ジュリアナテクノについて考えていたら、ベルギーの音楽シーンの凄さに気づいた話


 先日、高野政所さんとジュリアナテクノの話をしました。政所さん曰く「インドネシアにはFunkotがあったり、フィリピンにはBUDOTSがあったりとアジア諸国には各国それぞれオリジナルのダンスミュージックのスタイルがあるけど、日本におけるそれはジュリアナテクノ(デステクノ)なのではないか?」とのこと。

 ジュリアナテクノ(デステクノ)というのは、90年代初頭、バブル末期の日本に咲いたあだ花のような音楽で、”ボディコン”や”お立ち台”といったアイコンと共に語られるバブル期の巨大ディスコ「ジュリアナ東京」でプレイされていました。オーケストラヒットやフーバーといったエッジの強い音色と景気のいいボイスサンプル、ブレイクビーツを主体としたハードコアテクノの一種です。テレビでバブル期を振り返る、みたいな特集があると必ずと言っていいほど流れるので多くの人が耳にしたことがあると思います。

↑これです。

 この音楽、最終的にはAvex Traxの日本人作家たちによって生み出される国産ダンスミュージックとして確立されていくのですが、もちろん大元みたいな音楽があるはずです。そうなると、どのあたりからジュリアナの音楽が、この手のハードコアテクノ主体になったのかが気になるというもの。

ジュリアナテクノの始祖はどれだ?

 調べてみたところ、ジュリアナのオープン当初はイタロハウス中心の選曲だったようで、転機となったのはベルギーのテクノユニット"T99"による「Anasthasia」が大ウケしたことで、ウケるとなればその手の音楽をかけまくろう!日本人クリエイターにも作らせまくってCDも売りまくろう!という方針になった事に端を発しているようです。

↑この曲が”ジュリアナテクノ”の誕生に大きく関与した曲ということになるらしい。空耳アワーでも有名ですね。これが一番最初だったんだ。

↑こちらも有名ですね。Anasthasiaと同じ1991年リリース。L.A. Styleはオランダのユニットですが、リリースはベルギーの Decadance Recordsから。海外的にはこっちの方がビルボードトップ100に入るなど、認知度が高いのですが、ジュリアナでのヒットはAnasthasiaの方が先だった模様(要裏とり追加調査)。

↑これも超有名ですね。2 UnlimitedのTwilight Zone。2 UnlimitedのPhil Wildeは元々はT99のメンバーだったりもして、実際のところ近い人脈の中で生まれていた音楽でした。T99、ひいてはAnasthasiaが超重要ってのはやっぱり間違いなさそう。

 さて、そうなればT99- Anasthasiaのような音楽はどのような土壌から生まれたのでしょうか?その誕生にはT99のお膝元であるベルギーで80年代に一世を風靡した「ベルジャンニュービート(Belgian New Beat)」という音楽が大きく関係しています。Anasthasiaは、T99のOlivier Abbeloosがニュービートを高速化し、さらにレイヴィーなサウンドを加えたことで産まれたらしいです。そうなると、その後の国産ジュリアナテクノもDNA的にはベルギー、引いてはニュービートの系譜に属するといえるでしょう。

Belgian New Beatとは?

 では、Belgian New Beatっていったいどんな音楽なの?というのをちょっと見ていきましょう。Belgian New Beatの日本語の情報って結構少ないんですが、その中でも松竹剛さんやエクストランサさんのブログが参考になりました。
http://www.spotlight-jp.com/matsutake/mt/archives/2015/12/new_beat.html
https://ameblo.jp/exa-trancer/entry-11421022085.html
Belgian New Beatは80年代のベルギーで産まれた音楽です。80年代のベルギーには独特なDJスタイルとシーンがあり、エレクトリックボディミュージックやシンセポップ、ニューウェーブのレコードの回転数を落として(45回転のレコードを33回転にしてピッチを+8%で再生していたようだ)、映画音楽のサントラなどとミックスしてプレイする文化があり、そのサウンドに影響受けて生まれたと言われています。

↑Youtubeには当時のスタイルで、かかっていた曲を33回転+8%にピッチダウンした音源がニュービートファンによって色々アップロードされていて、本当にそのスタイルが人気だったことが伺えます。このアカウントがすごかった。

↑この動画をあげている「Belgian New Beat」というYoutubeアカウントが結構大量に曲をあげてくれているので時間がある方はチェックしてみるといいと思います。

 ピッチダウンすることで曲調や音のトーンはダークになり、重厚になります。その感じは、T99-Anasthasiaや、その後のジュリアナテクノからも感じ取ることができます。Anasthasiaは、ニュービートの纏うダークさや重厚さをそのままに、ヨーロッパのレイヴシーンと共鳴してテンポを高速した音楽、といえるかもしれません。ジャンルが生まれた1987年当時は、ニュービートの曲のリリース数もそれほど多くなかったので、DJたちは既存のニューウェーブやシンセポップを低速でプレイすることでニュービートの音世界を作っていましたが、翌88年くらいになるとThe Erotic Dissidents 「Move Your Ass And Feel The Beat」のようなニュービートサウンドの新譜がリリースされ、それらが大ヒットしたことでベルギーにニュービートの一大ムーブメントが生まれます。言うならば「手法からジャンルへ」といった感じでしょう。

 日本人にも馴染み深いベルギーの名門テクノレーベルR&Sも80年代にはニュービートをリリースしており、さらにUKのレイヴシーン、シカゴ発英国経由のアシッドハウスなどと共鳴することで、後のジャーマントランスやユーロテクノにも大きな影響を与えます。なので、日本のジュリアナテクノも、現代のヨーロッパの多くのダンスミュージックとはニュービートを介して遺伝子的には遠縁の関係にあるといえるでしょう。ちゃんとつながってるんですね。

 というわけで、現代のダンスミュージックを考えるうえであらゆる角度からめちゃめちゃ重要っぽいニュービートなのですが、その割にあまり認知度は高くなく、話題にあがることが少ない気がします。それはいったい何故なんでしょうか?理由は色々あるようなのですが、ジャンル誕生のきっかけとなったDJ Fat Ronnieが、ニュー・ビートがブームになる前にドラッグ中毒でクラブをクビになり、その後に逮捕され、そのままフェードアウトしてしまったりと色々な不運があったようです。また、ベルギーのテクノプロデューサーPeter Van Hoesenによると、ベルギー人は自国の音楽を海外に輸出するのに熱心でなく、またニュービートについてのインフォメーションはベルギーの公用語であるフラマン語(オランダ語の一種)とフランス語の物がほとんどで、オランダ人とフランス人は読めるけど、英語圏に広くリーチしなかったことも一因ではないかと言われています。対照的に、同時期に勃興したデトロイトテクノは、イギリスのメディアを通じて情報発信が行われたため、グローバルに展開され、根付いたと考えると英語でインフォメーションを残しておくことの重要性を改めて再認識させられます。特に、日本の音楽はその最たるものですからね。でも、そういうベルギー音楽のDNAが、同じく英語圏ではない日本で独自進化したって考えると、それはとっても奇跡的で興味深いことにも思えてきます。

音楽のスピードを変化させることに積極的なベルギーのお国柄

 さて、ニュービートについて色々調べていたら、もうひとつ、面白い事実にぶち当たりました。45回転のレコードを33回転でプレイするスタイルがベルギーで流行ったのは、ニュービートムーブメントが最初ではなく、なんと1970年代のベルギーのクラブではアメリカの5,60年代のソウルミュージックやオールディーズをピッチダウンしてプレイする「ポップコーンソウル」というスタイルが存在したそうです。

こうして振り返ってみると、ベルギーのダンスシーンって音楽に対してのアプローチがめちゃくちゃ柔軟で自由だな、と痛感させられます。「こうであるべき、こうでなけれないけない。」みたいな感覚が薄く、新しいアプローチを柔軟に受け入れる土壌がベルギーのダンスフロアには存在するようで、ベルギー人はクラバーとしてかなり「上級者」だな、と言わざるをえません。それもそのはず、実はベルギー人は酒場でのダンスに関しては、19世紀から先進的だったのですがから。

19世紀から機械のグルーヴで踊りまくっていたベルギー人

 というのも、19世紀のベルギーの酒場では、”自動演奏オルガン”を爆音で鳴らして、それに合わせて踊りながら酒を飲み、楽しむ、という文化が存在していたらしいのです。

↑こういうやつで、自動演奏オルガンといっても巨大で広い音域をもっていて、リズムパートも自動演奏できる装置だったそうな。楽器であり、サウンドシステムでもあったわけですね。これを爆音で鳴らしながら踊って飲んで楽しむって物凄く「テクノ」な行為だと思いませんか?また、自動演奏オルガンで演奏される音楽は必然的にシンフォニックな音楽性になるので、そういう音楽性がオランダ語圏のダンスミュージックやトランスミュージックにも伝播していったと考えると、オランダのビッグルームダンスカルチャーや今日のEDMとも地続きな文脈であると思います。

 一般的に機械の自動演奏のグルーヴにダンスの快楽性を見出したのは、1977年にジョルジオモロダーがMOOGシンセサイザーとアナログシーケンサーによる反復フレーズをディスコミュージックに落とし込んだDonna Summer - I Feel Loveが始祖とされていますが、どっこいベルギー人はその100年前から機械のグルーヴでパーティしまくっていたわけです。そんなお国柄だからこそ現代のテクノシーンに大きな影響を残す数々の音楽を生み出してきたのかもしれません。そして、その割にはやっぱり、相応の評価は受けていない気がしますね。ジュリアナテクノという日本のローカルダンスミュージックから出発した今回の思考の旅でしたが、結果的に、ベルギーを通じて改めて「非英語圏のローカルムーブメント、ダンスシーンが国際的に正しく評価されるには?」という日本の音楽シーンに切っても切り離せない問題について改めて考えさせられる結果になりました。やっぱり、自国の文化を英語でプロモーションしてくれる紹介者の存在っていうのが絶対的に不可欠なんだろうなぁ。でも、今はインターネットのおかげで世界中の「物好きたち」が繋がれる時代にもなっているし、deeplなど翻訳テクノロジーも優秀なものが増えているので、各国のローカル文化への相互アクセスはしやすくなってくるはずです。有史以来、ダンスミュージックは一種のグローバル言語としての側面を持っていましたが、それでいうならば「方言」的なものの面白さは今後一層注目されていくのではないでしょうか。というか、そうなるといいな、と個人的には思っております。


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