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いつから、機械的条件反射的に言葉を発していたのだろう?

会話をしながら
ふと、この言葉は本心なのか?と疑問に思った
嘘・本当という物では無く、心から発した言葉なのかと疑問に思ったのだ

使い慣れた「私」がまずあって
使い慣れた「私の聞き方」で聞いて
使い慣れた「私の感じ方」で感じて
使い慣れた「私の考え方」で考えて
使い慣れた「私の答え」で会話を続ける

あれ、なんかおかしい・・・
私は、使い慣れた私で会話することで安心だし
目標値の楽しさにたどり着ける
でも、でも、
使い慣れた「私」以外の言葉があるのを見つけた

発してみると、たどたどしくて上手に話せないけど
純粋な言葉が現れる
○×の判断基準のフィルターがかからない
フラットな言葉

自分も相手も一切ジャッジしない言葉
「私の基準」が関わらない言葉

善し悪し無く
インプットして、感じたことをアウトプットする

そんな話し方があるんだなと思った
いつから、機械的条件反射で会話をし始めたのかな
子供の頃は、こんな話し方だった気がする

成長しながら、基準がいっぱい増えて
基準の範囲内は○
基準の範囲外は×
そんなことの繰り返しで、会話をしているので無く
基準の内か外かの話をするようになったんだな・・・

そんなの、なんかつまらない
○×の条件反射で会話をして、関係つくって居るだけ
あららら
面白いことに気がついたな~


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