていた。

ガチガチに固まったプライドとわかりやすい評価や結果を求める焦りはよく考えたらいらなかった。自分自己愛強すぎ笑。自分のことばっかり考えているな〜。人は自分のことなんて全然気にしていないのに人の目気にしたりプライドに縛られるなんて滑稽だし自意識過剰すぎ!って今はもう面白くなっちゃって。笑えてきちゃって。

私よ、もう隠さなくても君の被った脆い仮面は完全に暴かれているよ。
だからもう隠さなくていいじゃんと思う。
ダサいね〜、何にも特別な能力ないね〜、平凡だね〜、そんな今の自分だよ。だからなんなのかい?そんな自分には価値はない?じゃあ今すぐ死ぬ?そんな勇気ないよね。
目の前のことを地道にやるしかない。それしか道はない。
そう思って、とりあえずためていた本を読んで感想をまとめるなどした。
するとなんだか楽しくなっちゃって、前に進んだ感じがした。

考えてるだけじゃ何も変わらない。でも少しでも何かをすれば前に進める。
そうやって平凡な私なりの人生を楽しんでいきたい。

取りとめもない文章になった。
表現したかったのは、生きるのが楽しくなかった最近だったけれど
また生きる希望が湧いてきた喜び、でした。
どんよりした気分の方も、最高にハッピーな気持ちの方もいると思うけれど、きっと今日は無駄な日ではないはず。今日一日を終えられたことが素晴らしいこと。お疲れ様でした!おやすみなさい。